父は岩国藩士。戊辰戦争に参加し、明治3(1870)年に大阪兵学寮に入り、翌年陸軍大尉に任官。日清戦争には歩兵第12旅団長として出征。その後第3師団長を経て、近衛師団長として日露戦争に従軍した。37年大将。45年参謀総長となるが、第2次西園寺内閣の二個師団増設問題で上原勇作陸相を辞任に追い込み、これがもととなり軍部大臣現役武官制が廃止された。大正4(1915)年元帥、5年伯爵。同年10月から第3代朝鮮総督となり、3・1運動に対して武断政治で臨み批判を浴びることとなった。