近衛篤麿 このえ あつまろ(1863〜1904)

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職業・身分 公家・旧大名政治家
出身地(現在) 京都府
生没年月日 文久3年6月26日〜明治37年1月1日
1863年8月10日〜1904年1月1日)

解説

五摂家筆頭の家柄で、父は従一位近衛忠房。明治18年(1885)から23年まで渡欧し、ボン、ライプチヒ両大学に学ぶ。帰国後、貴族院公爵議員。のち同議長をつとめる。藩閥政治に批判的で、26年民党各派提出の条約励行建議案に同調、伊藤博文に意見書を寄せ、対外硬派の運動を支持した。その後、東亜の保全と改善を唱導して東亜同文書院を設立。東亜同文会、また国民同盟会、対露同志会を通じて国権的政治運動を展開。28年から学習院長となる。36年枢密顧問官を兼任。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:近世名士写真 其2
請求記号:427-53
白黒、21.0×27.0 cm