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現住所
千代田区神田紺屋町
解説
慶長年間(1596-1615)徳川家康から関八州と伊豆の藍買付けを許された紺屋頭・土屋五郎右衛門が支配した町で、藍染職人が集住した。付近を流れる川(溝)は藍染川と呼ばれた。町の北に於玉稲荷という祠と於玉が池の跡があり、次のような故事が伝わる。中世の頃この地は奥州への街道沿いであったが、池のほとりで玉という美しい女が旅人に茶をふるまっていた。2人の男に求婚されたが、どちらを選ぶか決めかねてついには池に身を投げた。村人たちは玉の霊を祠に祀ったと言う。