第1章 江戸時代の恋文あれこれ

第1章では、江戸時代の恋文の手引書をはじめ、錦絵や挿絵の中に描かれた恋文についてご紹介します。

恋文のマニュアル本!

まず、典型的な恋文の手引書をご紹介します。これらは恋文の模範文例や書き方のアドバイスを掲載している、いわばマニュアル本と言えます。

宛先いろいろ、焦らしが肝心

『女用文忍草(おんなようぶんしのぶぐさ)』(『江戸時代女性文庫 32』大空社,1995【GB391-E89】所収)

恋文の手引書『女用文忍草』の目次拡大画像ボタン

本書は江戸後期刊とされ、作者は不明です。場面別の恋文の往復文例や恋文作成のノウハウを伝授する他、恋愛に関する相性占いも掲載しています。目録(目次のこと)からは、「初て送る恋の文」「文のみにて未逢ざるに送る文」「艶書(えんしょ)の大意」などの豊富なラインナップが見てとれます。
さらに、宛先に着目すると様々な恋の相手が浮かび上がります。例えば、「妾に送る文の事」「後家に送る文の事」とあります。他にも尼僧や奥女中、下女も恋文の宛先として挙がり、実に多様です。
また、文例の中には、宛先の身分に応じた表現の書き分けもあります。なお、本書は「女用」を冠していますが、男女向けに書かれています。

『女用文忍草』に収められた「恋路の心得の事」

本文には文例とともに様々なアドバイスも載っています。「恋路の心得の事」には次のようにあります。

  • 男性が初めて送った恋文に女性がすぐに返事をするのは軽はずみでよくない。
  • すぐに女性から返事をする場合でも「あまりにも早速のお返事をご覧になり、あなたがどうお思いになるかと考え、恥ずかしながら」と少し断りを書くとよい。

遊女の恋文マニュアル

長松軒『遊女案文(ゆうじょあんもん)』扇屋利助[ほか1名],寛政8刊【856-13】

女の恋文の手引書『遊女案文』の目次

これは遊女向けの恋文の手引書で、目次には「二度の客へ遣るふみ」「馴染の客へ遣る文」「しばしこぬ客へ遣る文」などが見え、文例には来訪を懇願する表現が見られます。また、遊郭の月々の祝いの日には必ず客を取る必要があったため、その日の遊興を依頼する文例も載っています。

『遊女案文』で説かれる遊女の接客のコツ

また、本文では恋文の文例のあとに「心得」も指南されています。「二度の客へ遣るふみ」の「心得」で説かれる接客のコツをご紹介しましょう。

  • 客への対応は悪いのはいけないが、過剰なのもよろしくない。ほどほどがよい。
  • 特に一夜を過ごした翌日の別れの朝が重要である。別れの朝の言葉にこそ、思いの詰まった恋しさがある。抱きしめることを別れの秘事と言うのは不精なことである。

国貞「七小町吾妻風俗」藤岡屋慶次郎,安政5年(『古代江戸絵集』【ゑ-88】所収)

手紙を認める遊女の図

中央の遊女が手紙をしたためています。客宛でしょうか。恋文の手引書『遊女案文』を知ると、そんな想像をしたくなります。

コラム恋の悲しみ

鈴木春信『青楼美人合 第5冊』明和7(1770)刊【WA32-5】

遊女が判じ絵を読む図

判じ絵の拡大図(左に90度回転)
判じ絵の拡大画像。「恋知らば寂しう」と読める

「青楼(せいろう)」とは吉原を指し、実在の遊女が判じ絵(謎かけ絵本)を読んでいます。判じ絵の拡大図をご覧ください。右側の上から、「戀(恋)」、「○」は「輪(わ)」で「は」を意味し、左側の上から、「み」が3つで「さみ」、縦棒は「し」、うさぎの絵は「兎(う)」です。つまり「恋はさみしう(寂しう)」と読めます。さらに、白抜きで書かれた「恋」から「恋しら(白)」と読め、「恋しらば(知らば)寂しう」となります。数多くの男と恋文を交わした遊女の、深みのある気持ちが感じられるようです。

古典が恋文のお手本に!?

ここでご紹介する資料も江戸時代に恋文の手引書として流布したものです。先にご紹介した典型的な手引書とは違い、当時の古典、例えば平安時代の和歌や有名なエピソード(故事)などが盛り込まれており、その上で実用書としても成立し、人気を博しました。

中世以前の文芸に学ぶ

詞花懸露集(しかけんろしゅう)』みすや又右衛門,元禄11【847-12】

恋文マニュアルとして受容された平安時代の歌合せ『堀河院艶書合』

本書は序文の恋文の心得・故実とそれに続く恋文の文例集、中世の女性向けの教訓書『庭のをしへ』、平安時代の歌合『堀河院艶書合(ほりかわいんえんじょあわせ)』など多彩な内容を一冊にまとめた絵入の仮名文の資料です。実用的な恋文の手引書として、当時の人々に相当の需要があったようです。
実用書とはいえ、その中身は古典教養に根ざしたものでした。例えば、恋文の心得・故実には『源氏物語』の語、その巻名や人物名を度々見出すことができ、文例集の各段の恋文や添付の和歌も同作をベースに創作されています。
『堀河院艶書合』とは康和4(1102)年閏5月2日、同7日に開かれた堀河天皇主催の歌合の記録で、恋文の模範として後世の公家や武家の子女の情操教育のため広く用いられました。また、歌合に続けて恋文と和歌も附載されていますが、ここにも『源氏物語』の影響が見られます。

