尾崎紅葉 おざき こうよう(1868〜1903)

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職業・身分 文学者
出身地(現在) 東京都
生没年月日 慶応3年12月16日〜明治36年10月30日
1868年1月10日〜1903年10月30日)
号・別称等 尾崎徳太郎(おざき とくたろう)

解説

作家、俳人。帝国大学中退。明治18年(1885)大学予備門在学中、山田美妙らと硯友社を結成し、機関誌『我楽多文庫』を発行。22年『二人比丘尼色懺悔』が出世作となり、同年読売新聞社に入社。以後同紙に『伽羅枕』(1890)、『多情多恨』(1896)などの作品を発表する。30年に開始された『金色夜叉』の連載は人気を博したが、病没で未完に終った。泉鏡花など多数の門弟の育成・指導にもつとめた。

参考ウェブサイト

写真1

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出典:国史肖像大成
請求記号:281.038-Ko53ウ
白黒、6.8×9.4 cm

写真2

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出典:尾崎紅葉集
請求記号:913.6-O9765o
白黒、9.0×12.9 cm