史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

大東亜戦争ヲ不利ナル終結ニ導キタル原因並ニ其責任ノ所在ヲ明カニスルタメ政府ノ執ルベキ措置ニ関スル質問

大東亜戦争ヲ不利ナル終結ニ導キタル原因並ニ其責任ノ所在ヲ明カニスルタメ政府ノ執ルベキ措置ニ関スル質問



【1コマ~5コマ】

大東亜戦争を不利なる終結に導きたる原因並に其責任の所在を明かにするため政府の執るべき措置に関する質問

大東亜戦争は肇国以来未曾有の惨事にして而も其帰趨は国民の斉しく痛歎措く能はざる所なり。事の茲に至れる縁因は素より複雑多岐にして従って敗戦の責任もまた亦之をニ三の戦争指導者にのみ帰すべきに非るは言ふ迄もなし。

然りと雖も昿古の大戦争が国史に例なき敗戦に終りたる原因を検討し其責任の帰する所を明白にするは民族再生の門出に欠く可らざる反省と刺戟とを与ふる指針にして、同時に又輔弼責任の大義を匡し国体を明徴ならしむる所以なりと信ず。

依って本員は政府に対し特に左の諸点を質し政府の率直なる答弁を求め以て国民の向ふべき方途を指示するに資せんことを希ふ。
 第一、政府は大東亜戦争が何故に帝国にとり不利に終結したりと考ふるや
 1、政府は我国が世界より孤立するに至りし事情は何処に端を発し如何に進行したりと思惟するや
 卑見によれば
 大東亜戦争に際して我国が終に世界の四十個国を敵として戦ふの止むなき情況に陥れる根本は満洲事変の善後措置を誤れるに基因す。満洲事変直後の国際環境は其直接の相手が中華民国にして之を支持せるものは主として北米合衆国と蘇連邦、之に伴随して英仏を中心とする国際連盟参加国なりしことは今尚吾等の記憶に新なる所にして「ヂュネーヴ」に於ける外交的布陣は十三対一の票決により世上に明白にせられたり。
 帝国が満洲事変の結末を平和的に処理し国際的孤立を避けんと欲する限り、前記の情勢に対処して当時妥協を熱望したる英国及び蒋介石政府並に満洲問題に無関心なりし仏伊諸国と善後措置を協定し、逐次アメリカ及び蘇連邦との交渉に着手すべかりしものと信ず。此等の対策は我国が国際連盟を脱退せる後に於ても決して不可能事に非ざりしなり。
 然るに当時の為政者は毫も外交的折衝に思慮を周らさざりしのみならず国民の識慮を圧迫して外交国策の中正を喪はしめ中華民国に向っては実力を以て之に臨み欧米各国に対しては東亜より手を退くことを要求して一切の妥協を排する方針に出たり。
 蓋しアメリカは一八九九年以降支那に於ける門戸解放主義を以て其極東政策の中核となし(其当時我国も亦列強と共に之を承認したり)爾来一貫して此方針を固執し来れり。英仏其他の連盟参加国は満洲及び北支に直接重大の利害を有せざるも国際連盟の集団的安全保障主義は直接自己の保存に緊密の関係を及ぼすを以て満洲事変の解決は直ちに連盟存亡の岐

