付録 山と食事

利根水源探険隊編『処女地征服大利根水源紀行』煥乎堂、昭和2【556-278】デジタル化資料ボタン

17名の登山者たちのために用意された品々は、米1石餅3斗、草鞋200足、馬桐油3枚、「鰹節数十本」、釜、鍋、味噌、醤油、食塩等、護身用として刀1、ピストル4、猟銃2――。これは第1章で見たような調査研究のための登山のひとつ、明治27(1894)年に行われた利根川の水源を探る探検隊の記録です。
登山靴ではなく多くの草鞋が用意されていることや、野獣対策なのか当時山中にいると言われた「鬼婆」対策なのか、多くの武器が持ち込まれていることも興味を引きますが、ここで注目したいのは鰹節です。もちろん現代でも体を動かした後の食事のおいしさは登山の楽しみのひとつであり、インスタント食品から鍋での料理まで各種見られますが、なかなかだしを取る鰹節まで持参する人は少ないのではないでしょうか。
本編で紹介した人々は、山でどのような食事をしていたのでしょうか。これまで紹介した資料を中心に、食に関する記述を探してみました。

幕末蝦夷地でジビエを味わう

松浦武四郎『久摺日誌』【特1-73】 デジタル化資料ボタン

アイヌとともに旅にでる松浦は、出発にあたり、8つの約束事を決めます。そのひとつに「獲物を見付けたら、案内人の半数が追い掛ける」とあり、旅の間の食事として狩りの獲物をあてにしていたようです。先に到着したアイヌが、木の皮をはいで小屋をつくり、鹿やウグイで松浦をもてなしてくれることもありました。ジビエと新鮮な魚を楽しみながらの登山は、なかなか現代では行えないかもしれません。しかし、狩りは常にうまくいくわけではなく、食糧不足による心細い思いが続く日々も描かれています。

高地長期滞在のための食

野中至『富士案内(訂正再販)』【88-192イ】 デジタル化資料ボタン

長期滞在であったため、食料を「出来得る限り種々携帯」したとあります。過酷な環境に精神論で耐えるのではなく、食事が単調にならないよう工夫しているあたり、今日の宇宙食などにも通じる進歩的な考え方がうかがえます。それにしても、気温と気圧の低さにより、アルコールや塩分を含み凍りにくいはずの酒や醤油までもが凍結してしまう富士山頂の厳しい環境は驚くべきものです。

日本と西洋の携行食

志賀重昂『日本風景論』【45-67】 デジタル化資料ボタン

乾燥肉と動物性脂肪などで作られる携帯保存食、「肉膏ペムミカン」(ペミカン)が紹介されています。第2章で見たように、志賀の登山技術は洋書からの翻訳が多く、これもそうかと思われます。一方、ビスケットと餅を併記していること、パン等ではなく米が「切要なるもの」の第一に挙げられることなどは、日本ならではの記述でしょう。

西洋人が好んだブランド

ウェストン Mountaineering and exploration in the Japanese Alps. J. Murray 1896【特38-0181】
(Internet Archive 外部サイトボタン で全文が閲覧できます。)

イギリスで出版された資料なので、西洋の読者に向けて、具体的なメーカーを挙げてカレー煮の鶏肉やココア、お湯で溶くスープなどを奨めています。また、干し葡萄などをポケットに入れておくとよいとあるのは、登山家らしい実用的なアドバイスと言えるでしょう。現代の登山でも、行動食として小刻みにナッツやフルーツ等を口にすることが推奨されています。

缶詰食――技術と流通の発達

小島烏水『日本山水論』【99-106】 デジタル化資料ボタン

気圧が低く米が炊きにくいため、缶詰の利用を説いており、現代登山でのレトルト食品などの活用にも通じるかもしれません。缶詰は「近來販路大に開け、山間にても少しく人間の聚落するところには概ね之を見る」というあたりに、技術と流通の発達が感じれます。酒は「氷雪中を跋渉するときは大禁物」とありますが、夏山では禁物ではないのか、気になるところです。もちろん泥酔はどんな山でも危険でしょうが……。

生徒たちのお弁当

内堀武夫、真行寺吉太郎 共著『校外に於ける会合教育施設の実際』【259-339】 デジタル化資料ボタン

学校登山が普及した大正4(1915)年の資料です。「登山の実施法」の項で、天候の急変等が起こり得るので水と食事を携行すべきと説いており、登山には十分な準備が必要であることが理解できます。「握飯が最も上等」としており、遠足の弁当などを懐かしむ人もいるのではないでしょうか。

準備狂?

河東碧梧桐『煮くたれて』【692-102】 デジタル化資料ボタン

そして、同じく大正4(1915)年、第3章に登場した俳人河東碧梧桐が敢行した、1週間がかりの日本アルプス縦走では、人夫7人を雇って大量の食糧を山に持ち込みました(「登山昔話」)。碧梧桐は、同行したジャーナリストの長谷川如是閑にょぜかんが重たい缶詰などを大量に持って行こうとするのを「準備狂」と呆れ、それなら自分もと日本酒を荷物に加えさせました。
その量は『日本アルプス縦断記』【363-222】によると、米5斗4升、味噌3貫目のほか、缶詰は牛肉4缶、鮭4缶、鰹田麩2缶、福神漬3缶、海苔佃煮3缶、おたふく豆2缶、桃1缶、コンデンスミルク3缶、チョコレートミルク4缶、ハム2缶、ウニ1缶、甘いものはビスケット4斤(1斤は約600グラム)、キャラメル23箱、ドロップ2斤とあり、碧梧桐らは「まるで山へ物を食ひにでも行くやうだ」と笑いました。また、この荷物の中にも鰹節1本、昆布1袋、煮干1缶が登場し、明治末期に発明されたうま味調味料1瓶も欠かしていませんでした。
しかしながら如是閑は登山中に身体の調子を崩し、せっかく缶詰をたくさん用意したのにお粥ばかり食べることになってしまいました。人夫たちからは「お粥の旦那」と呼ばれたそうです。

このように年代や登山の規模、出身などで食事も違ってきますが、山でもできるだけおいしいものを食べたいという希望は誰しも共通のようです。山と食事、そしてその食を支えただしについても、思いを馳せてはいかがでしょうか。(本の万華鏡第17回「日本のだし文化とうま味の発見」では、日本食に欠かせない、だしとうま味に関する資料を紹介しています。 関連電子展示会ボタン