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びぶろす-Biblos

85・86合併号(令和元年10月)

びぶろす

  • 発行:国立国会図書館総務部
    (National Diet Library)
  • ISSN:1344-8412

4. 【地域に根ざした音楽資料の保存】
作業唄の保存と活用について

同志社大学大学院総合政策科学研究科総合政策科学専攻博士課程(前期課程) 阪田 美枝

1.運命的な出会い

司書課程を受講しながら、同志社女子大学に勤め始め、ひたすら図書館学に没頭していた頃のことである。同志社大学のゼミで嶋田啓一郎先生から言われた言葉がふと頭をよぎった。それは「自分の専門以外のことを、毎日1時間は勉強しなさい。」である。

日々多くの書物に囲まれ「紙」の大切さを教えられてはいたが、以来、勤務時間の1時間前から書庫にある和紙関係の資料を探し始めた。和紙の温かみに魅せられ、もっと深く知りたいと思うようになった。好きが高じ、阿波和紙で徳島県無形文化財保持者であった藤森實氏の元へ紙漉き修業に出かけ、手ほどきを受けるまでになった。それがきっかけとなり、昭和54(1979)年6月9日、日本図書館研究会例会で和紙について発表する機会を与えられた。

ある日、同志社大学の書庫で、運命的ともいえる出会いがあった。書棚の一隅にある薄いバインダーが私の目に飛び込んできたのである。その中には、「越前和紙の起源」というパンフレットと、美しい透かし模様の入った和紙に、長唄「加美の里」の歌詞が印刷された小冊子が入っていた。

私は幼い頃から長唄を修業してきたが、この曲は聴いたことがなかった。小冊子には、昭和15年に「神と紙の郷 紙祖神 岡太神社 大瀧神社に奉納された」という記述があり、紙漉きの業を伝えたとされる川上御前を祀る神社に納められたようである。早速、当地へ取材に行き、関係者や長唄界の方々が八方手を尽くし聞いてくださったが、結局、曲は分からなかった。

私は図書館学界の諸先生、仲間から常に得難い刺激を受けてきた。前述した昭和54(1979)年の例会では、紙漉きのデモンストレーションを仰せつかり、会場の京都アメリカン・センターに、漉き舟(水槽のような漉き道具)を運び込んだ、あの日のことをよく覚えている。

折しもハワイ大学で学生に和紙のことも教えていた図書館学の先駆者、鈴木幸久先生が一時帰国し、この例会に参加された。そして諸先生や図書館員が代わる代わる和紙作りに挑戦されたのに交じり、初めて和紙を漉かれた。その御縁により、私が「紙漉き唄」の存在をお話しすると、先生は「豊饒な社会にあって、とかく足元を忘れがちになる日本で、失せ果てるものを残すことは大変貴重なことだ。」と言われた。「紙漉き唄」の収集に本腰を入れるようになったのは、その言葉に背中を押され、常に励まされたからである。そして、同志社大学の図書館書庫で長唄「加美の里」と出会ったのも、とても偶然とは思えない。あの唄は、黒いカバーを被ったバインダーに挟まれて、ひっそりと、私が来るのを待っていてくれたのである。

2.厳しさを明るさに変える紙漉き唄

私は暇を見ては各地の手漉き和紙の村々を訪ねていた。「ピッカリ千両」と唄われたように、お日様の下で紙を干し、清らかな水が人々に与えた自然の恵みの中で、額に汗して仕事に打ち込み、神の恵みの紙を愛でる貴い姿に深く感動した。裕福な、高度成長社会の中で、村には心安まる雰囲気が残されていた。

やがて、その所々で、「ゴッポリ ゴッポリ」「パシャ パシャ」「チャブリン チャブリン」「ホイショ ホイショ」と合いの手の入った「紙漉き唄」が伝わっていることも知った。

