国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

杉浦譲

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杉浦譲の肖像写真

杉浦譲

すぎうらゆずる
1835年~1877年

杉浦譲の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 外国方の役人であった杉浦譲の文久鎖港使節、パリ万博使節同行を記した日記。
  • 民部省官吏時代、富岡製糸場の創立時を記す「繰糸場取建日誌」「客中雑記」墨書各1冊。「客中雑記」は、杉浦自身が調査した富岡附近の石炭に関する状況等が記録されている。

杉浦譲の日記より

文久4年1月3日(1864年2月10日)

日本を離れる前、鹿児島沖にて 海外
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波穏に船平にして、始て蒸気の力を専にするを得たり。漸く薩の地方に近寄て航す。海門嶽[開聞岳]遙に波光潮煙の外に聳[そびえ]て、宛然月夜の芙蓉に似たり。眺望いと面白し。夜に入り風雨一並来り、天色昏黒枕上点滴に霑ふも苦し。
文久4年2月21日(1864年3月28日)

壮観、ピラミッド、スフィンクス像! 海外
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それより一巨寺に遊ぶ。市外阜上にあり、凍石を彫刻して柱梁とす。高さ凡十余丈もあるべく、上は金碧五彩熀燿目を眩し、下は凍石を舗き列[つら]ね、回廊水盤華■にして観るべし。是礼拝堂にて門口砲卒警衛せり。寺外より望めは市府一目了然にて、有名の巨塚人首の壮観も遥[はるか]に見えり。
明治3年10月17日(1870年11月10日)

お雇い外国人と契約 
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一、仏人[フランス人]ブリユナ並同国書記ジフスケ民部省に来る。取建方雇入方約定書加除談判。大木民部大輔、玉野民部権大丞、渋沢大蔵少丞、杉浦地理権正。
明治3年閏10月17日(1870年12月9日)

工場建設に向けて富岡を見分 
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晴。地勢見分の為、富岡分内巡行す。七日市境西北隅高敞の地、屋敷跡地最寄、風気宜敷趣に付凡治定す。この地崖下鏑川にて水平より高さ拾三間余あり。東南漸く低て平田となる。地味は下等なり。麦作の間毎々桑を栽ゆ。毎畝同じといえども桑の出来宜しからず、桑代一ケ年一反に付金五両位より三両位迄にて、作価は金二両二分位のよし。

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