福井藩士。横井小楠の影響を受け、財政を学ぶ。福井藩の財政改革に手腕を発揮。幕府の政事総裁職となった藩主松平慶永に重用される。藩内の政争から、一時蟄居の身となるが、明治維新を契機に参与として登用される。新政府の財政・金融政策を担当し、太政官札を発行。また福岡孝弟とともに五箇条の誓文の原案作成にもたずさわった。明治4(1871)年東京都知事。翌年岩倉遣外使節団に加わり欧米を視察。帰国後、元老院議官をつとめる。23年貴族院議員に勅選。