朝は早よから紙叩き 昼は紙漉き 夜はくさ叩き

何の因果で紙漉き習うた

といった厳しい仕事の中から生まれてきた唄である。

娘出来ても 川田へやるな 朝は早よから 水しごと

夜星朝星 紙楮(かみそ)を叩く 今日のつとめじゃ 手が痛む

など、全国には和紙職人が紙を漉きながら、またその準備作業の折に唄い続けられてきた昔ながらの作業唄が存在した。職人さんたちは「辛い仕事だからこそ、唄がある。」「唄って気を晴らさねば、気から病が出る。」と言い、辛く厳しいことを、人情味豊かに明るい気持ちに変えられる日本人の感性に触れた思いがした。しかし、時代や作業内容の変遷、伝える人の高齢化などで、残念なことに日本の文化を支える原風景ともいえる貴重な唄が消滅していく運命にあった。

いくつかの唄を聴いているうちに、はっと気付くことがあった。明治の頃までは約70,000戸といわれた紙漉く家も、今はわずか300戸を数えるのみとなったと聞く。そしてその唄を覚えておられるのは年配の方で、しかも年々少なくなってきている。やがてこれらの唄も消滅してしまうのではないか、ということであった。

時代の変革とともに消えていく文化、伝統はほかにも多くあろう。しかし、今聴いている唄も、あの長唄「加美の里」の曲のように消えてしまわぬうちに、どうにかして1曲でも多く残しておかねばとの思いにかられるようになった。

それからというもの、仕事や時間の合間を縫っては、カメラ、テープレコーダー、ビデオ等を車に積んで全国を走り回った。何か時間と競争しているような切羽詰まった気持ちであった。紙漉く人はほとんど初対面であるのにもかかわらず、漉く手を休め謙虚な物腰で接してくださった。残念だったのは、尋ねた多くの方々がすでに幽明境を異にされていたことである。こうして、20数年かけて、『日本の紙漉き唄』(1992年、竹尾研究所、国立国会図書館請求記号:YU1-419)に100曲程CD4枚セットで収録できた。

その後、日本中の手漉き和紙約1,070点を網羅して『和紙總鑑 : 日本の心二〇〇〇年紀』(2011年、二〇〇〇年紀和紙委員会、国立国会図書館請求記号:W373-J16)全12巻を刊行し、各土地の巻頭に紙漉き唄も収録した。

天からの奇しき縁に導かれたというほかはないが、その機縁をたどれば、同志社大学図書館の存在がまことに大きい。図書館で何気なく保存されたものでも、時が経ち、その価値が活かされてくるという、資料の重みを感じさせられた。

眠っている資料?いや、潜在的価値を見つけてくれる人を待っている、そんな資料を探し出して、再び生き返らせるのが研究者であり、作家である。そして、その橋渡しをするのが良きアシスタントとしての図書館員である。厖大な書籍、資料・文献を整理して、利用者に分かり易く提供することはもちろんのこと、未整理ではあるが関連資料の存在まで図書館員は知っていよう。自分が担当する図書館に留まらず、当該資料や文献をより専門的かつ豊富に収蔵しているほかの施設、収集家まで紹介することができれば、それはなおさら素晴らしい。

図書館員に求められているのは、単なる記憶力、整理術ではない。専門知識もある程度は必要とされるが、大事なのは情報サービスに欠かせない「案内情報」に長けていることではないだろうか。旅の道案内がいかに大切かは誰もが知っている。旅人の求めをくみとって、おまけのヒントまで差し上げられるようになれば頼もしい。しかし、それには幅広い知識と根気、持続力が必要だろう。

3.作業工程を管理する酒造り唄

酒造り唄も風前の灯し火状態にあった。厳しい環境の中で杜氏さんや蔵人さんが唄う酒造り唄は、単なる作業唄でもなければ民謡でもない。時計のなかった昔、「桶洗い」「米洗い」「仕込み」など日本酒の微妙で複雑な作業工程や、その日の気候や温度などの変化を、杜氏さんの永年の経験と勘に基づいた唄の長さで管理していた。酒造り唄には、時計代わりという重要な役割があったのである。まさに「唄」がなければお酒は造れなかったのである。したがって、今日のように酒造りの工程管理が進歩して機械化が進めば、酒造り唄は必然的に消えてゆく運命にあった。

