三条実美 さんじょう さねとみ(1837〜1891)

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職業・身分 公家・旧大名政治家
出身地(現在) 京都府
生没年月日 天保8年2月8日〜明治24年2月18日
1837年3月14日〜1891年2月18日)
号・別称等 梨堂

解説

父は内大臣三条実万。権中納言、議奏、攘夷勅使、国事御用掛などをつとめる。尊皇攘夷派公家の中心的存在であったが、文久3年(1863)尊皇攘夷派の京都追放をねらった8月18日の政変が起こり、七卿落ちの1人として長州に下る。王政復古後、新政府の議定、副総裁、右大臣、修史局総裁などを歴任。明治4年(1871)太政大臣に就任、18年の太政官制廃止までつとめた。内閣制度創設後は内大臣となり、22年黒田内閣総辞職後、一時臨時首相を兼任した。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:近世名士写真 其1
請求記号:427-53
白黒、21.0×27.0 cm