仮名垣 かながき 魯文 ろぶん

生没年
文政12年1月6日 〜 明治27年11月8日
1829年2月9日 〜 1894年11月8日)
出身地
東京都
職業・身分
文学者
別称
野崎文蔵(本名)、鈍亭・猫々道人(みょうみょうどうじん)・野狐庵・金屯道人・和堂開珍・英魯文・戯作書太郎(別号)、能連(字)、兼吉・庫七(幼名)、香雨亭応一(俳号)、斜月窗諸兄(狂名)

解説

戯作者、ジャーナリスト。魚屋である父親の影響で幼少より戯作好きで、花笠文京に入門し『安政見聞誌』(1855)、『滑稽富士詣』(1860)で戯作者としての地位を得る。明治に入り十辺舎一九の作品を下敷きに『西洋道中膝栗毛』(1870~76)を著し話題作となった。また明治7(1874)年から『横浜毎日新聞』の記者となり、8(1875)年には『仮名読新聞』等多くの新聞を創刊。戯作を通して庶民レベルの文明開化の様相を表現、明治の通俗文壇に君臨した。

関連資料

著作

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仮名垣 かながき 魯文 ろぶん

仮名垣魯文の肖像
  • 仮名垣魯文の肖像1枚目
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