内藤 ないとう 湖南 こなん

生没年
慶応2年 〜 昭和9年6月26日
1866 〜 1934年6月26日)
出身地
秋田県
職業・身分
学者(人文科学) ジャーナリスト
別称
内藤虎次郎(ないとう とらじろう)、炳鄕(へいけい)、黒頭尊者

解説

歴史学者。県立秋田師範学校卒業。上京後、『日本人』、『大阪朝日新聞』等の編集・論説で活躍。一方で中国研究に関しても造詣を深める。明治40(1907)年から京都帝国大学史学科で東洋史を担当。42年教授。大正15(1926)年定年退官。帝国学士院会員。その研究は幅広い領域にわたり、時代区分論、古代史、清朝史等の中国史のみならず、日本史にも業績を残す。

関連資料

電子展示会「あの人の直筆」より

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内藤 ないとう 湖南 こなん

内藤湖南の肖像
  • 内藤湖南の肖像1枚目
  • 内藤湖南の肖像2枚目
出典: