サンパウロ日本人学校父兄会(邦字紙記事)

A Associação de Pais e Mestres Japoneses de São Paulo (artigo publicado em jornal de língua japonesa)

São Paulo Japanese School Parents' Association (article published in a Japanese language newspaper)

在伯日本人教育会生る


『日伯新聞』昭和2年3月18日

問題が多過ぎて一日延期した邦児教育相談会

 総領事館主催にかかる邦児教育相談会は既報の如く去る十四日より三日間総領事館事務室の会場で開かれた、各地より来集した教員及学務委員等六十余名に達し又リベロンよりは浜口副領事、バウルーよりは古関書記生も来り会議を傍聴した

居眠りも出た第一日

 第一日の協議事項は(一)在伯児童教育の方針について(二)教師の待遇及素質改善に就いて(ママ)教科書編纂に就いて(ママ)教授科目に就いて(ママ)教材に就いて(ママ)政府補助金について、等の諸問題が議せられたが何れもただお互の意見を交換したのみで確定的な決議は一つもなかつた、この日は非常にむし暑く、議事のだれた午後にはコクリコクリと居眠りを催してゐた教員君も二[、]三見受けた

副領事もたぢたぢの第二日

 第二日は在伯日本人の教育機関を統一しやうといふ目的で造られる在伯日本人教育会なるものの定款草案について逐条討議したが、理屈をいふことでは歴々の連中ばかりのこととで仲々に意見多く、説明役の海本副領事も時々手ひどくつつこまれたぢたぢの有様であつた、旭植民地の瀧口要一君などピンガでもきいてゐたか「我輩…」などと政擅演説でもやるやうな調子でやり一同を苦笑させた、相談事項が盛り沢山なため最終日の第二日では議了し切れず、更らに一日延期することになつた、夜は一同総領事邸に招待されて日本料理の饗応にあづかつた

支部のとり合ひで賑つた第三日

 この日総領事はアミーバ赤痢とかで顔を出さなかつた、午前十時から昨日の残りを審議したが在伯日本人教育会の支部設置では、この取り合ひで一寸賑つた[、]その結果は左の十支部設置に決定した

   聖市、サントス、リベロン、リンス[、]ペンナ、アラサツーバ、プレジデンテプルデンテ、レジストロ、カタンズーバ、オーリニヨス

 各支部は四月十五日までに組織し支部成立後早速理事会を聖市に開催することに決して閉会、三日間に亘つて開かれた相談会も日本人教育会設立がその主なる目的であつたので、教育方針の具体策といふものは教育会の手によつて行ふことになると


父兄会設立に関し
    開いた相談会


『伯剌西爾時報』昭和4年8月15日

 曩に設立された『在伯日本人教育会』は対外的に於て其名称面白からず当国人の誤解を招く虞れあるのみならず、会其のものの組織及び之が運用上にも欠陥あるとして種々考究の結果之を改造若くは他に適当な団体を組織するをしとし[、]去る九日午前十時から聖市日本倶楽部で教育上に関する相談会を開催した、

 地方は目下農繁期で手離し出来ぬ事情と急々な催ほしであつたが為めとで出席者割合に少なく総数僅か二十五六名にしか過ぎなかつたが[、]併し出席者は皆教育に熱心で且つ実際上に経験の有る人々であつたが為めに、中島総領事を中心に議せられた事項は大体に於て原案通り纏まり、

 新に父兄会なる一団体を作り之を社団法人として登記すると共に是れまで存在の在伯日本人教育会なるものを会員に廻章協議の便法で解散の希望をたまたま同日出席の同会理事連にて議決し[、]之を会員一般に計る事とした、

 斯くして新たに生れた『父兄会』なるものは便宜上本部をサンパウロ市に置き、支部を必要の地に置く事とし、出来得るだけ在伯邦人子弟に教育の機会を与へ彼等をして善良なる伯国市民たらしむる事に力を注ぐ事にしたのであるが、も一つは母国政府から下附される教育補助金なるものを当国人あたりから誤解の眼を以て見られざるやう、該金を一旦父兄会に受入れ、之を同会の名に於て各学校若くは其他に配付の手続を執る事の最も穏当なる遣方としたのである、

 兎に角父兄会の組織は、これまでの日本人教育会の実行と経験とに依り更に実際的に且つ誤解の起らざるやう作られたものであるから、先づ当分之に依つて遣つて見るのも可しとする、尚ほ同日『在サンパウロ日本人学校父兄会』の役員として指名詮衡委員に依り指名された顔触を挙ぐれば左の如くである
  会長    竹澤太一
  副会長  黒石清作
  会計    鮫島直哉
  理事    杉本芳之助


日本人父兄会の立塲と其事業


『伯剌西爾時報』昭和4年11月28日

     一

 本紙の是れまで屢々報道したやうに、さきに創立された『サンパウロ日本人学校父兄会』は、本年九月三日、伯国法律に準拠し正式に登録を了し、敷地及び家屋を、聖市サン・ジヨアキン街六七番に買求め、既に書記長兼寄宿舎監督(夫婦者)及び書記一名を雇入れ、着々同会の目的に向つて歩を進めつつあるのであるが、此の『サンパウロ日本人学校父兄会』は、聖市の『大正小学校』と同一場所に存立する為め、世間一部の人々から誤解を招けるを遺憾とする。