恋文にあふれた仮名草子

うすゆき物語 2巻』松会,寛文5【857-96】

江戸時代初期に流行した恋愛小説『うすゆき物語』

本書は中世以前の様々な故事や和歌を引きながら、恋文の応酬を中心に物語が展開する仮名草子です。物語中の手紙が恋文の文例として読まれるという実用性もあり、江戸時代に大変流行しました。
主人公の園部の衛門は清水寺で薄雪(うすゆき)を見初めて以来、恋文を送り続けます。既婚者の薄雪は求愛を拒み続けるものの、やがて二人は結ばれます。しかし、その後の物語は薄雪の急死、園部の衛門の出家と往生で幕を閉じます。画像中、部屋の奥で薄雪が手に持つのは園部の衛門からの恋文です。

コラム『薄雪物語』の恋文と和歌

『伊勢物語』で描かれる、井筒の挿絵
井筒の挿絵
(出典:『伊勢物語』上,慶長13(1608)刊【WA7-238】)

『薄雪物語』では園部の衛門と薄雪が数々の和歌を引用して恋の駆け引きを繰り広げます。例えば、古文の教科書でお馴染みの『伊勢物語』を代表する次の名歌もその一つで、薄雪は園部の衛門からの恋文への返信で引用します。

在原業平:筒井筒井筒にかけし麻呂が丈生ひにけらしな妹見ざる間に
紀有常の娘:比べ来し振分髪も肩過ぬ君ならずして誰か上ぐべき

これは幼馴染の男女の愛を詠んだ歌ですが、この歌で薄雪は在原業平と紀有常の娘のように幼馴染である自分と夫のきずなも深いことを示します。さらに、薄雪は夫婦で詠んだ歌をしたためています。

薄雪の夫:我ならで下紐解くな朝顔の夕影待たぬ花にはありとも
薄雪:二人して結びし紐を一人して逢ひ見るまでは解かじとぞ思ふ

「下紐を解く」とは男女の共寝を言います。薄雪は貞節を貫く気持ちをこの和歌で示して、園部の衛門を拒みます。『伊勢物語』の和歌を引用することによって、薄雪と園部の衛門との駆け引きに奥行きを与えています。

錦木(にしきぎ) 5巻』【京-145】

『錦木』に収録された、男女の別れの朝の恋文の段

『薄雪物語』の成立以後、影響を受けた多くの作品が生まれました。『錦木』も恋文のやり取りで構成された物語であり、全5巻の実用的な恋文の文例集でもあります。巻末には恋の用語解説も付されています。和歌も140首が収録されていますが、その多くが先行する和歌集からの引用です。『薄雪物語』同様、本書も類書が刊行されるなど、その人気ぶりがうかがえます。
画像は「後朝恋(のちのあしたのこい)」すなわち一夜を共にした男女の別れの朝に交わされる恋文の段で、和歌の引用と共に、別れの切ない情景が見て取れます。

絵で見る恋文

ここでは恋文が描かれた錦絵や挿絵をご紹介します。

恋文の代筆

〔井原西鶴 作・画〕『好色一代男』巻1,秋田屋市兵衛【WA9-3】

『好色一代男』の主人公・世之介が代筆された恋文を握りしめる場面

主人公の拡大図
『好色一代男』の主人公・世之介が代筆された恋文を握りしめる場面の主人公を拡大した画像

主人公の世之介が8歳の時の物語(「はづかしながら文言葉」)の挿絵です。彼の右手には手習いの師匠に代筆してもらった恋文が握りしめられています。

恋文の封を切る

歌川国貞「江戸八景ノ内 吉原」(藤沢衛彦編『絵入日本艶書考』文芸資料研究会,昭和3(1928)年【585-14】所収)

恋文の封を切る遊女の姿

江戸の名所を描いた「江戸八景」の吉原です。
恋文の封じ目を切る遊女の耳元で、禿(かむろ)が何かを囁いています。

恋文を読む

歌川豊国「古今名婦伝 新町の夕霧」文久1(『古今名婦伝』【寄別8-4-2-1】所収)

実在の遊女・夕霧が恋文を読む姿

早逝した大坂新町の名妓・夕霧が恋文を読む姿です。夕霧は、生前の評判は勿論、死後もその名が近松門左衛門の演劇作品に冠せられるほどの人物でした。

恋文が喧嘩のもとになる

鈴木春信「風流五色墨 長水(ふうりゅうごしきずみ ちょうすい)」(藤沢衛彦編『絵入日本艶書考』文芸資料研究会,昭和3(1928)年【585-14】所収)

恋文を奪い合う男女の図

恋文を取り合う若い男女の図です。
自分以外の人物から恋人に来たと思われる恋文に嫉妬する姿を描いているようです。

恋文を売り歩く

年方『三十六佳撰』1893【本別7-292】

懸想文売の姿

赤い着物を着た男性は懸想文売(けそうぶみうり)です。懸想文売は江戸時代の京・大坂地域の正月に見られました。
恋文に似せた縁起を祝う文章を売り歩き、烏帽子に白布の覆面姿で梅の枝を担ぐ恰好が一般的で、枝に文を結びつける姿も見られました。あまり流行しなかったものの、懸想文売の名のとおり、恋文を新春に売り歩くことが行われたこともあったようです。
この絵のタイトルには「懸想文 元禄頃婦人」とあります。