﻿「障害と共に生きる」
 〜持続可能な社会に向けて・当事者の視点から〜
神山　忠

はじめに
上記の演題で講演を考えております。その話をする背景には何があるかを考えていただけることが「「障害と共に生きる」持続可能な社会に向けて」につながることだと感じています。
そうした思いで「ディスレクシア当事者の主張・雑感（半生の反省より）」と題した以下の文をお時間がある時に読んでいただけるとありがたいです。
学習障害がある当事者の文章。きっと読みづらい部分や、分かりにくい表現等があると思いますが、それも特性の一つであり、困難さがあっても「理解と支援があれば」これだけの文が書けるのだと感じてもらえるととても嬉しいです。
 
１．私の第一言語は…
きっと日本人なら「あなたの第一言語は？」と問われたら「日本語です」という回答になるでしょう。しかし、本当にそうなのだろうかと疑問に感じながら今まで生きてきました。
言語の定義は難しいですが、ここで言う言語とは自分が物事を理解し処理しやすいリテラシー的なものをさしています。「りんご」と言う聴覚情報が入ってきたときにどのように入力して理解しているかを例にしてみましょう。
A－頭の中に「りんご」というひらがなが思い浮かぶ人。
B－頭の中に「り・ん・ご」と音が響きわたる人。
C－頭の中に「apple」とつづりが浮かぶ人。
D－頭の中に「りんご」のイメージが浮かぶ人。
E－頭の中に「りんご」を食べたことを思い出す人。
この他にも細かく分類すると多様なリテラシーに分かれるでしょう。このように文字や言葉の元となる理解しやすいリテラシーに目を向けると、必ずしも文字や言葉が重要ではなく理解しやすい形態は多様であると分かり合えるといいのではないでしょうか。
実は、私はDのイメージで理解するタイプの人間です。そんな私が日本語で「りんご」と書かれても漢字で「林檎」と書かれても、その文字からイメージにつなげるまでに時間と労力を要することとなります。しかし、りんごのイラストを示してもらえれば即理解につながります。このようなことから私にとっての第一言語は「イメージ」と言えるのではないでしょうか。
そんな私が日本語の文字で表記された教科書で学習する場合は、他言語で書かれた教科書で学んでいる状況と同じです。
想像してみましょう、小学校に入学した児童が知らない国の言語で書かれた教科書で理科や社会を学習しているとしたら、学習内容にアクセスする前に言語の壁が立ちはだかり学びは思うように進まないことが理解できることでしょう。そのような学齢期を過ごしてきた私の半生を振り返ることで、今後どのような方向に向かっていくと誰もが自分の強みを生かして社会参加・社会貢献していけるかのヒントとなればと願っています。

