父は広島新田藩主浅野長訓(ながみち)の弟懋昭(としてる)。長訓の養子となり、文久2(1862)年本藩の世子となり、国事に奔走。長州再征の際には幕府と萩藩の関係調整にあたった。慶応3(1867)年9月薩長両藩と挙兵倒幕の盟約を結ぶ一方、高知藩に続いて大政奉還を建白。12月王政復古では、議定として小御所会議に出席。明治2(1869)年広島藩主、同藩知事。13年元老院議官、15年イタリア公使、17年宮内省華族局長官等を歴任。23年貴族院議員。侯爵