もり 有礼 ありのり

生没年
弘化4年7月13日 〜 明治22年2月12日
1847年8月23日 〜 1889年2月12日)
出身地
鹿児島県
職業・身分
外交官 政治家

解説

父は鹿児島藩士。藩校造士館、藩洋学校開成所に学ぶ。慶応元(1865)年藩の留学生として英国に留学。米国を経て明治元(1868)年帰国後、新政府において徴士、外国官権判事、公議所議長心得、制度寮副総裁心得などをつとめる。一時離職し郷里に戻るが、再び出仕。米国在勤後の6年明六社を設立するなど、欧米思想の啓蒙に尽力。8年商法講習所設立に参画。以後駐清公使、外務大輔、駐英公使、参事院議官兼文部省御用掛等を歴任。第1次伊藤黒田各内閣の文相となる。憲法発布当日、国粋主義者に襲われ翌日死去。

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もり 有礼 ありのり

森有礼の肖像
  • 森有礼の肖像1枚目
  • 森有礼の肖像2枚目
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