２．小学生時代の作戦と出来事
入学したころのことを思い出してみると、みんなの真似をすることでその場をやり過ごしていました。国語の教科書を一斉に読むときも、みんなの声に合わせるように少し遅れて小さめの声を発していました。それを繰り返すうちに文章を暗記するようになっていきました。低学年の短い文章であれば、そうして記憶することで指名されて一人で読むときには何とか読めているように振る舞うことはできました。
徐々に長い文章になっていくと、その作戦は効力を失っていきました。そこで、次に取った作戦は分かち書きです。分かち書きに書き直すことで、意味のまとまりを把握することもでき、息継ぎをする場所も分かり、多少は文字を文字として認識しやすくなりました。
しかし、すべての教科書を分かち書きに変えることは不可能でした。そこで次に取った作戦は、赤ペンで斜線を入れて区切っていくスラッシュ作戦です。当初は、初めから正しい位置で斜線で区切ることができなかったので、間違えても訂正できるように鉛筆で区切ることをしていました。しかしそれだと、印刷されている文字も黒色で鉛筆の色も黒色で、自分が区切った線と文字とが絡まってしまうように見え、より見にくい教科書になってしまいました。そこで赤色鉛筆で区切るようにしました。ここでも問題が発生。色鉛筆の芯の太さは、通常の鉛筆よりも太く、太い線が入った紙面も見づらかったです。最終的にたどり着いたのは、当時はまだ高価だった赤色のボールペンで区切ることです。
赤ペンで区切った教科書であっても、学年が上がっていくと行間が詰まってきて、一度に目に飛び込んでくる文字の量が多くて目まいを起こすような、乗り物酔いをしているような感覚に陥るようになっていきました。
そこで次に取った作戦は、定規あて作戦です。読むべき行に当てて、目線がずれないようにするだけでなく、必要でない行の文字を隠すことで少しでも読みやすくしました。初めは竹製の３０センチものさしを使っていましたが、当時の教科書の大きさには大きすぎたのでプラスチック製のちょうど良い長さの定規を使うようにしました。しかし、それは透明だったので、見やすさの向上にはあまりつながりませんでした。
そこでたどり着いたのは、お土産のお菓子の箱をばらした厚紙を切って重ねて定規状のものを作りました。これのポイントとしては、白いきれいな面が上になると光の反射（光沢）が集中力を削ぐことになったため、灰色の面を上になるようにして教科書にあてることです。そこで、両面が灰色になるように貼り合わせてちょうどいい大きさと強度になるよう作りました。使い初めは、読む行の下にあてて次の行以降を見えなくする使い方をしていましたが、気がつけばその定規状のものを二つ使って前の行も隠すようにあてて対応するようになっていました。そして最終的にたどり着いたのは、スリット状にくりぬく作戦です。大きさ的にスリット状にすると筆箱に入りきらなかったので、二つ折りにしました。その折り目は、スリットの中央ではなく、スリットの底面つまり読む行の下にあてるところで折り目をつけて、必要に応じてその折り目を広げてスリットにしたり、折りたたんで定規状で使ったりしていました。
小学４年の時にラッキーなことがありました。近所の電気屋さんから壊れたオープンリールの録音機をもらい受けました。（デンスケと呼んでいたことを覚えています。）それまでもラジオやテレビなど壊れたものをもらっては、自分で分解して遊んでいました。そのオープンリールの録音機を分解して掃除をして組み立てると問題なく使えるようになりました。電気屋さんにそのことを伝えるとすごく褒めてもらえました。でもカセットテープが普及し出したのでもうその録音機は必要ないということでした。ご褒美に新しい録音用のリールを何本かもらえました。そのデンスケに三歳年上の姉に教科書を読んでもらって録音して授業に備えることをしました。
しかし、録音した音声に合わせて教科書を目で追うのもなかなか難しかったです。そこでページの変わり目になったら、わざとページをめくる音が入るように録音してみました。最終的にカスタネットを使い、ページをめくるときには２回「カチカチ」、見開きのページの変わり目は1回「カチッ」と鳴らして録音することで、どこの部分を読んでいるのかが分からなくなることが防げました。また、早聞きにもこのころから取り組むことにつながりました。これが私の特性に応じた機器活用の幕開けとなりました。

３．中高生時代の作戦と出来事
中学生になって、文字中心の学習に拍車がかかると私の困難さも当然増していきました。そんな中でも数学だけは、比較的学習について行けました。数式だけの問題なら難なく解くこともでき、文章題の解くコツがつかめ解けるようになったことで自信をつけることができました。
どのようにしたかと言うと、素早く文章題を読み解くことは困難でしたが、時間をかけながら文章題を模式化（図に起こす）ことに取り組みました。コツをつかめばどんどんと、できるようになっていきました。いくら長い文章題であっても国語に比べれば文章の量的には知れていました。それを自分の第一言語であるイメージに書き砕くことで数式に落とし込めて、解答できることができ自信につながりました。「自分は、その手法を使って文章を白紙に図式化することをすれば、時間と手間はかかるが他の文章も正しく理解できる。」と感じられるようになりました。
また、数学でフローチャートを学んだ時に「なんてわかりやすい表記なんだろう！」と感動しました。「文章もこう表記されれば分かるのに…」と思った記憶があります。それ以来ノートの取り方を変えました。それまでは「黒板を写しなさい」「ノートを取りなさい」と言われると写生をするかのように書き写していました。しかし、それは自分で書いた文字であるのに自分で読み返すことのできないものでした。そこで「キーワードを書き出し」「その位置関係」「意味合いを線でつないで」表記する、いわゆるマインドマップ的なノートの取り方にしていきました。それを復習時に時系列等に応じてフローチャート式にまとめ直して自分のものにしていきました。
高１の時に、姉からカシオのポケコンを「もう使わないから」ともらえました。ディスプレーは半角１２文字１行しか表示されませんでしたが、BASICでプログラミングできる電卓の進化版でした。それを使って、独学で数学の問題を解くプログラムを作ったことがあります。同じような問題が何問の出される宿題を一気に済ましたいと考え、方程式をプログラムにして変数のみ入れ替えれば解答が出るだけでなく、途中の式も表示されるものを作りました。そのころから機器への関心は高まっていきました。
こうした得意分野もありましたが、図式化しにくい教科はなかなか点数が取れませんでした。しかし、第一言語がイメージである私であっても、文字を字面としてとらえ「この文字のかたまりは、あのイメージと同じこと…」と言う形で字面と意味、音と意味、字面と音それぞれを関連付けて自分の中に蓄積していくことは意識して取り組んでいきました。つまり、英単語を習得するかのように語彙の獲得を日本語であっても心がけてきたのです。これもあってか小学校時代の教科書をこの時期に振り返って見てみると、意外と意味が汲み取れるようになっていました。語彙が増えたことと小学校の教科書の行間、文字間、文字の大きさ等がようやくこの時期になってこなせる段階に至ったのかも知れません。つまり、自分に合った書式で、自分の処理できる語彙や量であれば時間がかかるが処理できないわけではないと考えています。