     二

 同父兄会事業の一たる寄宿舎設置案は、赤松総領事時代に、建築費下附請願の都合上、同一敷地内に相当な建物を一棟又は二棟を建設し、之を区分して寄宿舎と大正小学校とに当つることになつてゐたのである。所が本年に入り該下附金が下り、偶ま良い売物があつたので、前年大正小学校に貰つてあつた下附金を右に加へて、間口廿八メートル、奥行九十メートルの大敷地に、家屋一棟附きの百四十五コントスで買収するに至つたのは現在のそれである。

     三

  て斯うなると、此の家屋を何う云ふ具合に用ひ、誰が事業経営の任に当るかと云ふことに話が進むので、中島総領事を中心に、有志が種々研究の結果、聖市での寄宿舎経営及び教育上の諸事務は、サンパウロ日本人学校父兄会にらせることとし大正小学校の経営は従来の後援会が行ることにしやうと云ふに一決したのであるが、それなら此の一棟の建物を何う使用するか、これは亦其の局に当つた人々の大に苦心する処となつたのだ。

     四

  元々現在の建物は、家としては相当立派ではあるが、住宅として造られたものであるから、学校の教場としては勿論光線の入り具合が悪く、視学官も是れでは困まると云ひ、生徒に対しても良くないと云ふ処から、大正小学校は後援会の意思を以て裏庭に一棟を新築し、一階を教場と教師寝室に充て、二階を寄宿舎延長に当つることにしたので、茲に寄宿舎と大正小学校とは、会計の別個なると同様、建物も大体に区別され、来年の二月から小学校の児童は新校舎で教授を受くることとなり、寄宿舎は三月頃から父兄会の手に依り開始されることとなるのである。

     五

  事態此の如くであるが故、経済の都合上小学校と寄宿舎とが敷地を同ふし、建物の或る部分を互ひに使ひ合つたとて、之を不可分的のものと観るは間違ひにて、父兄会が大正小学校に特に便宜を計ると云ふのも当らざることであると同時に、父兄会が大正小学校を継子扱ひにすると云ふことも全然根拠のないことである。

 父兄会は其の名の示す如く『サンパウロ日本人学校父兄会』で、一定の方針を定めて一般邦人から寄宿生を預り、之を世話すると共に、従来在伯帝国官憲に於て直接取扱かひし同胞子弟教育助成事務を、極めて公平に代行するのであるから同父兄会の為す処の仕事は、在伯帝国官憲の是まで直接取扱ひ来れる、同胞子弟教育助成事務を、官臭を取り去り民間的のものに改めたと云ふに過ぎないものである。


父兄会主催の教育打合せ会


『聖州新報』昭和7年3月29日

 既報父兄会主催になる第一回教育研究会は二十五、六の両日に亘つて聖市サン、ジヨワキン街の大正小学校教室に於て開催された

  在伯邦人の最大重要問題は第二世の教育である、此の重要問題に最も深い関係を持つ教育家が一堂に会して教育上の種々の問題を研究する事は誠に意義深いものである

と云ふ父兄会の主旨に基いて聖市及其の近郊は申すに及ばず遠くノロエステ、ソロカバナ、パウリスタ、ジユキヤ等の各沿線小学校より出席したる教員数は六十名の多きに達したがそれ等の面々何れも事務所より渡された自分の姓名票を胸に吊して某は教育者であると云ふ標となし而も新聞記者絶対立会禁止といふ不怪極まる厳重さで開かれた所の紀念すべき第一回教育研究会のプログラムは大体左の通り

    三月二十五日午後二時より開催

 先づ一言居士ママ父兄会副会長黒石清作氏の長広なる挨拶に次いで当日特に臨席した内山総領事の訓辞並びに希望演説あり[。]終つて書記長木村末喜氏父兄会の沿革及職能に就き左の説明あり
イ、学校補助金の下附申請及受領手続
ロ、教科書編纂
ハ、学校用品の供給及購入事務
ニ、教師の就職斡旋
ホ、正教員の養成
ヘ、学校登録及学校調査事項
ト、機関紙の発行
チ、各地邦人学校々舎及敷地登記
リ、寄宿舎及学校経営
ヌ、学校児童衛生事務
続いて将来の計画事項として
一、在外教育費補助金下附に関する規定作成明示
二、在外日本人学校教職員年功加俸規定作成案
三、学校職員分限令の設定
四、恩給法の設定
五、職員俸給令の制定
六、サンパウロ日本人学校父兄会俸給支弁に関する制度規定
七、現在の植民地各学校を父兄会経営に移管する事
八、本会に教育指導及調査機関を設ける事
九、教科書輸入取扱の件
に関し協議の結果

  一は木村書記長の説明、二、三、四、五、六の諸項目は委員附託として研究、七については教員の俸給を父兄会より支弁する制度とし細目に亘る事は特別委員をあげて研究、八は撤回、九は万場一致賛成
と云ふ風で第一日は了つた

  二十六日(二日目)は午前九時より開始

協議事項として

一、諸帖簿、証書統一作成共同印刷の件
二、教科目、教科書改廃統一及編纂の件
三、各科研究委員設定の件
四、同仁会より児童検査医派遣方依頼の件
五、展覧会又は巡回展覧会開催の件
六、祭日、休業日、学年開始、末日統一の件
七、学校経営案作成提出の件
八、教授細目作成の件
九、学校巡回映画連盟作製の件
に就いての協議の結果

  一は必要とするものは賛成、二は種々異論ありしも父兄会独自の立場で編纂する事に決した模様、三は否決撤回、四[は]可決、五は否決、六は法令にしたがつてやる事、七は報告する事に、八は否決、九は委員附託
に夫々決定し相当波瀾を予想された会も無事幕を閉ぢた時に午後六時、終つて七時半より一同日本倶楽部に内山総領事の招待晩餐会に列席した。