史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

林菫書翰 陸奥宗光宛

林董書翰 陸奥宗光宛



本月初四御認之貴翰昨日拝接、頃日は貴恙も漸く御快方に被為趣候由、諸方より之報知有之、大悦奉賀候事に御座候。
日清戦争記事御着述之義は、後代之為め歴史上之材料無此上義と存候。中島へ貴諭之趣相伝候処、大喜に而早速材料之収拾に着手可致様申居候。高陞号撃沈之際之事御問合之趣は、時日経過之今日に於て、甚た朦朧と致居候得共、初め電報之到達致候日〔割注:七月廿四五日頃之朝と覚候〕大臣官舎之二階東南隅小室に而、貴大臣は頭上に綳帯之儘、伊藤大臣は該報に接し、直に来東に而評議有之候得共、電報頗る簡単に而委細之義不相分、因而評議も亦何之決着も無之、後報を待つ事に相成候。其日之夕刻(或は翌朝)貴大臣之御手許へも電報に而詳細之義申来候得共、伊藤大臣は之を知られす、自親之方に而被受取候電報を貴大臣に被示候為め、且つ自親之意見を被伝度為に、小生を永田町之官舎へ被招、電報之趣にては撃沈之次第少しく曖昧なれとも、究竟する所英船を撃沈めたる者なれは、之を早く英公使代理パジエトに打明ける手段を取るより外に致方あるまじ。附而は、陸奥は平常の如く強情を云はず、成丈穏当之処置を取る様に伝言すべしとの事に候間、此旨を直に貴大臣に其儘御報したる義に御座候。尤も応答之言辞は其儘には記臆仕らす、「平常の如く強情を云はす」之語は、此事を打明け英人を和はらぐる策に異議を立てざる様、即ち硬強策を主張せずと云ふことと相覚候。
右応貴問御答申上候。時下折角御保養専一奉祈候。謹白
十一月二十六日
林董
福堂陸相閣下

館員一同へ対し貴翰中に被述候、
此機会に乗し小生は老兄を始め館員一同昨年来小生に対する補助之功労を再謝致し候。老兄より可然御伝声奉願候。
貴旨申聞候。一同感佩、御厚意を奉謝候。此段小生より一同に代り申上候。  董
Copyright © 2006-2010 National Diet Library. All Rights Reserved.