後藤新平 ごとう しんぺい(1857〜1929)

現在のカテゴリー:生年月日順:1850年代[前の人物次の人物]

現在のカテゴリー:人名50音順:こ[前の人物次の人物]

現在のカテゴリー:職業・身分:官僚[前の人物次の人物]

現在のカテゴリー:出身地:岩手県[前の人物次の人物]

現在のカテゴリー:職業・身分:政治家[前の人物次の人物]

職業・身分 官僚政治家
出身地(現在) 岩手県
生没年月日 安政4年6月4日〜昭和4年4月13日
1857年7月24日〜1929年4月13日)

解説

父は水沢藩士。須賀川医学校卒。明治14年(1881)愛知県病院長兼愛知医学校長となる。16年内務省衛生局に入る。ドイツ留学をへて25年衛生局長に昇進。31年児玉源太郎台湾総督により民政局長に抜擢、のち民政長官。36年貴族院議員に勅選。第2次、第3次内閣で逓相、鉄道院総裁、寺内内閣では内相、外相等を歴任し、シベリア出兵を推進。大正9年(1920)東京市長となる。第2次山本内閣内相兼帝都復興院総裁として、大震災後の東京復興計画を立案。ソ連との国交樹立にも関与した。

参考ウェブサイト

写真1

新しいウィンドウで写真1の拡大画像を開きます

出典:近世名士写真 其1
請求記号:427-53
白黒、21.0×27.0 cm