高田 たかた 早苗 さなえ

生没年
安政7年3月14日 〜 昭和13年12月3日
1860年4月4日 〜 1938年12月3日)
出身地
東京都
職業・身分
教育家 政治家
別称
高田早苗(たかだ さなえ)、高田半峰(たかだ はんぽう)

解説

父は深川の通船問屋。東京大学在学中の明治14(1881)年に小野梓らとともに鴎渡会を結成。15年小野に大隈重信を紹介され、立憲改進党の結成に参加。東京専門学校の創立に参画し、講師となる。20年『読売新聞』主筆となり、文学新聞として育て、読者数を増やした。23年第1回総選挙で衆議院議員となり、以後当選6回。外務省通商局長、文部省参与官等を歴任。大正4(1915)年貴族院議員に勅選され、第2次大隈内閣の文相に就任。12年早稲田大学総長。昭和3(1928)年帝国学士院会員。法学博士。

関連資料

歴史的音源

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高田 たかた 早苗 さなえ

高田早苗の肖像
  • 高田早苗の肖像1枚目
出典:
遺徳顕彰故人年鑑 第1輯 昭和14年【281-I89ウ】