４．社会人・大学生になってからの作戦と出来事
いろいろとあって高校卒業後に自衛官となった私は、文字による教育から解き放たれて力を発揮することができました。口頭による教育と実物操作しながら身体で習得する自衛隊の訓練は、自分の学びにぴったりとマッチしていました。そこで自信をつけた私は「自分のように学齢期に苦しむ子どもは自分を最後にしたい」と思うようになり夜間の短大に通い教員を目指すことにしました。運が良かったことに夜間の短大の入試は社会人枠で受験でき口頭試問と面接のみでした。筆記試験ではなく口頭で答える試験は、私の力の表出に合っていて何とか合格することができました。
夜間の短大では、自分の得意な方法を用いて単位を取っていきました。講義はすべてマイクロカセットテープに録音し、板書は写真で撮影しました。当時の写真はフィルムのカメラしかありませんでしたが、ハーフのカメラというものがありました。２４枚撮りのフィルムでもその倍の４８枚から５０枚くらい撮影できました。黒板と白チョークでの板書の撮影はモノクロフィルムで対応できました。それを現像して引き伸ばし字面を読み取れるようファイリングしました。少しの時間でもあれば録音した講義を３倍速で聞きながら撮影した写真を見て学習を進めていきました。
教員免許も取得し卒業することはできましたが、なかなか教員採用試験に合格することはできませんでした。３年間かけてひたすら勉強しました。他県の問題、過去の問題を時間をかけて徹底的に取り組みました。もちろん当時の教員採用試験には合理的配慮は無かったです。しかし、自分で白紙の持ち込みを試験官に申し出ました。その用紙を計算用紙のように使い、文章題を図式化すれば正しく問いを理解して答えられるからです。しかし前例がないからと言うことで認められませんでした。そこで、問題用紙の裏面や余白を使い、問題の解読作業をしてから回答することで合格に漕ぎ着けました。

５．教員になってからの作戦と出来事
教員になってより文字の扱いは必至（必死）でした。ICT機器がない時期は、時間をかけてアナログ的アプローチで取り組んでいました。助かったのは、ワープロの普及で手書きの文字ではなく活字の文字が増えてきたことです。手書きよりも処理しやすいのです。例えば、データでもらって文字を大きくしたり行間、文字間隔、書体を変えたりして見やすいレイアウトにして対処できました。
中学校の技術科の教員になった私が、たまたま雲形定規を使って製図をしていたときのことでしだ。透明で黄色の雲形定規が乗っかった部分の文字が、くっきりと見え文字として認識でき目に飛び込んできました。それ以来スリットの代わりに黄色のプラスチックシートをつかうようにして文字に向かうようになりました。
徐々にICT機器が進歩し、それに合わせて読み上げ機能、OCR機能、分かち書き機能などを使うようにして勤務に支障のないようにしてきました。その対処法は、今でも模索し進化し続けています。
また、ネット社会の恩恵もうまく活用し、調べ物をしても読み上げ機能で知りたい情報に難なくアクセスすることができています。それと同じくらい利用しているのは、コールセンター（ヘルプデスク）です。困ったときには、各企業のコールセンターにためらわずに電話するようにしています。

