近代日本人の肖像

明治期の財閥と当主たち

明治に勃興した財閥は、江戸時代の富商が財閥になったケース(鴻池、住友、三井)、明治に入って一代で財を築き上げたケース(三菱、渋沢、安田、浅野、大倉、古河、川崎、藤田)の2つに分けられる。では、財閥とはどんな集団なのか。

そもそも「財閥」という語が使用されたのは、明治中期の甲州財閥が始まりといわれている。これは甲州出身の事業家たちが結託して、経済界を席巻したことを意味するが、時代の流れとともに三井財閥、三菱財閥等のようにひとつの一族を権力の中心とする企業の巨大連合体に使用されるようになった。

ここでは明治期の代表的な財閥の成り立ちや特色、当主たちを簡単に紹介してみよう。

1. 三井・住友・三菱

現在でも、三井・住友・三菱の名前を知らない人はほとんどいないであろう。

江戸時代から続く豪商の三井や住友では、創業家の当主が経営にあたることはなく、優秀な番頭等に経営が委ねられていた。三井には三野村利左衛門・益田孝団琢磨等の大番頭が、また住友には広瀬宰平・伊庭貞剛・鈴木馬左也等の優秀な人材が経営にあたった。かたや当主の三井高棟住友友純は美術家、茶人等として知られる。彼らは多くの美術コレクションを収集し、後世に遺した。

これに対し幕末に一代で事業を築いた三菱は、創業家の中で経営トップが受け継がれていく。三菱財閥は、創業者・岩崎弥太郎が海運業で財を成し、明治7(1874)年の台湾出兵を機に急成長して政商の地位を確立した。岩崎の経営姿勢は、トップの絶対的な権限とリーダーシップで会社を引っ張っていくものであった。

2. 渋沢

創業者である渋沢栄一は、幕末の慶応3(1867)年にパリ万国博覧会に随行して欧州を歴訪したことで近代資本主義を体験する。帰国後、渋沢は日本に多数の株式会社を設立した。その業種は銀行、保険、海運、鉄道、電気、ガス、製紙、紡績、ホテル等非常に多岐に及び、生涯において設立や育成に関わった企業は約500社と言われている。企業を設立して軌道に乗ると株式を売り、それで得た資金で新たな企業を生み出すという経営で、公益追求のため広く人材と資金を集めて事業を推進した。渋沢は企業のみならず東京株式取引所(後の東京証券取引所)、東京商法会議所(後の東京商工会議所)など、公共的な機関や団体の設立にも熱心だった。渋沢が「日本資本主義の父」と呼ばれるゆえんである。

3. 鴻池・川崎・安田

鴻池、川崎、安田は金融業で財を成した財閥である。

鴻池家は江戸時代から幕府御用の両替商として大坂きっての豪商で、明治になってもその地位を維持した。明治10(1877)年鴻池家は国立銀行条例を受けて第十三国立銀行を設立、のちに個人経営の鴻池銀行に転換後も経営を引き継いだ。鴻池家は大阪一の大富豪だったため、当主の善右衛門(11代)は新規事業の看板として担ぎ出され、日本生命保険社長、大阪貯蓄銀行頭取等になった。

東京で金融を中核事業として展開した川崎家は、代々水戸藩の為替御用達をつとめ、明治7(1874)年創始者の八右衛門(初代)が川崎組を設立し川崎銀行へと改組した。川崎銀行は関東一円の地方銀行を傘下において、明治中期には有力銀行に数えられるまでに発展した。

安田善次郎(初代)は、幕末に丁稚奉公から身をおこし、明治に入ると公金取扱の為替方として金融業の地位を築く。明治9(1876)年には第三国立銀行設立に参画し、実質的な経営を握った。その後自前の安田銀行(後のみずほ銀行)を設立して成長を加速した。

4. 浅野・古河

苦労してチャンスを掴み成功した財閥が、浅野と古河である。

創業者の浅野総一郎(初代)は、事業に失敗し夜逃げ同然に上京、どん底の中で石炭の燃えかすのコークスがセメント製造の燃料となることを知り、売り込みを始めた。廃材であったコークスをもとに財をなし、やがて浅野セメントを設立。近代化の中で高まるセメント需要に応えて大きく発展した。

古河市兵衛もまた43歳にして無一文となるが、渋沢栄一の支援を受け、足尾銅山の大鉱脈を掘り当て成功する。さらに秋田県の院内銀山、阿仁銅山等を手に入れ、採掘の機械化を進めて産出量を増やし、日本の銅山王となった。

浅野財閥も古河財閥もセメントから造船へ、鉱山から銅線製造、電気工業へと多角経営を行い発展した。

5. 大倉・藤田

軍需産業から財閥を興したのが大倉と藤田である。

大倉財閥創業者の大倉喜八郎は、戊辰戦争時に官軍に良質な鉄砲を納めたことから信頼を得、その後台湾出兵や日清戦争等でも物資輸送等を請け負って財を築く一方、ヨーロッパ諸国等と直に貿易を行った。大倉財閥の経営は銀行業を除く様々な分野に関係した多角経営が特色といえる。

藤田財閥もまた創業者の藤田伝三郎が軍靴の製造を始め、軍部御用達になり財を成した。その後西南戦争の軍需物資を扱って財を築き、大阪を代表する政商となった。藤田財閥も様々な事業を手掛け、明治14(1881)年に設立された藤田組は土木事業で佐世保や呉の軍港、琵琶湖疎水の工事を行っている。公共的な事業にも取り組み、鉱山事業、干拓事業にも力を注いだ。

    参考文献