鹿児島生まれ。幕末の志士。父は薩摩国喜入の領主肝付兼善、母は島津久貫の娘で、小松清猷の養子となり、藩主島津斉彬の小姓となる。その後、藩政改革派として藩政に携わり、家老となる。慶応2年(1866)1月、西郷隆盛とともに木戸孝允らとの間で薩長連合を締結。3年(1867)10月、将軍徳川慶喜に大政奉還を進言した。明治元年(1868)総裁局顧問に就任するなど新政府で重きをなすが、2年(1869)5月、病気のため官を辞した。