６．支援者としての作戦と出来事
読み書き障害と言っても一人一人その困難さや特性は様々だと感じています。そこで大切にしているのは、本人の思いです。学齢期の相談の場合、保護者の思いが先行してしまうこともあります。それも受け止めながら最優先するのは、本人の思いでなければならないと心しています。その思いを聞いて行く過程で、個人内要因と環境要因が見えてきます。それがはっきりとしてきたら、本人に合う作戦を一緒になって考えていくようにします。自分の得意を生かしてその場をやり過ごせるようなスキルも身につけてもらえるように努めています。そして、その子に合うICT機器の活用法等も積極的に紹介しています。
また、環境要因に関しては、保護者自身が学校と良好な関係づくりができるよう寄り添っています。そして、良好な関係性で一緒になって模索し合えるようにし「どうした環境整備・環境調整をすることで学びの困難さを軽減できるか」に向けて検討しあえるようにしています。
これが支援の模範解答と言うのはなく、私がいまだに自分に合う作戦を模索しているように、その年齢や環境に応じてベターな作戦を連携できる誰かと共に「開拓できる」ことが重要だと考えています。そのためにも柔軟にICT機器等も活用できることを心掛けています。

７．答えのない時代を生き抜くために
原子力発電は必要なのか？という問いに対して・・・。いまだ核廃棄物の処理の方法が確立されていなく、総費用がいくらに上るかもわからない発電方法。そして、ひとたび原発事故が起きたら甚大な被害に発展する発電方法。この原子力発電は必要なのかと言う問いに対して、どのような答えがあるでしょうか。１＋１＝２というような答えはない問題です。
これからの時代には、よりこうした問題に立ち向かうことが必要な力が求められることでしょう。
視点を変えて、次の問題にどういう回答が正解になるだろうか？鉱山でトロッコに乗っていました。ブレーキが効かなくなり暴走を始めました。進む先の線路上には３人の工夫がこちらに気が付かずにいます。よく見るとその工夫たちの手前に線路が分かれるポイントがあります。しかしもう一方の先は少し行くともう線路がなく、崖になっています。あなたならそのポイントでどちらに進みますか？
こうした問いは極端で日常生活にはあり得ない判断かも知れません。しかし、車の自動運転をプログラムしようとすると、どう判断するように設定するかが求められます。例えば、自動運転で速度を出して走行しています。１０メートルほど先にベビーカーに赤ちゃんを乗せた若い夫婦が車に気がつかずに通りを横切ろうと道に出てきました。道路の両側はコンクリートの壁と電柱が立っていて今からハンドルを切って回避することは無理です。それをすると車は大破し運転手は亡くなるでしょう。この状況で自動運転の判断は３人の歩行者を犠牲にする制御プログラムにするか、運転手を犠牲にするプログラムにするか。または、歩行者の人数が違うと判断に影響するようにするかなど、一人では解答が出せない課題を解決していかなければならない社会に既になっているんです。
そこで、この課題に対して、よりよい解にするために必要なのが多様な意見の交流です。自分と同じ感覚や似た境遇で育ってきた人との交流ではなく、自分とは異なった感覚や境遇の人との交流でよりよい解にブラッシュアップできるのだと思います。
違った者同士が、建設的対話を重ねて行ければ、より良い社会の創造ができると思っています。そう考えると、誰もが居ていい存在であり、誰もが居なければいけない存在だと感じられると思います。共生・共存という言葉がありますが、私の感覚的には共存・共生のように感じています。共に存在し合うことで、共に生きていきやすい社会の創造につながる感じです。

