久原房之助 くはら ふさのすけ(1869〜1965)

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職業・身分 実業家政治家
出身地(現在) 山口県
生没年月日 明治2年6月4日〜昭和40年1月29日
1869年7月12日〜1965年1月29日)

解説

慶応義塾卒業後、森村組に入社したが、明治24年(1891)藤田組に移り、小坂鉱山の再建に貢献。38年に独立し、茨城県の赤沢鉱山を買収して日立鉱山を創業。大正元年(1912)久原鉱業を設立し、機械化による増産に成功。3年には、足尾に次ぐ全国第2位の生産量となった。第一次世界大戦中の好景気で、石油、海運、造船などの分野にも進出したが、戦後恐慌の打撃を受けて経営不振に陥り、昭和3年(1928)義兄鮎川義介に経営再建を委ねて政界に進出。同年立憲政友会から衆議院議員に当選し、田中義一内閣の逓相。2・26事件に際して検挙されたが無罪。14年分裂後の立憲政友会総裁、内閣参議等を歴任。戦後公職追放。解除後、衆議院議員に当選し、日中・日ソ復興に尽力した。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:英雄巨人を語る 満洲国建設記念
請求記号:640-180
白黒、9.2×14.1 cm