田中正造 たなか しょうぞう(1841〜1913)

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職業・身分 政治家社会運動家
出身地(現在) 栃木県
生没年月日 天保12年11月3日〜大正2年9月4日
1841年12月15日〜1913年9月4日)

解説

父は名主役。安政4年(1857)生地小中村の名主となり、領主六角家の改革運動に関与。明治12年(1879)『栃木新聞』創刊、民権思想・時事問題を論ずる。13年栃木県会議員、19年県会議長。23年第1回総選挙で衆議院議員に当選、立憲改進党に所属。以後、議会内外で一貫して足尾銅山鉱毒問題に取り組んだ。34年には議員を辞職し、明治天皇に直訴。37年以降は、谷中村の遊水地化計画に対する反対運動を展開。晩年は治水事業に尽力した。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:鉱毒事件の真相と田中正造翁
請求記号:754-177
白黒、9.0×12.6 cm

写真2

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出典:渡良瀬川
請求記号:798-231-(3)
白黒、10.6×14.3 cm