慶応義塾大学理財科卒。明治44(1911)年以後、神奈川県会議員、横浜市会議員、衆議院議員、貴族院議員を歴任。実業界では、玉川電気鉄道、第一ホテルの社長をつとめた。戦後、公職追放から復帰後、昭和26(1951)年横浜市長に当選、亡くなるまでその任にあった。慶大時代からスポーツに親しみ、大正14(1925)年の創設時から全日本陸上競技連盟会長を務めたほか、各種競技団体、大日本体育協会の会長等に就任。生涯を通じてスポーツの普及、振興に尽力した。昭和30年文化勲章受章。