【6コマ~10コマ】

るる重要案件なりと思料したり。従って帝国が此等諸国と外交的に何等かの調整を行はざる限り早晩世界多数の国々と武力的衝突を惹起すべき危険を包蔵したるは予想し得たる所にして之が調整を見ざるに先立ち支那事変の勃発したるは益〃此危険を増大したるものなり。殊に自負心強きアメリカ国民が其東亜政策を一擲して無条件に我国の主張に追随するが如き事態を期待し得ざるは何人にも明白の事理たりしなり。
 斯る情勢に処して帝国政府は其国際的孤立の地位を脱せんが為め当時民主々義諸国と拮抗せる独伊両国と結び之に依って反対勢力を抑圧せんと企図せるも、対支政策に関する限り独伊と雖も欧米各国と其利害を一にせるのみならず、却って東亜問題を世界制覇の闘争に関連せしめ而も地理的条件の上より相互援助の作戦は殆んど不可能に終れり。加之反ファシズム反ナチズムの感情が高潮せられつつありし当時の世界に於て我国が独伊と同盟を締約したるは終に思想的にもデモクラシー諸国と相対立する立場に身を置くこととなり、英米蘇との戦争を必至の情勢に導くに至れり。
 斯くて満洲事変が支那事変を産み日支の抗争が大東亜戦争に発展したるは一度進行を始めたる雪崩が低きに向つて奔ると均しく、中途に之を阻止する制動機の働きは殆んど言ふに足らざる微弱のものに過ぎざりしを思はずんばあらず。
 右に対する政府の所見を問ふ。
 2、大東亜戦争開始に際し帝国々防兵力に充分の準備ありしと思料するや
 卑見によれば
 昭和六年以降歴代の政府は我国の環境が孤立無援なる事実を承知しつつ之を改善する努力に成功せず。去りとて英米蘇支を仮想敵とする軍備を修めたりとも見へず、其間一部勢力は所謂危機の到来を強調し国内宣伝はひた向きに世界大戦の機会切迫せることを強調したり。

【11コマ~15コマ】

政府は連年に亘り軍事費の増加を要求したるも(議会・新聞紙共に軍事費の増額に反対せる事実なし)素より二大海軍国を目標とする大規模の軍備充実に非ざりしこと明かなり。

想ふに国防政策は外交方針の確立と相俟って始めて其具体的兵力量を決定し得るものなるに拘らず、外交方針は屢々浮動して一定せず。時には支那と蘇連邦とに対抗する二正面作戦を仮想し後には蘇連の中立を前提として英米に対抗する姿勢を執れる如き其例なり。

 昭和十一年に決定せる軍備充実計画は其完成を俟たず支那事変の開始により変更を加えて続行せられたるも、当時の充実計画と雖も其根本に於て近代戦の本質を把握せざりしものなりしが故に蒋介石軍と闘ふこと前後八ヶ年に亘りて終に之を捕捉殲滅するに至らざりき。大東亜戦争に於ても亦蓄積せる戦略資材によりて容易に勝利を贏ち得べきが如き安易なる見解に終始し開戦後一ヶ年余にして漸く航空機、艦船等の増産を強調し始めたりと雖も時期既に遅く敵の優勢なる生産力に対抗して之と伯仲の力を維持すること不可能事に終れり。
 要するに問題の核心は日本の国力を以て大陸に於ては蘇・支両国の作戦に備へ海上に於ては英米合同の海軍力に対抗する如き国防計画の樹立が可能なりや否や。若し可能ならずとせば尠くとも国防計画に合致する外交政策を以て国防の安全感を確保すべかりしに非ずやとの点なり。蓋し独伊との防共協定並に軍事同盟は斯る構想の下に行かれたるものならむも該同盟が太平洋戦争に多くの援助を与へ得ざりしことは後に事実を以て証明せられたり。
 右に対する政府の所見を問ふ。
 尚ほ昭和十六年十二月八日に於ける帝国陸軍保有兵力量を昭和二十年八月初当現在の兵力量と共に明示せられむこと望む。
 3、戦争指導の機構に遺憾の点ありしを認めざるや。
 政戦両略の一致は勝利の要諦なり。即ち統帥と国務との一致が緒戦以来国内に於て常に要求せられたる所以なりとす。然るに日支事変発生以来戦争指導の最高責任が奈辺にあるやは日清日露両戦役当時の慣例に反し今次の戦争に際して終始曖昧の裡に葬られ歴代内閣は此点につき明確なる決定を為し得ざりしこと小磯、鈴木両総理大臣の議会に於ける言明に徴して明かなり。
 凡そ戦争が国務中の最重要国務なることは何人も異論なきところなるが故に戦争指導の

【16コマ~20コマ】

最高責任が内閣の首班に存すること、帝国憲法の条章に照して一点の疑を容れず。何故に歴代の内閣は斯る問題につき遅疑したるかの内情は之を揣摩する以外に途なきも、之が為め内閣総理大臣が久しく大本営会議に出席せず大本営にて何事が議せられたるやを知るの機会なくして終れり。この事実のみより判断するも今次戦争中政戦両略の一致が如何に困難なりしやを推測するに難からず。此点敵に一疇を輸したる跡あるは掩ふ可らざる事実にして、国民の間には夙に之を憂へ曠古の戦争指導につき深甚なる工夫を凝らすの必要を力説せるものありし所以なり。
 右に対する政府の所見如何。

