矢野 やの 竜渓 りゅうけい

生没年
嘉永3年12月1日 〜 昭和6年6月18日
1851年1月2日 〜 1931年6月18日)
出身地
大分県
職業・身分
ジャーナリスト 政治家 官僚
別称
矢野文雄(やの ふみお)

解説

父は、佐伯藩士。明治6(1873)年慶応義塾卒。『郵便報知新聞』副主筆、大蔵省入省を経て、太政官大書記官兼統計院幹事に就任するが、「明治十四年の政変」で大隈重信に従い退官。15年「東洋議政会」を主宰し、立憲改進党結成に参加。同年1月に社長に就任した『郵便報知新聞』を党の機関紙として党の発展に尽力。23年宮内省式部官、30年清国駐箚特命全権公使を務めた後、大正13(1924)年大阪毎日新聞社副社長に就任。

関連資料

著作

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矢野 やの 竜渓 りゅうけい

矢野竜渓の肖像
  • 矢野竜渓の肖像1枚目
  • 矢野竜渓の肖像2枚目
出典:

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