日本人の知恵ともいえる酒造り唄を、なんとしても残しておきたい。4年の歳月をかけてお会いした杜氏さんらは400名に上る。最初に計画した段階では、「女性が酒蔵へ訪ねるなんて無理」という声もあった。しかし、日本の伝統文化を支えてこられた杜氏さん方は、どなたも心優しく、和の心を大切になさる人間味あふれる素晴らしい方ばかり。お酒に関しての知識が皆無の私に各地の伝統の仕込みの流儀を、惜しみなく一から教えてくださった。当時の仕事の道具や、仕事着で酒造りの工程を再現していただき、私は無我夢中で写真やビデオ、カセット・テープに収めた。その中から100曲程を4枚のCDに収め、『定本日本の酒造り唄』(1999年、チクマ秀版社、国立国会図書館請求記号:YU21-79)として上梓できた。

4.これからの取組

以上のように、ただひたすら保存・記録の活動を行ってきた一方で、紙漉き唄、酒造り唄とは何なのか、他の民謡や作業唄とはどのような違いがあるのか、日本人や日本文化の中でどのような価値を有するものなのか、といったもう一歩踏みこんだ考察を行うことはしてこなかった。

今後は、これまでに記述・保存してきた内容を分析し、あるいは背景となる地域性・歴史的経緯を調査した上で、紙漉き唄、酒造り唄が代表する日本の原風景・心象を明らかにしたいと考えている。ひいては作業唄を保存する意義を明らかにし、文化の継承に関する国や自治体の政策にも資すればと願うものである。

いま振り返ってみれば、日本各地の紙漉き唄も酒造り唄も、伝える方たちが激減し、私の拙いながら採集したビデオテープやカセット・テープにのみ辛うじて残っている状態である。日本の文化遺産ともいうべき貴重な唄を今後、どのように保存し、活用していくかが私のこれからの課題である。

現在、有難いことにそれらのテープからDVDへの変換作業の協力を受けている。今年の夏休みは、和紙を作る前の準備作業、紙叩き、紙漉き、また、お酒造りのための道具洗い、米洗い、酛摺り、櫂入れ、祝い唄などを、ランガナータンの提言する「コロン分類法」の枠組み(PMEST)に従って分析を行う予定である。将来、分類項目をPMESTの順に合成し、唄を並べて一覧化する一方で、検索のインデックスとしても利用し、コンピューターによる検索にも備えたいと考えている。

紙漉き唄・酒造り唄に関する講演活動や、演奏家等とのコラボレーション事業にも積極的に取り組み、両唄への関心を一層喚起し、理解促進を図りたい。既に2019年5月28・29日、収集してきた紙漉き唄・酒造り唄のDVDとのコラボレーションをジャズピアニスト山下洋輔氏と京都市内で開催した。また、2019年8月23日、神奈川県立音楽堂にて『日本の紙漉き唄』の編曲発表を東京混声合唱団合唱、山下洋輔氏ピアノ演奏、山田和樹氏指揮で開催した。

『日本の紙漉き唄』の出版の際、序文を寄せて頂いた故柴田南雄先生のご縁により、山下洋輔氏が、「これらは日本文化、音楽の原点である」との後押しをしてくださった。また、3年前に病気が見つかり余命3年との宣告を受けたことにも触発され、おもいがけず傘寿の身で大学院を目指すきっかけとなった。

学生生活を素晴らしい先生方、学生さん達に囲まれ、特に指導教授原田隆史先生、佐藤翔先生には温かいご指導を得、この半年間有意義な時を過ごさせていただいている。皆様から有難い「ご縁」を頂き、また今回このような機会を与えられ心より感謝しております。

(さかた よしえ)

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