史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

[議題草案]

[議題草案]




西周助

頃者一二雄藩時務之策〃奉り、併に其家臣共蒙 召対候而建言仕王政復古併に洋制斟酌等之義相唱候処、遂に祖宗櫛風沐雨之天下を以一旦挙而王家え被為帰候段、臣子之分に在而痛哭失措不過之義に御座候、乍然御英断に而斯迄も御決定に相成候義に付而者、実に千古之美事非常之鴻徳と深奉仰候義に御座候、所詮此儀は早晩共御決定に相成不申而は、当今迄之形勢に而は将来之見止めも無之義故、是非善不善とも御変更相成不申而は不相叶、且は近日外国と之交際日〃盛に相成候に付、混沌漸鑿人々之持論も是迠とは相変候義故、時勢之注する処自然時宜に相応候 御処置無之而は不相叶義に而実に奉感服候義に御座候、然る処右王政復古と申候義に就而は、方今封建之治、我か同宗巨属之藩屏全域之半に居候天下を以て千載之久、天禄永終の家に附し、頓に郡県之制に復し口分職田之法を興さんと欲候は、三歳之児童も万〃一可無之を存候義故、家臣等申立候所も強而其趣意にも有之間敷、実之名を仮り実を制候心得とは被察候得共、乍併名は実之賓、賓主之際は其権相敵候者に候得は、名義之濫なるは後来之禍源と奉存候、畢竟天下方今之形勢に至候も其淵源する所は鎌倉室町之世、斯文墜地之際は姑是を措候とも祖宗之時文怡武熈之盛美に至候而、猶恭謙之御徳を被為守、敢而服色之盛典をも不被為興、名実相背馴致今日之難被為処場合にも至候事に御座候、然る処又々右様之名義相立候而は遂に賓主易地之後患に到階候義と奉存候、乍然此義は既に一統えも御示に相成候義に而駟も不及義には有之候得共、猶又以後之所に而名号称謂等は深御遠慮被為在度義と奉存候、且又右に付家臣等之説に帝国王国優劣之論も有之候由承及申候、是は其輩も不案内より左様相考候事と奉存候、万国公法之上に而論候得は、苟国其独立自主之権を失不申際は称謂之如何に申候とも是に拘り貶礼を用候例には無之、且又彼五大国抔称候は国勢之強弱に本き名号之尊大には不拘義に有之、其一証は五大国之首たる英国に而も、王と称し帝とは称不申、畢竟是等は歴史上之沿革に係候義に而、実地に害なき事に候得者、土耳其に而シユルタンと称し、魯西亜に而ザルと称候如く、本邦に而大君と被相称候而不可も無之義に奉存候、偖又家臣等申立候洋制斟酌之義に就而は、実に見鳥求炙之論に而、彼邦々国家制度之義は数百世を歴、数百人之碩学賢哲之思慮を積候而今日之盛美に馴致致候義に有之候得は、其學問を心掛候者に而も悉くは其要領を領会仕候事難義に有之、然る処只今強く其外形而已を傚候とも、実地上之便不便利害得失之所審に無之、其肯綮を失候は独縁木求魚之譏而已に無之、却而画虎類狗之拙策とも被存候義に御座候、乍然召之諸候追々会合にも相成候はは、衆議にも相成可申、詮する処方今之時勢人情之注候所、公議と申事人口に噲炙し、如何にも輿論に御与し被遊候事無御拠次第に相成候得は、可成丈右議論纏り候而、会議之趣意相立候様、御処置被為在度奉願候義に御座候、万一議論之間齟齬相起、争釁相開候而は御家之勝利に相成候共、当時外に外国を引受兄弟鬩于牆候之義に相当り候而已ならす、生霊之土炭、全国之疲弊、遂には分崩離折之末、統一之時も難期に至り可申、実に大機会此秋に有之候義と奉存候、然る処右議論相纏り御主意相立候様之御処置と申候と、第一には、会議之仕法御講究可有之、第二には新規御制度之大略預め御腹稿相立候義に可有之と奉存候、右会議之仕法と申候は、此間中差出候英制略考中に而、下院頭取之任に有之、会議と申者は人衆集会之上に而、固より混雑も生し易く、動もすれは人々其趣意存分をも尽候事難相成、遂には首として論候主意よりも、佗之論に転移し却而末を以て本を傷ひ候事、得而は有勝之義に有之、偖又弁舌不朽学問不博者は、余人に被圧候而申立候主意を述候機会無之、終日含糊に而終に至り、不本意なからも無余議同意致候様之不都合差起り、遂に議論纏兼候而人〃退而後言致し、会議も崩候者に有之候得は、右様混乱無之様終始其条理も遂候而、人々甘服之上決定に相成候事、一大肝要に可有之奉存候、就而は両院とも数輩之会議世話役被為置、会議之議論には不拘会議之次序不乱様可成丈衆議甘服に至候而、人々皆其意を尽候様取扱候は被 仰付而可然哉、彼方之習風に而は、ケ様なる大事初度に相創候時は預め十人許之人名を撰任し、会議之仕法併に会議え持出候議題之草稿をも預め議定致し、順序等相定、其後大衆会議江持出候例に有之候、左様無之而は突然大衆会席え議題持出候とも、議論区〃に相成候義に有之候、此度も愈会議相始候て、幕府諸藩之内に而才識学問有之候者、預め十人許御撰任に相成、会議取調役被 仰付前以会議之仕法御取極に相成、議題之大略等順序相立候後、上院下院とも会議相創り、右取調役上下に分れ世話役と相成候はは、自然申合も相届順序相立齟齬唐突之弊無之、人々各其持論を尽し候上に而利害明白に相成、甘服一決にも至可申哉、是第一会議之仕法講究と申義に御座候、偖又第二新規御制度之腹稿と申候は、即発会第一之議題に而は天下制度綱紀に有之候得共、甚広大なる義に而、一々は難申立候得共、大略を申候得は三通に相約候義に而、第一には禁裏之権、第二には政府之権、第三には諸大名之権に有之候、右三権御決定に相成候上は、天下一新、鼎革之綱紀相立可申候得共、其権之大小軽重等は微臣敢而可論義に無之候得共、茲には是迠に申上候、乍併此節柄之義に而、畏罪黙止候も本意に無之御採用之有無は敢而不願義に御座候得共、別紙右議題大略腹稿之所奉読尊覧候、可然御見捨に相成候はは、難有仕合に奉存候、昧死謹言
十一月 西 魚人
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