武富 たけとみ 時敏 ときとし

生没年
安政2年12月9日 〜 昭和13年12月22日
1856年1月6日 〜 1938年12月22日)
出身地
佐賀県
職業・身分
政治家
別称
孟修、健之助、唇堂(しんどう)

解説

父は佐賀藩士。明治7(1874)年佐賀の乱に参加。15年九州改進党結成に参加、16年佐賀県会議員、18年佐賀県会議長。19年、『肥筑日報』(後『西肥日報』と改題)を創刊。23年第1回総選挙で当選。九州改進党と自由党を合併させて立憲自由党を結成。以後立憲革新党、進歩党に所属。30年農商務省商工局長、大蔵省参事官。31年、第1次大隈内閣で内閣書記官長。大正2(1913)年立憲同志会に参加。3年、第2次大隈内閣で逓相、蔵相。13年貴族院勅選議員。

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武富時敏の肖像
  • 武富時敏の肖像1枚目
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