史料にみる日本の近代 -開国から戦後政治までの軌跡-

[民撰議院設立建白草稿 (三種)]

<参考> 民撰議院設立建白書

※ 本テキストは展示史料に基づくものではなく、猊剌屈社編『日新真事誌』<当館請求記号 新-540>(1874.1.18)掲載の「民撰議院設立建白書」に基づくものです。



某等別紙奉建言候次第平生之持論にして、某等在官中屢及建言候者も有之候処、欧米同盟各国へ大使御派出之上、実地之景況をも御目撃に相成り、其上事宜斟酌施設可相成との御評議も有之、然るに最早や大使御帰朝以来既に数月を閲し候得共、何等の御施設も拝承不仕、昨今民心洶々、上下相疑ひ、動もすれは土崩瓦解之兆無之とも難申勢に立至り候義、畢竟天下輿論公議の壅塞する故と実以残念の至に奉存候。此段宜敷御評議を可被遂候也。
明治七年第一月十七日
高知県貫属士族 古沢迂郎
同       岡本健三郎
名東県貫属士族 小室信夫
敦賀県貫属士族 由利公正
佐賀県貫属士族 江藤新平
高知県貫属士族 板垣退助
東京府貫属士族 後藤象二郎
佐賀県貫属士族 副島種臣
左 院 御 中
臣等伏して方今政権の帰する所を察するに、上帝室に在らす、下人民に在らす、而独有司に皈す、夫有司上帝室を尊ふと曰はさるには非す、而帝室漸く其尊栄を失ふ、下人民を保つと云はさるには非す、而政令百端朝出暮改、政情実に成り賞罰愛憎に出つ、言路壅蔽困苦告るなし、夫如是にして天下の治安ならんことを欲す、三尺の童子も猶其不可なるを知る、因仍改めす、恐くは国家土崩の勢を致さん、臣等愛国の情自ら已む能はす、乃ち之を振救するの道を講求するに、唯天下の公議を張るに在る而已、天下の公議を張るは民撰議院を立るに在る而已、則有司之権限る所あつて、而して上下其安全幸福を受る者あらん、請遂に之を陳せん、
夫人民政府に対して租税を払ふの義務ある者は、乃其政府の事を与知可否するの権理を有す、是れ天下の通論にして復喋々臣等の之を贅言するを待さる者なり、故に臣等窃に願ふ、有司亦是大理に抵抗せさらん事を、今民撰議院を立るの議を拒む者曰、我民不学無智未開明の域に進ます、故に今日民撰議院を立る尚応さに早かる可しと、臣等以為らく、若果して真に其謂ふ所の如き乎、則之をして学且智、而して急に開明の域に進ましむるの道、即民撰議院を立るに在り、何となれは則今日我人民をして学且智に開明の域に進ましめんとす、先其通義権理を保護せしめ、之をして自尊自重、天下と憂楽を共にするの気象を起さしめんとするは、之をして天下の事に与からしむるに在り、如是にして人民其固陋に安し、不学無識自ら甘んする者未た之有らさるなり、而して今其自ら学且智にして、自其開明の域に入るを待つ、是殆んと百年河清を待つの類なり、甚しきは則今遽かに議院を立るは、是れ天下の愚を集むるに過さる耳と謂に至る、噫何自傲るの太甚しく、而して其人民を視るの蔑如たるや、有司中智功固り人に過くる者あらん、然れ共安んそ学問有識の人、世復諸人に過くる者あらさるを知らんや、蓋し天下の人如是く蔑視す可らさる也、若し将た蔑視す可き者とせは、有司亦其中の一人ならすや、然らは則均しく、是不学無識なり、僅々有司の専裁と人民の輿論公議を張ると、其賢愚不肖果して如何そや、臣等謂ふ有司の智亦之を維新以前に視る、必す其進し者ならん、何となれは則人間に智識なる者は、必す其之を用るに従て進む者なれはなり、故に曰民撰議院を立つ、是即人民をして学且智に、而して急に開明の域に進ましむるの道なりと、且夫政府の職、其宜に奉して以て目的となす可き者、人民をして進歩するを得せしむるに在り、故に草昧の世、野蛮の俗、其民勇猛暴悍、而て従ふ所を知らす、是時に方て政府の職固り之をして従ふ所を知らしむるに在り、今我国既に草昧に非す、而て我人民の従馴なる者既に過甚とす、然らは則今日我政府の宜しく以て目的となすへき者、則民撰議院を立て、我人民をして其敢為の気を起し、天下を分任するの義務を弁知し、天下の事に参与し得せしむるに在り、則闔国之人皆同心なり、
