ながさきしょうご
1852年~1937年
北垣知事先導して琵琶湖疏水工事を巡覧す。該工事は京都府民の負担にして、琵琶湖の水を京都に疏して、大に工業を振起し傍ら物貨を通運する計画にて、北垣知事物議を排し熱心これに当る。明治十八年工を起し、二十二年十二月を期し竣功を告げんとす。費額予算凡百二十五万円、大津三井寺[みいでら]の右傍より官道の右に沿ひ開鑿せしものにて、隧道[すいどう]五ヵ所あり。全体の工事過半を竣す。
この日、巡視中農園において相嘗[こころ]みたる牛乳は、至て新しくして、且味[あじわひ]頗[すこぶ]る美なり。真[まこと]に米国[アメリカ]在留の時を想ひ起せり。
午後当府において、百万の財産家(Million earl ミリオン イエール)と称するDunsmuir ダンスミュイア氏殿下を訪問し、自宅に来臨を請ふ。依て殿下に陪し、同人の邸宅に至る。海浜丘陵上に建築せるをもって、ジラルジヤ海峡を俯瞰[ふかん]し、兼てまたヴィクトリヤ全市を一眸の下[もと]に集め、風景最も宜し。暫時庭園を逍遥し、客室に入り家族と対話の末、同人に送られホテルに還る。
「サン・ポーロ」寺は、「タイバー」河畔にあり。彼の耶蘇[ヤソ]の高弟「セント・ポール」の墳墓の地に、「サン・ピエトロ」寺に均しき伽藍[がらん]を建築せんとて、法王の勧誘に依り「コンスタンチン」大帝の起工したる所なり。後歴代の帝王法王等は、切[しき]りに荘厳なる修飾を施し、羅馬[ローマ]寺院中最美最麗最大なるものとなりたり。
本日、寺島伯来訪。胸襟を披ひて、本邦及海外に関し種々談話を為し、殊[こと]に快楽を覚へたり。
来訪者殿下と談話中、余は殿下より暫時の御暇を請ひ、姪剛十郎の案内に依り「ミカド」と称する劇場に赴き、米人[アメリカ人]が如何なる思想と考按とをもって我帝国の状態を模写するやを一覧し、了[おわっ]て屋上園(ルーフ・ガーデン)を観覧して、直に帰館せり。
年
1882〔第6号 ハワイ王国滞在関係〕 布哇国滞在中日記 〔明治15年〕3月20日~4月12日
【長崎省吾関係文書133-1】
年
1888〔第28号 旅行記〕 上信及陸奥旅行日記 明治21年8月9日
【長崎省吾関係文書169-1】
年
1888〔第28号 旅行記〕 京坂地方巡回日記 〔明治21年〕11月4日~12月4日
【長崎省吾関係文書169-11】
年
1889〔第28号 旅行記〕 湯ヶ原行日記 明治22年7月
【長崎省吾関係文書169-2】
年
1892〔第28号 旅行記〕 北海道紀行 明治廿五年 明治25年8月20日~10月11日
【長崎省吾関係文書169-4】
年
1892〔第28号 旅行記〕 北海道紀行 明治二十五年 明治25年8月20日~10月11日
【長崎省吾関係文書169-5】
年
1893〔欧米巡回日誌 明治26年8月4日~27年9月26日〕 明治26年12月15日~31日
【長崎省吾関係文書35-6】
年
1893〔欧米巡回日誌 明治26年8月4日~27年9月26日〕 〔明治26年〕11月26日~12月14日
【長崎省吾関係文書35-5】
年
1893〔欧米巡回日誌 明治26年8月4日~27年9月26日〕 明治26年8月4日~9月26日
【長崎省吾関係文書35-1】
年
1893〔欧米巡回日誌 明治26年8月4日~27年9月26日〕 明治26年10月23日~11月16日
【長崎省吾関係文書35-3】
年
1893〔欧米巡回日誌 明治26年8月4日~27年9月26日〕 明治26年11月17日~25日
【長崎省吾関係文書35-4】
年
1893〔欧米巡回日誌 明治26年8月4日~27年9月26日〕 明治26年9月27日~10月22日
【長崎省吾関係文書35-2】
嘉永5(1852).11.12鹿児島県生まれ。薩摩藩士長崎作左衛門の六男。造士館・昌平黌で学び、外務省に奉職。米国に渡りミシガン大学で学んだ後、英国に渡る。1880帰国、宮内省に転じ宮内書記官。式部官・宮内大臣秘書を経て、1897.9調度局長。1904調度局長兼宮中顧問官式部官宮内大臣秘書官。1937.2.6死去。
(リサーチ・ナビ「長崎省吾関係文書」より)
『明治肖像録』より