史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

[総長所感日誌]

[総長所感日誌]



【2コマ】
○二月十日
清瀬議長が昨日の本会議で、安保の趣旨の説明を趣旨弁明と態々発言されたので、本朝、国会法に規定あり、参議院も本院も従来から、これを区別している旨、話して速記を訂正することにした。

【3~4コマ】
二月十日
○昨夜大体各派間において纏った意向に基いて、
○特別委員会を設置することに決意したが、
○それを次の文書にして、夫々花押して、事務総長のもとに保管すること一応決ったが、自由党の国対で反対され、議運の速記録にのことすこととなった。

安保特別委員会設置についての確認事項
一、安保条約並に行政協定の改定と之に伴う一切の審議はすべて安保特別委員会において行う。
二、右に関する合同又は連合審査は行わぬ。
右、確認する。
昭和三十五年二月十日
衆議院議院運営委員会
自由党代表佐々木盛雄
日本社会党代表柳田秀一
民主社会党代表池田禎治

【5コマ】
四月十五日
本日午后〇時半頃、外務省の鵜飼君かきて、島大使か面接して、アイク訪日の際における国会との関係につき話し度いとのことで、河野参議院総長と同席で自分の部屋で、申分を聞いた。
島大使の申分、
一、アイクは、国会は閉会中であるので正式訪問はしない、国会議事堂を参観の程度にしたい。
二、従って演説はしない。
三、右のやうで悪ければ国会に訪問しなくもよい。
四、その場合は、尾崎会館に十五分程立寄る。以上の
要旨に加えて、訪問の翌日天気かよければゴルフにゆき度いとの日程であった。

【6コマ】
これに対して、自分より、
島大使の今日の来意はまことに、わか国の外交官としては、いかんである。
何となれば、国会はあげて歓迎の空気に満ちているではないか、しかも、両院の議運の一部の申入として国会において演説して欲しい、従って時間も一時間半位みて欲しい旨再三、申入ではないか、
それに対して、演説は出来ない、時間のやりくりは出来ない。それでもし悪ければ国会訪問はとり止めるとの言辞に至っては、そのまま、自分としては披露出来ない、いま、安保か国会で審議されているとき、かかる国会軽視のことか、国民に伝ったらどうなるであらう、日本国民の間は必ずしも親米主義者ばかりではない、

【7コマ】
国会軽視は即ち国民軽視につなかるものである。ことにゴルフ日程があるならば、総理はそれを止めても、国会訪問をやらせるべきである。日米友好の精神をいやか上にも発揮させる点から云っても、もうそうでないと、日米間の今後の動向に重大なる影響あるものと思われたので、早速、議長に報告するとともに、江崎氏、と荒船委員長に話する。その後、議長は藤山外務大臣、小林政務次官を議長室によんで、今後の善処方を話した。自分と荒船氏は同席した。

【8コマ】
その間、参議院議長も、河野君の報告で同感の意で、江崎君を寄来してくれとのことであった。
○Hagarty (Press secretary) と Stevens (Appointment Secretary) と打合せがあるので、明日まで返事をくれとのことであったか、外務大臣によって話は好転することを期待して、返事は明日、外務省の意向を訊してからにした。
○山田次官が見えて経緯を説明して努力することを約した。
○藤山外務大臣が、議長室にきて、マツク大使

【9コマ】
と話して、成るべく当方の意見に合うようにすること、滞在時間は一時間とし、演説は二十分、トーストは約十五分位にして、二十日十一時来院して正午退院でどうかとのことであった。議長はそれでよろしいとのことであった。

【10コマ~11コマ】
四月二十二日
本日午前九時半、昨夜菅家君から、面接し度いとの申入があったので、総長室で会う。菅家君は、
本日中に、本会議で中間報告を求めるとの事に、昨日、岸、川島会談で決まったとのことであった。
しかし、警官は入れないとのことであったが、
菅家君に対して、
会期を延長する建前ではいけないか、
議長としては、未だ何らの正常化に対する措置をしてないのに、直ぐに、本会議で中間報告を求める動議を取り上げることはどうであらうか、また議運か決裂してないのに、議長自らが、先例なり慣行を破ることはどうであらうかと話した。
○その後、議長室にゆき議長に、どうなさるお積りかと訊ねると、大政党の云う通りにしなければならんだらうとのことであった。
○江崎氏にも、来る二十六日のデモもあるから、ここで無理をすると、口実を与えること、
警官を入れると、韓国の二の舞になること、アイクがきたときのこと等を話して、メイデーを過ぎてからにしてはどうかと話した。
川島幹事長にもその旨をよく伝えるとのことであった。

【12コマ~15コマ】
四月二十四日
朝、山本、正木、下平、荒船氏に電話。
○八時半登院。
○菅家氏に面接。
この事態で無理すれば二十六日と、メーデーを控えて、うまくない、韓国の二の舞は絶対に避けねばならぬ。
警察官を、院内に入れて、一気に通過させては、与論か承知せぬ。
ここは、中間報告を求めて、期限を十日まで附して、あとまた延長して、慎重審議のかまいをして、会期の延長は、I.L.Oと見合うべきであると進言する。
○条約は三十日でも関係法律案は三十日では成立しないときのことも併せ考えておかねばならぬ。
○昨日の議長あっせんは議長は何もしないで、直ちに、中間報告を許す手はないので、一応あっせんの形をとったものであるが、議長自身はあっせんに乗り出すことを賛成しなかった。
また、中村副議長に色々と相談して、内話のことを話したときには、この問題は、平行線の問題で、妥協の余地がないのであるからとのことであった。
で、社会党かどうせ呑まぬものなら、自由党@@@向けあっせんをしてはどうかということで、やったことと、もしかしたら、民社は同意するのではないか、そうすれば、単独審議の汚名は避けられるとの計算であった。しかし、自分としては、下平君から、五月一日を過ぎれば、どうやら反対は反対でも、そう乱暴などをすることないように出来るのではないかとの意見を聞えていたので、そうしようとしたし、また、山本君かそうしなければ追いこまれて了うとのことであったので、何とかして、五月一日を越して解決してやらうと考えていた。

【16コマ~17コマ】
四月二十八日
山浦貫一君が見えての話に、
清瀬議長にも話して了解ずみであるが、国会の中央の玄関に、いま、伊藤、大隈、板垣氏等の銅像があるが、もう一つに、犬養木堂氏の像を建てる企をするとのことで、邪魔してくれるなとのことであった。自分としては邪魔はしないが、犬養氏は過去の人で、明治時代の憲政功労者は一応あれで、区切りをつけて、あとは終戦後、国家再建に功労あった人を、顕彰すべきではなからうか、そう考えると、終戦処理、二つの日本にしなかった功績、また、平和条約を締結した等の功労からは吉田茂氏が、その候補者ではなからうかと話した。山浦氏もある程度は首肯されていた。

【18コマ】
五月十九日
議員登院数
自民党二六八
社会党一二三
民社党三九
無所属

一、午前十時四十分、
自由民主党の福永国対委員長、青木、小金、篠田の諸君と議長に面会、会期延長方の申入をする。
二、午前十一時
常任委員長会議を常任委員長で開く。
三、午後〇時十分
理事会
申入の件委員長から報告
四、下平、八木、堂森、児玉四君かきて、自由席に暴力団みたいな傍聴人か沢山入っているので、それらか

【19コマ】
安保委員会に、なだれ込む、おそれがあるので、取かえてくれとのことであったので、あれは、全学連に備えたので他意ないし、責任を持つと説明したが、きかんので早速に取り換えた。
松沢氏も之を了承した。
五、理事会再開二、四〇
決裂
六、その旨議長に報告せんと議長室に入ると、そこには、山本幸一、下平、柳田三君が、よばれていた。議長は、会期延長だけで、安保の採択は本日は見合せるやう保証するから、実力行為は止してくれるやう話合っているうちに隣のサロンは、ガタガタと騒音、ば声で、採択があったのではないかと思われた。

【20コマ】
七、議運は四時三九分、四、四三、散会
八、議長室
その間、議長は各党の代表者を集めてとか色々の対策を考いたか結局は、各党別に呼んで話してみたらということに落ち着いて、初め出したが、途中で、自民党の方から、さっきの話は応じられぬとの話があって、総ては、決裂状態となり、拾収がつかなくなった。
九、最後に荒船、菅家、三和、その他与党の理事が議長のとこに来て、早く議長は決意して、警官導入にふみきらなければ、吾々は皆議運の理事を辞職すると云った。
十、議長は、マイクを以て妨害者の