 4、銃後の施策に幾多の過誤ありたりと認めざるや
 総力戦の勝敗は生産力と国民の気力とに依りて決せらる。換言すれば銃後の施策が戦争指導の大半をなすものなるは既に第一次世界大戦の経過に徴して明なるところなり。此事実は歴代内閣に於ても決して等閑視したる訳に非ざる如きも念じて而も実行に怯なりし観あるを免れず。
 卑見によれば
 銃後に於ける生産増強に最も大なる障碍を為せるものは官僚統制の失敗なり。我国が今次大戦に際して採用せる各種の統制は一言にして言へば官僚統制にして凡百の案は世情に疎き机上論より発足し之が運用の衝に当る者は業界に経験なき吏僚なりき。其結果は業者の生産意欲を冷却せしめ生産力を減退せしめ、製品の責質を低下せしめたり。
 生産力の減退に拍車を掛けたる原因の第二は指導者の無計画性なり。その依って来る所は開戦前の旧思想に基き蓄積せる戦略資材を以て勝利を獲得し得べしと考へたるに拠るものならむも、一度増産に着手するに及びて生産面にも配給面にも随所に其欠陥を露呈し、常に物動計画と実際生産とに不一致を来たして終に事業界に混乱を捲起すに至れり。
 第三に指摘すべきは軍需生産の指導監督の衝に当れる軍・官当局の科学技術に対する無理解無方針なり。我国の科学技術は未だ泰西強国の水準に達せざりしとするも近年進歩の見るべきものあり。之を巧に応用すれば兵器の製造に貢献する所尠からざるものありたるべし。不幸にして軍・官上層部の旧慣は毫も科学技術を重視せず、科学者技術者の進言を用ひるに吝なるのみならず只管兵器行政にのみ重点

【21コマ~25コマ】

を置き研究並に生産の実際場面に於ても学識経験ある科学技術の専門家に何等の権限をも与へず、之を近代科技術に暗き軍人軍属吏僚等の命令下に置き冷遇し、又彼等の創意工夫を軽視する等、科学技術者をして其の専門の学術技術を通じて国家に奉仕する機会を失はしめ、情熱と意気を沮喪せしめたり。其他兵器の種類の整理統制に力点を置かざりし結果資材の浪費及び生産能力の低下を来たし、或は絶へず某々の戦訓と称して兵器の改変を行ひ、或は有ふれたる小銃機銃を初め測距儀双眼鏡の如き普通兵器をも秘密兵器として民間会社の製作に委ねず、更でだに設備人手の不足せる軍工廠の生産能率を低下せしむるが如き其の無定見無方針の実例枚挙に遑あらず。之を要するに軍官は自己の仲間以外の如何なる国民をも信頼せず斯くて優秀なる兵器の発明にも亦其多量生産にも失敗せしのみならず知らず識らずの間に軍官民離反の忌むべき結果をすら惹起せるものの如し。
 之を欧米の交戦国が組織的に科学技術者を総動員し彼等の進言並に創意工夫を尊重し又夫々の研究機関を設けて大規模なる実験を行はしめ、斯くて多くの優秀なる兵器の発明と之が多量生産に成功せるとは正に雲泥の差ありと言ふべし。我国に於ても科学奨励の必要を提唱したる者ありしも、徒に掛声のみに止まりて戦術を一変する如き新兵器の発明に成功せざりしは周知の通りなり。原子爆弾やB29が米軍優越の一大要素たりしを思ふ時我国は戦争に敗れたるに非ずして、敵の科学技術に押潰されたるものと言ふも過言に非ざるなり。
 第四には人的資源の活用に於て多くの錯誤を犯せることなり。凡そ能率の増進は適材を適所に配置するを第一義とす。然るに軍の動員は絶へず技術者及び熟練職工を生産工場より引揚げ之が為めに軍需生産の阻害せられたること尠なからざるものの如し。其他徴用工、挺身隊、動員学徒、勤労奉仕隊の活用に於ても無計画に而も無秩序に行はれ概して非能率的なりしことも掩ひ難き事実なりとす。
 我国の如く一億人の人的資源を擁しつつ常に労力の不足を愬へざるを得ざりし事実は深く反省に値するものあるべし。
 第五に防空及び疎開に関する無方針不統一より生ぜる国内の混乱を挙げざるを得ず。先ず防空方面に於ては所謂防空訓練が実戦に於て如何に無力無効なりしかは戦災者の異口同音に語る所にして、結局時間の浪費以外の何者にてもなく又防空壕が屋内説より屋外説に移

