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職業・身分 | 公家・旧大名、政治家 |
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出身地(現在) | 京都府 |
生没年月日 | 文政8年9月15日〜明治16年7月20日 (1825年10月26日〜1883年7月20日) |
号・別称等 | 対岳(たいがく) |
父は権中納言堀河康親。岩倉具慶の養嗣子。安政元年(1854)孝明天皇の侍従となる。5年日米修好通商条約勅許の奏請に対し、阻止をはかる。公武合体派として和宮降嫁を推進、「四奸」の一人として尊皇攘夷派から非難され、慶応3年まで幽居。以後、討幕へと転回し、同年12月、大久保利通らと王政復古のクーデターを画策。新政府において、参与、議定、大納言、右大臣等をつとめる。明治4年(1871)特命全権大使として使節団を伴い欧米視察。欽定憲法制定の方針を確定し、また皇族、華族の保護に力を注いだ。
出典:近世名士写真 其1
請求記号:427-53
白黒、21.0×27.0 cm
出典:憲政五十年史 : 画譜
請求記号:430-121イ
白黒、12.4×17.2 cm