幕末の幕臣。旗本山岡家より母方の高橋家に養子に入る。槍術家山岡静山の実弟。安政6(1859)年講武所師範役となり、慶応2(1866)年遊撃隊頭。鳥羽・伏見の戦いの後、徳川慶喜に恭順を説き、寛永寺で護衛にあたった。維新後は隠棲。勝海舟・山岡鉄舟とともに幕末三舟と称された。
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