夫政府の強き者、何を以て之を致すや、天下人民皆同心なれはなり、臣等必す、遠く旧事を引て之を証せす、且昨十月政府の変革に就て之を験す、岌々乎其危哉、我政府の菰立するは何そ、昨十月政府の変革、天下人民の之か為に喜戚せし者幾かある、啻之か為めに喜戚せさる而已ならす、天下人民の茫として之を知らさる者十にして八九に居る、唯兵隊の解散に驚く而已、今民撰議院を立るは、則政府人民の間に、情実融通而相共に合て一体となり、国始めて以て強かるへし也、政府始て以て強かるへきなり、
臣等既に天下の大理に就て之を究め、我国今日の勢に就て之を実にし、政府の職に就て之を論し、及昨十月政府の変革に就て之を験す、而臣等の自ら臣等の説を信する事愈篤く、切に謂ふ、今日天下を維持振起するの道、唯民撰議院を立、而天下の公議を張るに在る而已と、其方法等の議の如き、臣等必す之を茲に言はす、蓋し十数紙の能く之を尽す者に非されは也、但臣等窃かに聞く、今日有司特重の説に籍り、事多く因循を務め、世の改革を言ふ者を目して軽々進歩とし、而之を拒むに尚早きの二字を以てすと、臣等請又之を弁せん、
夫軽々進歩と云ふ者、固り臣等の解せさる所、若果して事倉卒に出る者を以て軽々進歩とする乎、民撰議院なる者は以て事を鄭重にする所の者なり、各省不和而変更の際、事本末緩急の序を失し、彼此の施設相視さる者を以て軽々進歩とする乎、是国に定律なく、有志任意放行すれはなり、是二者あらは、則適さに其民撰議院の立てすんはある可らさるの所以を証するを見る耳、夫進歩なる者は天下の至美なり、事々物々進歩せすんはあるへからす、然らは則有志必す進歩の二字を罪する所、必す軽々の二字に止らん、軽々の二字民撰議院と曽て相関渉せさる也、
尚早きの二字の民撰議院を立るに於る、臣等啻に之を解せさる而已ならす、臣等の見正に之と相反す、如何となれは今日民撰議院を立つるも、尚恐くは歳月の久きを待ち、而後始めて其十分完備を期するに至らん、故に臣等一日も唯其立つ事の晩からん事を恐る、故に曰臣等唯其反対を見るのみと、
有司の説又謂ふ、欧米各国今日の議院なる者は一朝一夕に設立せしの議院に非す、其進歩の漸を以て之を致せし者のみ、故に我今日俄かに之を摸するを得すと夫れ進歩の漸を以て之を致せし者、豈独り議院のみならんや、凡百学問技術機械皆然るなり、然に彼れ数百年の久しきを積て之を致せし者は、蓋し前に成規なく、皆自ら之を経験発明せしなれはなり、今我其成規を択んて之を取らは、何企て及ふ可らさらんや、若我自ら蒸気の理を発明するを待ち、然後我始めて蒸気機械を用るを得可く、電気の理を発明するを待ち、然後我始めて電信の線を架するを得可きとする乎、政府は応に手を下すの事なかる可し、
臣等既に已に今日我国民撰議院を立てすんはある可からさる所以、及ひ今日我国人民進歩の度能く斯議院を立るに堪る事を弁論する者は、則有司の之を拒む者をして口に藉する所なからしめんとに非す、斯議院を立る、天下の公論を伸張し、人民の通義権利を立て、天下の元気を鼓舞し、以て上下親近し、君臣相愛し、我帝国を維持振起し、幸福安全を保護せん事を欲して也、請幸ひに之を択ひ玉はん事を、
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