坂本 さかもと 志魯雄 しろお

生没年
明治4年4月1日 〜 昭和6年4月11日
1871年5月19日 〜 1931年4月11日)
出身地
高知県
職業・身分
政治家 実業家 ジャーナリスト
別称
弔民(ちょうみん)

解説

明治20(1887)年土佐立志社に入社、専修学校(後の専修大学)卒業後、朝鮮政府内務顧問秘書となる。以後『中外商業新報』記者となり、日清戦争後、臨時台湾総督府鉄道隊勤務。30年台湾総督の命を受けフィリピン群島視察に赴き7年間滞留する。情報収集のかたわら独立運動に関与し、また海外貿易会社マニラ支店長を務める。日露戦争後、樺太庁事務嘱託、41年政友会高知支部幹事長となり、昭和3(1928)年高知県から衆議院議員当選。5年総選挙は落選。坂東鉄道、国本石材、太陽石油等の取締役も歴任した。

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坂本 さかもと 志魯雄 しろお

坂本志魯雄の肖像
  • 坂本志魯雄の肖像1枚目
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