【26コマ~30コマ】

り無蓋式より有蓋式に更に横穴式又は鮹壷式と変り最後に原子爆弾に至りて遂に策無しとなれるが如き最も顕著に無方針を曝露せるものなり。
 次に疎開に関しても最初は自己の居住する都会の死守を命じ之に反するものを非国民とすら呼べる其舌の根の未だ乾かざるうちに一度敵の空襲を受くるや否や要員以外の疎開の勧奨が半ば強制的に指示せられ之に従はざる者が此度は非国民扱ひを受けしが如き其為めに疎開の時機を失し疎開者並に受入側の準備不足に由る紛乱摩擦を生じ、且つ輸送機関を極度に混乱せしめたり。
 此防空及び疎開に就てのみ見ても当局の指示命令が如何に泥縄的にして且つ非実際的なりしか又其の方針が如何に不統一無定見なりしか明瞭にして、銃後の人心を絶へず不安動揺に追ひやりし根源の有力なる一つが世間知らずの官僚の机上より生ぜるものなること強調せざるを得ざるなり。
 第六に食糧政策の不適正を指摘せざるを得ず。我国は既に久しく食糧輸入国の地位にありしことドイツ又はイギリスと同様の事情にありたるを以て戦争の開始に際しては特に国内の食糧増産に意を用ひ或は食糧の購入貯蔵に留意すべかりしなり。然るに為政者は徒らに豊葦原瑞穂の国の観念に捉はれて久しく緊急適切なる施策を講ずることなく無為の歳月を空費せり。之が為め戦争の終期に入りては食糧不足のため工業生産の減退を生じたるのみならず、国民の戦意喪失をすら惹起する原因となれり。
 右所説に対する政府の所見如何。
 5、思想戦の態制に欠くる所ありたりと思考せざるや
 近代総力戦に於て優位を獲得するには国民の一人一人をして戦争に責任を感ぜしめざる可らず。国民をしてその当面せる戦争を以て軍部及政府の戦争なりと思はしめるが如きことあらば近代戦は先づ此点のみにて敗北する外なし。これ思想戦の重視せらるる所以なりとす。

【31コマ~35コマ】

支那事変の発生、大東亜戦争の勃発は日本国民に大なる衝撃を与へたるも国民の多数は開戦直前に至る迄斯る大戦争を予知せず。従って物心両面に亘る充分の準備なくして戦争に突入せるものなり。

 五・一五事件及び二・二六事件以降我国政界に於ては軍部の勢力著しく進出し議会勢力の退潮は遂に政党解消となりて現れ、何時の程にか軍部と官僚とが政界推進力の中枢となれり。他方所謂全体主義政治の名の下に言論は梗塞せられ、自治精神は萎靡し、所謂衆議統裁と称して権力独善の風潮一世を風靡したり。斯る政治体形を以て対外戦争に突入せるものなるを以て国民の多数は相率ゐて面従腹背の風潮に泥み其間毫も発刺清新の気風を見ざる状態にありしは怪しむを須ひず。
 之に加ふるに厳重なる警察官と憲兵隊の取締は新聞雑誌其他の言論機関と政談集会並びに議会の言論を抑圧し憂国の至誠より発する政策の批判をさへ封じ去り其結果は政治の貧困に一層の拍車をかくる状態となれり。
 斯る間にも官民の間に強力なる国民組織を要望する声あり。近衛第二次内閣は大政翼賛会なるものを組織し大抱負を以て発足せるもやがて其実質に於ては官製の公事結社たるに止まり、行政の補助機関としては屋上屋を架する弊に陥り政党の代用品としては国民大衆の熱意を喚起し得ず、殊に東条内閣の結成したる翼壮は選挙干渉の手先となりて早くも破綻の因を造れり。於是国民組織は再び政党復活に依るの外なしとは東条内閣の到達せる結論なりしが如し。
 然るに昭和十七年四月に行はれたる衆議員議員総選挙に際し東条内閣の敢行せる選挙干渉(其事件の一端は昭和二十年二月五日大審院が下せる鹿児島県に於ける選挙無効の判決理由中に評記せられあり)は完全なる政府与党を結成するの機会を与へ一国一党の実を挙げ得たるも、其半面には恰も政府自ら国内人心の一致を妨げたる如き結果を生じ世事を憂ふる者は黙して引退し或は引退を余儀なくせられ、然らざるものは造言蜚語の罪に問はれたり。此間社会の表面に活動を続くるものは自発的に或は止むを得ずして権勢に諛媚し時局に便乗して利得の追求と一身の栄達を図るに汲々たりしもの尠としせず。
 前記の如き世相の下にも第一線の将兵は不断に善戦を続けたり。然れ共戦争三ヶ年を経過して民間に於ける衣食住の不自由漸く甚しく為めに国民の多くは自己の生活に逐はれて

【36コマ~40コマ】

遂に恥を忘れ斯くて道義漸く地に堕ちて民心の融和又望むべくもあらず。政府は声を大にして国民の責務を強調せるも国民は却って政界上層部の責任観念に疑惑を挿み行政の末端を掌る多数官僚の独善と腐敗とは自ら官民の離反を招き経済生活の窮迫と闇取引の横行とは益々人心を険悪ならしめたり。
 政府は其対策に腐心しつつも尚ほ民心の機微を察し得ずその行ふ所屢々機宜を失ひその言ふ所民衆の共鳴を贏ち得ず。従って政府の威信次第に軽く軍に対する信頼は戦局の不振と共に動揺し、国民は一切の公事に関心をもたざる如き事態を発生せり。殊に戦時経済の変動による所得階級の変転、戦災による無産階級の激増、生活に対する前途の不安等が食糧事情の窮迫と相俟って社会不安を助長し、終に戦勝の希望を失ふものを生ずるに至れり。之専ら戦争指導に政治性を欠如せるに基因するものと言はざる可らず。
 第二、大東亜戦争を不利の終結に導きたる責任は何処にありと思考するや
 大東亜戦争が敗北に帰したる原因が多岐複雑なりとせば其責任の所在を明かにすることも亦容易ならず。或意味に於ては国民全体が其責に任ずべきものと言ひ得ざるに非ざるも而も其責任に大小軽重のあるべきは論を俟たず。況んや過去数年来国民は其耳を掩はれて敵を知り己れを知るの方法なく政府官僚の言説に信頼を置きて其命令の儘に行動したるに過ぎず。今に至って敗戦の責任国民大衆に在りと言はば必ずや彼等の憤激を買ふべし。本員が問はんとする所は敗戦につき重大なる責任を負ふべきもの如何との点なり。
 敢て政府の答弁を求む。
 第三、大東亜戦争を不利なる終結に導きたる原因並に其責任の所在を明かにするため政府は如何になる措置を執らむとするや

今次大戦に於て敗戦の止むなき至りし原因並びに其責任の所在に就ては国史の見地よりしても又世界史的観点よりしても将来史家の研究に俟つべきもの多く今遽かに其全豹を尽し難きことは之を諒とするものなり。然れども今日より之が研究の資料を保全し且特殊の機関を設けて調査の任に当らしめ速かに一応の報告を公表して国民の期待に副ふは政府当


【41コマ~42コマ】

然の職責なりと信ず。
 思ふに自己批判と峻厳なる反省とを怠りて行動するものは個人たると国家たるとを問はず必ず没落の悲運を招来すべし。本員は我国民が現下の難境に処して冷静に過去の全過程を回顧し国民的反省の機会とするは正に民族再生の第一歩なることを確信し、敢て此質問を提起せり。
 政府がこの質問に答へて率直大胆に其所信を国民に披瀝するは即ち其進むべき針路を指示する所以にして、世界も亦之によりて我方の崇高闊達なる精神を感得すべきを信じて疑はざるなり。

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