史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

吉田茂書翰 来栖三郎宛

吉田茂書翰 来栖三郎宛

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【封筒表】

〔作業者注:数文字欠〕郡酒田村〔作業者注:数文字欠〕瀬戸格氏方
原田熊雄殿
恵展

【封筒裏】

丗一日
大磯町西小磯
切通
吉田茂

【書翰】

別紙葉書は来栖君に書きたるか、老兄の御慰みに貴覧に供候。来栖には別に認め候。
過日は御無心申、恐縮千万に候。右は御恵贈之由、夫れては却而小生に於て迷惑至極、実は之を御縁に屡々御無心致候つもり、何卒通帳に願申候。山口老女将参致之由、婆多年の御ヒイキ、又将来を慮り、早速御機嫌伺に参候事と存候。尚貴翰末段に到ては不敢当、折花はん柳はそちら様こそ先達堪能、折角御自重御自愛可相成候。御礼迄、草々頓首。

原田男閣下
何日頃帰らるる也、小生は来月四五日上京、牧邸を見舞候。

【葉書1枚目表】

敬覆、遂に来るものか来候。If the Devil has a son, surely he is Tojo. 今迄の処、我負け振も古今東西未曽有の出来栄と可申、皇国再建の気運も自ら玆に可蔵、軍なる政治の癌切開除去、政界明朗国民道義昂揚、外交自ら一新可致、加之科学振興、米資招致により而財界立直り、遂に帝国の真<(りっしんべん)+隨の右側>一段と発揮するに至らは、此敗戦必らすしも悪からす。雨後天地又更佳、兎に角事態存外順調、玆に至れるは一に聖断による戦局終結、

【葉書1枚目裏】

よくこその此御勇断と唯々感激の外無之、誠に皇天尚未た我を捨てすと奉存候。老兄の世界的ウソツキの名声も、真相判明せは自然雲消霧散可致、余り気に病まれ間敷。

【葉書2枚目表】

米人気質わかれはグズグズ申さぬ流義、之より日米善解に努力するか吾等の御奉公に可有之。山上白雲去来を侶とするも可、下山下界に暢談閑話も一興、手狭間ながら焼出されても尚御宿する位の仁義施すの余勢あり。御来遊如何、此地の原田老先生焼夷弾におどかされ高麗山崫を出、松田にかくれ頻りに寂寞に不堪さるか如く、折柄同地疎開の山口の老女将差向候処、両老大に意気投合、夜更けも知らす喋々喃々と

【葉書2枚目裏】

見て来たようなはなしあり。因果はめぐる何とか、嘗て小生共を苦しめたるケンペイ君、ポツダム宣言に所謂戦争責任の糾弾に恐れを為し、米俘虐待の脛疵連、昨今脱営逃避の陋態、其頭目東条は青梅の古寺に潜伏中のよし。釈放せられし当時、

【葉書3枚目表】

実は今に見ろと小生も内々含むところなきに非りしも、今はザマを見ろと些か溜飲を下け居候。此間の味は老兄の如き娑婆にて楽をせし人にはわからす、是非一度経験を御勧め申度呵々。鳩公もなかなかのもの、嘗ては小生同様の厄に会ひそふの処、浅間山にかくれ今や頃合とのこのこ下山、米の注文通デモクラシーとなれは、差当り我世の春は先生独占か。東京にて今頃は浦賀沖の米艦隊を見て本郷の撰挙民か船に乗って来た位に考て居るへく(マサカ)、

【葉書3枚目裏】

家の子朗党も大にあやかり度と、先生先生と大はしゃぎかと存候。こうなると役人上りは孤影粛然、平生居候を世話する心配なき代はりに、いつも同様に不景気に候。

【葉書4枚目表】

小生は兼而拝借のTrevelyan's History of Englandを耽読中、我現状は恰かも独立戦争当時の英に酷似、殖民地十三州を失ひ、欧大陸仏初め悉く敵、孤立無援衆怨集中。然し此間再興の機運を蔵し奈翁戦争前後より両Pitts, Peel, Castlereagh, Canning, Palmerston, Disraeli等、一代の名外相輩出、遂に十九世紀の英国を築上たる史跡、再読して感慨無量。Kurusu & Yoshida Co.にて右諸名相を兼摂引受、狂瀾既倒

【葉書4枚目裏】

後に泳出す案は如何。海は山とちかひ兎角楽観気分、思はす知らす絵ハカキ数葉損仕候。此賠償の為御尊来奉待望候。老夫人へ宜敷。
八月廿七日

来栖老兄大人玉案下
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