８．弱肉強食なのか？
近年、障害者問題を語るときに気になるのは、弱者・強者とか優生・劣等という視点で見ることです。（問題）トラとウサギではどちらが強いでしょう。どう戦ってもトラの勝だと思われます。しかし、実際は絶滅危惧種に挙げられているのはトラです。ウサギは農作物に被害を与えるほど繁殖している現状です。
個体レベルで考えれば、トラであってもウサギであっても寿命以外で命を失うことはあり得ます。もっと言えば、人間も含めて絶対に死にます。ゆえに、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」と言えるのでしょう。
優れているというのは、種の長いスパンでのごく短い時期に適しただけのことではないでしょうか。種として「適者生存」を維持していくには、「多様な特性を排除しない社会を築くことが鍵だ」と気づいた人類だから、国連主導で障害者を取り巻く環境改善が進んだのだと感じています。
しかし、現代社会は人権という側面が前面に出て、理性的に物事が捉えられて説明されている側面が強い気がします。
一方、理性的と言うのは、くせ者です。経済的に厳しい家庭だったら子どもを１人で我慢することは理性的な判断のように感じます。また、多様な生き方があり、稼ぎがあれば一人で充実していたら独身で過ごすというのもその人の考えであり尊重すべき考えです。
しかし、種として考えるとすっきりしない思いになるのは私だけでしょうか。種が絶える生き方は果たして理性的なのか？そんな疑問が湧いてきます。
だが、それは大した問題ではないと思っています。その人自身が種を残すことは無くとも、種の多様性を認め、生きやすさに貢献できていればいいことだと考えています。
もっと言えば、長く生きたから価値のある人生で、短命だったら価値のない人生ということもないと思います。生き方の中で、周囲への影響が必ずあるのでそこに価値を見出せると多様性を受け入れられる一人一人に近づけると思います。
今、すごいスピードで医療や人工知能等が進歩しています。その中で遺伝子工学も人間が踏み込んでいいのか迷う領域まで手が加えられるようになってきました。
実際、農作物や養殖・畜産物には、遺伝子操作をして栄養価を高めたり収穫量を増やしたり、病気になりにくくしたりされ、既に私たちの食卓を豊かにしています。
だからと言ってその技術を人間に適用してよいのか疑問を感じる瞬間があります。先も述べましたが、種として優れているかはごくごく短いスパンで見た場合の話です。その技術を使って多様性を失わせてしまうことは、種の「適者生存」の可能性を奪うことになるかもしれません。
人権、理性という縛りではなく、種の繁栄という視点で障害者問題をとらえて深く考える議論が必要なように感じる今日この頃です。
日本の人口推移をみると心配になります。教育が充実し経済も豊かになり、国際的にも大国になっています。しかし、今までに経験したことのない人口減少率です。年齢分布も自国だけでは支えきれないほどのアンバランスさです。これらの原因も「浅い人権感覚や理性」の捉えから来る自己の損得勘定で人生設計することかも知れません。
優秀でないと生きにくく、子どもももてない社会と言うのは本来的ではないと思います。
「SDGｓ」ってご存知ですか？国連で採択されたことです。誰一人として取り残さないための世界づくりとして取り組んでいることです。人の困難さは、周囲から求められる水準によって決まる部分があります。誰でも高いものを求められ続けると苦しいです。そこで「持続可能な開発目標」という視点で進んでいくことを推奨しています。
昨今の異常気象も、持続不可能な開発を推し進めてきたからかもしれません。それは、各国が単体で取り組んで何とかなるレベルではない状況に至っています。それを解消し人類としてのより良い生き方を目指して制定されたものです。この取り組みを国任せでなく、一人一人の問題だと感じられるように広めていきたいと願っています。
日本の４０歳までの死亡原因の第一位は「自殺」です。これは諸外国には見られない特質した異常な現象です。日本人に行動促進を図る言葉は「みんな他の人もやっているよ」という中間集団全体主義思想をくすぐる言葉だそうです。これはお国柄と言うか、教育が植え付けた思想ではないでしょうか。
出っ張ったところは削り取り、足りないところを埋めて、同化すること、多数派に入ることに価値があるという教育を受けてきた弊害ではないでしょうか。
それよりも、一人一人がもつ得意分野で社会貢献していけることに価値を見いだせたらより成熟した社会になるのではないかと考えます。「こぢんまり」とバランスの良い同質の人たちで形成する社会よりも、各ピースはいびつかも知れないけれど、そのピースが心地よく生きられる社会の方がより豊かな社会になり得る時代だと感じています。
また、日本ほど精神科への抵抗感がある国はないとも言われます。それは、受診しにくい偏見がある表れでしょう。内科、外科、皮膚科、耳鼻科などと同様に気軽に受診できるような社会になれば、死因の上位に自殺が入らなくてよい日本になるのではないでしょうか。
私自身SDGｓには、５年前からかかわってきました。17のゴール・169のターゲットが設定されています。課題が山積されていると捉えると負担感が大きいですが、よく内容を見てみると、「あっ！これなら自分が貢献できる。」「これに興味があり力を尽くしたい。」という項目が見つかります。
それを実践してみると、自分の存在意義や有用感・有能感を実感できます。SDGｓの最終的な目標は「誰一人取り残さない社会の実現」です。当初は、公的機関主導で持続可能な社会実現するものだと考えていました。しかし、個人レベルで実践してみると誰もが居場所を感じられる取り組みなのだと感じました。自助・共助・公助がベストミックスされることで、真の意味での「誰一人取り残さない社会の実現」が達成できるのだと考えています。

