阪谷 さかたに 芳郎 よしろう

生没年
文久3年1月16日 〜 昭和16年11月14日
1863年3月5日 〜 1941年11月14日)
出身地
岡山県
職業・身分
政治家 官僚

解説

父は阪谷朗廬(儒学者)。東京英語学校、大学予備門を経て、明治17(1884)年東京大学文学部政治学理財学科卒。同年大蔵省入省。主計局長、大蔵次官を務めた。39年1月から41年1月までの間、第1次西園寺内閣蔵相の任にあって日露戦争時の財政処理・戦後経営に手腕を発揮した。45年から大正4(1915)年まで東京市長、6年から昭和16(1941)年まで貴族院議員(男爵議員)を歴任。専修大学の学長も務めた。法学博士。渋沢栄一の女婿。

関連資料

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電子展示会「日記の世界」より

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阪谷 さかたに 芳郎 よしろう

阪谷芳郎の肖像
  • 阪谷芳郎の肖像1枚目
  • 阪谷芳郎の肖像2枚目
  • 阪谷芳郎の肖像3枚目
  • 阪谷芳郎の肖像4枚目
  • 阪谷芳郎の肖像5枚目
  • 阪谷芳郎の肖像6枚目
出典: