史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

[講和安保両条約に対する態度決定について]

[講和安保両条約に対する態度決定について]

※ 謄写印刷部分(6コマめ)、草稿重複部分(16~17コマめ)はテキストを作成していません。省略した部分には、〔作業者注:~部分省略〕と注記しています。



一 衆参両院議員総会が十月十日開かれました。第廿七回中央委員会の決定に基づき中央執行委員会の決定を報告しました。然しその日は質疑を行わず十月十七日に質疑を行ひました。此の中央執行委員会の決定を承認するや否やで相当議論が行なわれましたがその採択すべきであるとの議論もあった。党大会の決定が行わるる迄は当然闘争の基準として考慮さる可きであり。既に質問者決定、内容等その様に為って居るとの諒解の下諒承することに決定した理由です。

党に移牒

昨日の中央委員会に於ては第一回中央委員会から今日に至る中央委員会提出の原案を含めた党務報告を致しました。約三時間に亘る質疑応答が行れまして、原仮議長から諒承願ってはと動議が出されが私か承認か不承認かを決定して貰ひたいと提議、何等の反対なく満場一致承認されました。

中央委員

斯くて講和に対する体度は中央執行委員会で 講和条約賛成 安保条約反対 といふ体度を決定。これが議員総会では諒承を受け中央委員会では承認を受け、今大会となった理由です。
私共執行部は中央執行委員会の決定を以って大会に至る迄の党議して斗ひを進めて参りました。大会の承認を得て確定的党議として参りたいと存じます。諸君、大会における批判は徹底に願ひたいと思ひますが、然結局は信義と友愛の上に起って御承認を願ひます。
最后書記長と一言 鈴木委員長 書記長 党を一本にまとめたいと就任する時一身は念願から敢へて引受けて今日に参ります。今、身に隠かに感ずる社会党統一性を欠く危険性であります。私か所謂直視主張した 講和条約諾 安保反対 いふ立場を ①党大会決定の外交方針はこれを確認する ②現実は直視する ③党の団保持する いふ事からであります

〔作業者注:謄写印刷部分省略〕

先きに党本部より御通知申上ました通り来る十月二十三日臨時党大会を開き講和に対する社会党の最終決定を行ふ事になりました。十月五日の中央執行委員会は講和に対する体度は、講和条約には賛成、安保条約に対しては反対といふ体度を決定したのであります。世論は先に送附した様に賛否二つの議論があります。中には社会党は此の体度決定に就て分裂止むなしと説くものがあります。然し社会党は平和の為の論争の為党内平和欠く結果になる事は絶対に避けなけばならないと存じます。社会党が体度を決定する為には次の三つの条件の上割出してゆく必要があると思います。即ち、一、外交方針を確認し発展せしむること。二、講和が結ばれてゆく現実はこれよく見ること。三、党の統一性保持すること。
我党は第五、第六大会に於て外交方針を決定しました。そしてそれは三原則―全面講和、軍事基地の提供反対、中立堅持―に要約されて居たが、昨年六月朝鮮動乱を起るや平和五原則を決定、の下に平和運動を展開し来って本年度の一月党に於て@@則五原則を含む外交方針を確認の再軍備反対を決定しこの方針の下、日本の独立と平和の為に斗って来たのであります。その間米英両国によって対日講和会議は推進せられ、九月上旬五十一ヶ国の参加得て調印式が行れ、ソ連、チェッコ、ホーランドは除四十九ヶ国によって調印が行われ、我等の強く要望した、全面講和は達成出来ない結果になった。勿論我等の要求せる全面講和は内容と形式共にそろふ者でなければならないと主張したのであるが、結果は多数派講和の形によって講和条約が調印せられたのであり其処で全面講和でないから此の講和に反対し、これを否定せんとするのか或は我々はあらゆる努力を払って全面講和の為に努力したが、我々の努力は入れられず遂に多数派講和の成立を見た。其処て非常そのものは非常に不満であるがこれを独立の第一歩と認めて独立後は未調印国家、未批准国家との国交を調整、全面講速条約の改正運動を展開すると成る為に努力するか?何れかの道を選ばなければならないと存じます。私は講和会議とは戦争の終止符を打つ事であり国家独立の保全を

然し、講和条約と安保条約とは不可分であって安保条約が

アメリカから戦略的な立場 日本民族の主体性の立場―独立の恢覆である。

今社会党に取って最も必要な事は信念、信念の争
同志にあり
新しき政治、経済、文化は始められなければならない。

独立後日本の政治
共産党―自から非
ファッショ勢力=独自的 自由党温床
自由党には我等の斗争
我等の勢力
保守二大政党対立の状態

批准に対する体度の決定
一、 三原則はこれを尊重する。
二、 現実はこれを直視する。
三、 党の統一性を保持する。

妥協

一、 講和会議は(イ)戦争に対する終止符である。(ロ)国家独立の機会であるー戦争によって失はれたる国家の自主権の恢復である。従って我等講和条約は国家独立の機会として承認する。然し、領土、賠償、安全保障の問題等日本が完全独立国家たらしむる為の改正運動を展開する。亦我等は講和の形式を全面講和においてこれが実現の為に努力して来た。これは形式と内容であるが内容は右の如く改正斗争を展開すると共に形式的には未調印国家との間に一日も早く平和関係が実現し全面講和の完成を期す。

二、 日米安全保障条約
此条約は日本が独立後独立国家として平等な立場から結ばれる性質であるにも拘らず
1、 講和条約と平行的に調印された事は我等の諒解に苦しむ。
2、 条文は簡単にして一切を行政協定にゆずって居るがこれは行政部に独裁を許す立法府の白紙委任状にて納得できない。
3、 長期に亘って特定の軍隊が駐留することその国の性格をかへることになる。独立に主権に制限を加へることになる。

依って反対する。


〔作業者注:草稿重複部分省略〕


鈴木委員長は今自己の見解を発表するに至った。それは過去の中央執行委員会の決定を無視する委員長の独断的見解である。委員長は常に党議決定に従って党議決定に従ひ保守反動の勢力と決戦すると共に党内調整の為の中心でなければならない。今回の講和論議も中央執行委員会決定の方針で委員長自から陣頭に起って吉田と一騎打をなし更に党内調整に努力することが当然の任務である。これなさず今自己の見解の発表せる事は委員長の職責を放棄したものであり、党分裂の素因を作ったものである。今後党が分裂する様な事があればその全責任は委員長が負ふ可きである。自己の立場を作る為に大衆の血と汗の努力の結晶たる大衆組織を犠牲にしてはならない。政治家は信念と信義と友愛が必要である。

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