近代日本人の肖像

産業の発展を支えた貢進生

    明治政府は、新時代を担う人材を育成するため、明治3(1870)年に「貢進生を大学南校に置く」布告を出した。教育を通じて地方から優秀な才能を集めようとしたのである。これにより全国から300名余りの人材が東京に集まった。そのうち代表的な貢進生を紹介してみよう。

    法学分野の代表は、小村寿太郎鳩山和夫である。小村は飫肥藩(現宮崎県)出身の秀才で、16歳の時に第一期文部省留学生としてハーバード大学へ留学した。外交官となり、日清戦争、三国干渉等の難局にあたり、桂太郎内閣で外務大臣となった。鳩山和夫は美作勝山藩(現岡山県)の出身で、若干15歳で最優等生となり、第一期文部省留学生としてイェ―ル大学ロースクールに留学した。日本人初の法学博士となり、帝大法科教授、外交官を経て政界で活躍した。

    工学分野の古市公威はフランスに留学後、内務省土木局に勤務、後に工科大学(後の東京大学工学部)教授兼学長となった。日本で最初に工学博士となった人物だ。明治・大正時代を通じて、古市は最高の土木学者であった。

    薬学分野の下山順一郎もフランスに留学し、ドクトルを取得した。帝大教授となり生薬(しょうやく)学の基礎を確立した。一方で私財を投じて薬園を開設し、官民両方で薬学教育に尽力した。

    鉱物分野の和田維四郎はドイツに留学後、帝大教授兼地質調査所所長となり、日本人で初めて鉱物学の講義を行った。鉱物標本の蒐集家でもあり、コレクションは世界第一級のものである。

    明治政府は有能な人材を全国から集め、教育を通じて新しい国家の担い手を育成した。貢進生たちはその最初の人々だった。のちに中国の科挙制度を模した官吏登用試験が、明治26(1893)年に制度化される。ここに新たに国家の行政を担う官僚制度が誕生する。

      参考文献