【21コマ】
取退きを放送した。
午后七、五五分、―八時四分頃まで、幾度となく繰り返した)。
十一、午后九時十八分頃半頃まで柳田、下平の二君にきて貰って、事態の打開策について話し合った。自分としては民主主義を議会主義を守る為には、外部のデモと議員は相呼応してはならぬ、政権の更替は、議場を通じてなさるべきことが原則であり、これでなければ革命である。この為に両君は善処して欲しい。二人は、安保の打切と警官の導入について疑念を持つので、今日は、会期の延長だけで、実力行為を止してくれるなら、自分は身を投げ出しても、警官の導入はしないように議長に申入、

【22コマ】
安保の採決もしないよう保証するからといったか、二人は、会期の件については返事がなく、そのままとなった。自分は、わが国の政治家がほんとうに国家、国民を愛しているのかどうか、民主議会を守らうとするのか情けなくなった。涙か出てしようかない。わか国民に再び敗戦と同じ、うきみを味わせて、それでよいのであらうか。西独乙、南北朝鮮、南北ヴェトナムのやうになることを、今なぜふせかぬのであらうか。
自分は固い決意をせざるをえなかった。
十二、午後九時三十分頃
大野先生か室に来られた。君の声涙下る話が、わかる相手ではないと話されて、出て行かれた。
十三、議長から直接ベルを鳴らすよう命じられた。
予鈴一〇、二五、
本鈴一〇、三五

【23コマ】
(警官メモ)
五月十九日
一、午后九時十分 議長の五百名要請命令
二、午后九時三十一分 梅本参事官に手交
三、逮捕排除 同時
四、午后十時五十五分 荒尾から電話で議事堂内に入れることを命ぜらる
五、午后十時五十六分 伊藤第五方面本部長に伝ふ
六、午后十一時六分 議事堂に入る
七、二十日零時三十七分 解除、但し一個小隊を残す
八、議長退庁 廿日午前一時二十分
九、廿日午前一時二十四分 一個小隊解除

【24コマ】
五月二十日
昨夜は警官の妨害者排除が出来るかどうか、懸念かあったので、議長室に、かん詰になり乍ら電報と公報の手配すなわち、二十日午前二時ということを総務課長に命じた。しかし、本会議か開かれたので、その手配を議場の中で打ち消した。
一、午前〇時六分再開するに至る経過は、会期の延長さえすればそれでよいと思って、議長に散会してはと話そうとしているところに、荒船氏、福永氏が来られて、安保は上っているので、この際上程

【25コマ】
したいとのことであったか、議長も、私も、安保が上ったことは、議場に入るまで、誰からも連絡はなかった。
福永氏か来られたときも、再三、よく御相談願い度いと申したら、帰って、党と相談したが、是非やって貰らい度いとのことであった。議長にその旨を話したら、やらうとのことであった。
緊急上程の上委員長の報告があって、討論なしで採決した。

自分は何と云う運命の者であるかと思う。星島、加藤、清瀬の三代の議長に亘って、

【26コマ】
両党の話合のつかぬ議事を主宰して貰う羽目にあるとは。
殊に今次の安保はこれ迄とは違って、国際的影響のあるものであり、自分は昨年末に辞表を出したとき、各党の留任勧告に応じたのも、この日は誰がやっても傷つくのであるなら、どうせ一度退職を決意した自分が、当ってやることが、せめて、野党とのまさつも、新しい総長よりは少いことと思い、それは後任の総長に対する思いやりでもあるとして、決意して今日に至ったのであるから、本日は、その仕事

【27コマ上】
か終了したのであるから、ここで辞表を提出するが順序として提出した。

○警

【27コマ下】
五月二十七日
清瀬議長か曽つての正副議長を十一時から私邸に招き、これまでの経過を報告するとともに今後の措置につき意見を求めた後、自分は年来の願いである辞職を許して頂き度い旨、再三願いたるも、岸が総辞職するまではとのことであった。
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