法学者。大学南校、開成校に学び、明治9(1876)年イギリス・ドイツに留学。ロンドンのミドル・テンプルでバリスター(法廷弁護士)の称号を得、ベルリン大に学び帰国。東大法学部教授として法理学、英法を担当。26年法典調査会委員として、民法典を起草、その後も英・独法の移入に努め、多くの立法に関与。23年第1回貴族院勅撰議員。大正5(1916)年枢密顧問官。