おわりに
次の言葉は誤解を生むかもしれませんが、「ゆっくりな人がいるから早い人がいる」それなのにゆっくりな人を排除してしまったらどうなるでしょうか。
早い人でも本当は、時には速度をゆるめたい気持ちになったり、立ち止まってみたくなったりするでしょう。排除は、それさえも許されない時代になってしまうことでしょう。
また、同じ道であっても、ゆっくり歩いてみると、普段の速度では気がつかなかったステキな風景に気がつくことができます。そんな気づきも許されないような生き方は、豊かと言えるのでしょうか。
個性の強い子、学びがゆっくりな子を排除する影響は、集団全体に返ってくることだと考えています。
「強制教育から共生教育へ」
「競争社会から共創社会へ」
一人一人が当事者という気持ちで舵を切っていけるような歩みをしていきたいです。
社会も、過去の優生保護法の過ちをしっかりと認識して、どんな障害があっても、どんな病気であっても、どんな特性があっても堂々とメインストリートを歩けるように向かって行けるようにして行こうではありませんか。
その思いや取り組みの行為自体が種の幸福的生存と存続になるのだと感じています。

「ひと」らしくあるために
努力では何ともならないこと、誰にでもありませんか？
でも、自分にしかできないことってありますよね。
これで良いのではないでしょうか？
もし、人の理想が完全自立であるなら、
人が全員誰にも頼らずに生きていけたなら、
人は人でなくなるのかも知れません。
「お互い尊敬し合う」そんなこともなくなりますよね。
そんな社会よりも、「もちつもたれつ」の社会。
この方が人間らしい生き方だと思います。

誰もが命を授かったと同時に，
一人一人にさずかった素敵な物があります。
その人にしかない，さずかった良さが絶対にあります。
それを大切にしていけば良いのではないでしょうか。
人に勝ち負けや優劣を付ける必要はない。
みんなが輝いて助け合い，尊重し合って共に生きて行ければいい。
だれもが存在価値を実感して生き甲斐を持って生きるために。
（多様な人がいることは、学びが深まることにもつながると思っています。教え合い、学び合いの機会が増えることは、社会に出てからの生きる力にもつながります。）

持続可能な開発目標（SDGs）とは， 2015年9月の国連サミットで採択された2030年までに「誰一人取り残さない社会の実現達成」を掲げた国際目標です。
〔画像の説明　SUSTAINABLE DEVELOPMENT GOALS （SDGs）の目標が記載されたロゴ　説明終わり〕
持続可能な世界を実現するための17のゴール・169のターゲットから構成され，地球上の誰一人として取り残さないことを誓っています。
国連の採択とか日本の法律と聞いても、個人のことと捉えきれなくて絵に描いた餅になりがちです。
しかし、最近の異常気象、地球温暖化、マイクロプラスチック問題、環境ホルモン問題等は、待ったなしの状況です。
かと言って、働き方改革に象徴されるように支援者も働き手側も持続可能でないストレス状態でもあります。
支援者は、将来に負の遺産を引き継がせない視点だけでなく、こうした課題に関心をもてる子ども達に導けるよう接していく必要があります。
大人の背中を見て子どもは学ぶことを自覚し、私たち自身の努力にかかっていると思い日々過ごしていくことが求められているのです。
異常気象や新型コロナウイルスなどは、地球、自然界が悲鳴を上げ、人間に対して警鐘を鳴らしているのかもしれません。
昨年、国連で演説した１６歳のスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんの言葉を現実事、自分事として捉えないといけないと思っています。
また、未知のウイルスも、利己主義、成長戦略に対するメッセージだと捉えることができると思います。舵を大きく「利他主義」「付けを後世に残さない」に切るリミットは今だと思います。もし、あなたと同じ生活スタイルを全人類がしたら、地球がいくつ必要になるのでしょう。その答えと解決策に向かうには、教育も「矯正・強制」から共生が鍵になることが想像できますよね。
右の表は、世界の人々の年間消費量が、地球環境が生産できる自然資源の量を上回っていること。つまり自然資源の「使い過ぎ」をあらわしたものです。現在、人間が消費している自然資源の量の平均は、地球1.7個分に相当しています。このままではいずれ資源は枯渇し、環境そのものが食いつぶされてしまうでしょう。これを回避する取り組みは、一人一人の行動から実現できるものだと考えています。
〔画像説明　地球は何個必要？もし世界人口がその国と同様の生活をしたら…
アメリカ　5.0個
日本　2.8個
中国　2.2個
インド　0.7個
世界　1.7個
説明終わり〕
