中江兆民 なかえ ちょうみん(1847〜1901)

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職業・身分 政治家ジャーナリスト
出身地(現在) 高知県
生没年月日 弘化4年〜明治34年12月13日
1847年〜1901年12月13日)
号・別称等 篤助(とくすけ)
篤介(とくすけ)

解説

思想家。父は高知藩士。長崎、江戸でフランス学を学ぶ。明治4年(1871)フランス留学。7年帰国後、仏学塾を開く。8年元老院権少書記官となるが、10年辞任。14年『東洋自由新聞』創刊、主筆となる。フランス流の自由民権論を唱え、自由民権運動の理論的指導者となる。20年藩閥政府の横暴を批判し、保安条例により2年間の東京追放処分を受ける。23年第1回衆議院議員選挙に当選したが、翌年辞職。ルソー『民約論』の翻訳『民約訳解』、『三酔人経綸問答』、『一年有半』など多くの翻訳・著作がある。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:明治人物小観
請求記号:96-133
白黒、5.2×6.5 cm

写真2

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出典:国史肖像大成
請求記号:281.038-Ko53ウ
白黒、5.8×6.5 cm