徳川 とくがわ 慶喜 よしのぶ

生没年
天保8年9月29日 〜 大正2年11月22日
1837年10月28日 〜 1913年11月22日)
出身地
東京都
職業・身分
公家・旧大名
別称
一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)

解説

江戸幕府第15代将軍。父は水戸藩主徳川斉昭。弘化4(1847)年一橋家を相続。第13代将軍家定の継嗣をめぐり、和歌山藩主徳川慶福を推す井伊直弼と対立。日米修好通商条約調印問題も絡み合い、安政の大獄で謹慎処分を受ける。文久2(1862)年朝命により将軍後見職となり、幕政改革を推進。慶応2(1866)年第15代将軍となる。高知藩の建白により翌年10月、大政奉還を行い、徳川家の復権を図るも、倒幕派に敗れ恭順、謹慎。維新後の明治2(1869)年謹慎を解かれるが駿府に居住。30年東京に移り、35年公爵を授けられた。

関連資料

電子展示会「あの人の直筆」より

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徳川 とくがわ 慶喜 よしのぶ

徳川慶喜の肖像
  • 徳川慶喜の肖像1枚目
  • 徳川慶喜の肖像2枚目
  • 徳川慶喜の肖像3枚目
  • 徳川慶喜の肖像4枚目
出典: