史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

大木手記 昭和廿年五月十六日―六月八日 七月十四日 戦災

大木手記 昭和廿年五月十六日-六月八日七月十四日 戦災



五月廿五日(金)晴
一、朝起き出てて焼跡見廻はる。炊事は元の洗濯場等利用、朝食は物置前の戸外にて六人団欒してとる。卵、福神漬等。
一、十時、東京病院に行き治療をうく。斉藤皮膚科部長。
一、登院、十一時より交渉会、正午警報出で帰宅、静養。見舞客、佐々木侯、長、瀬古、津雲代ギ士、伊庭、阿べ。
一、夜十時半警報、大編隊空襲。
 青山赤坂方面より火勢強く、防空壕に一時避難して居たが危険に付小林君の官舎を捨てて、十二時頃家族一同小熊の自動車にて脱出する。議会正門横にて下車登院、院内騒然、星出運転手娘爆死の由にて悲壮の気漂う。家族等は車諸共宮城前より大手町方面に避難す。風強く予算委員室窓掛、廊下のカーテン燃えるのを皆にて消火作業、大事に至らす。

五月廿六日(土)晴
一 院内異常なし、消火に努む。
一 避難者多く院内に逃れ来る。二時半頃岡田厚生大臣避難し来り、次て三時頃その家族避難し来る。番町青木氏四時頃来院、その他家族親戚達来院避難し来る。
一 勝田、松田、島田等来院避難。
一 余は官長室に在つて指揮、夕刻家族一同と共に、警ム課宿直室に落付く、寝具類は再度の空襲にて全部焼失。

五月廿七日(日)
一、島田、内ヶ崎、金光、川島氏等、午前中来院。
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