昌平橋・万世橋
東京都 千代田区
昌平橋・万世橋
昌平橋は、正保年間(1644-48)に神田淡路町と外神田を結んで神田川に架けられた橋。旧称はあたらし橋、相生橋、一口(いもあらい)橋。元禄4(1691)年、5代将軍綱吉の命で湯島聖堂と昌平坂学問所が建設された際に、昌平橋と改称された。昌平橋から聖堂脇を神田川土手に沿って上るのが昌平坂で、悪路で転ぶと泥まみれになるため、また急坂で転ぶと団子のように転がるため団子坂とも呼ばれた。万世橋は、神田須田町と外神田を結ぶ橋。明治45(1912)年には付近に万世橋停車場が開業している。
錦絵・絵画等
江戸名勝図会 昌平橋
名所江戸百景 昌平橋聖堂神田川
東京開化三十六景
東京名所三十六戯撰
写真
東京景色写真版
東京景色写真版
東京風景
日本写真帖
日本写真帖
日本写真帖
神田須田町
筋違見附の内側を八ツ小路という。見附とは江戸城外郭に設けられた城門で、警備のため門衛が置かれた。筋違見附は現在の神田須田町辺りにあり、神田口とも言う。明暦・天和の大火後、火除地を兼ねた広場が設けられ、ここから八方に道が通じていたことから八ツ小路、八辻小路の名が付いた。内神田から外神田、須田町から下谷への通路に当たるため通行量が多く、昼夜を問わず開門していた。神田祭の行列は、城内で将軍の上覧に供された後、竹橋門、常盤橋門を経て、最後に筋違門を通って神田明神へ帰った。
錦絵・絵画等
名所江戸百景 筋違内八ツ小路
写真
日本之名勝
日本之名勝
東京風景
その他の資料
- 筋違八ツ小路(挿絵) 『江戸名所図会 7巻』(1834)







