解説
美術評論家、哲学者。学習院高等科在学中に武者小路実篤、志賀直哉らを知り、文芸雑誌『白樺』の創刊に加わる。東京帝大文学部哲学科を卒業。朝鮮陶磁器の美しさに魅了されるとともに、無名の職人の手による工芸品の美を見出す。大正14(1925)年に民衆的工芸を意味する「民藝」の語を作り、民藝運動を開始。数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集、旺盛な執筆活動を展開していった。昭和6(1931)年雑誌『工藝』を創刊、11年に日本民藝館の初代館長に就任。32年文化功労者。妻は声楽家の中島兼子。
関連資料
著作
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