二世の日本行き(邦字紙記事)

Os nisseis que viajavam para o Japão (artigo publicado em jornal de língua japonesa)

Nisei traveling to Japan

教育国粋旋風の祟り
 可愛い子供の教育は日本で
  第二世の帰国者続出


『日伯新聞』昭和14年1月11日

 やれ外国人団体取締法、やれ移民法等々々々と相次ぐ国粋化法の濫発に在留外国人達も「何んだ、人種平等を国是とするブラジル……が」とつい愚痴の一つも溜息と一緒に吐き出したくなる仕末だが、在伯邦人にとつて最大の関心事である第二世子弟の教育問題も今のところお先真暗で、先頃には一村挙つて支那行を決行しやうとした植民地もあつた程で、子弟教育の将来を思ふ父兄達の悩みは深刻なものがある、日本人学校も一ママ閉鎖の運命に直面し今更ながら家庭教育の強化だ、さあ巡廻教授で行かうといつても、それには現在北パラナ地方に続発する幾多の不祥事件のやうに地方官憲の非道な圧迫干渉を覚悟しなければなるまいしとあれやこれや思ひあぐみブラジルでの子弟教育「よきブラジル人を造るための日本語教育」に見切りをつけた父兄達は続々子弟を日本へ送り帰してゐる、最近のベノス丸、サントス丸、リオ丸の三船でブラジル生れの第二世で父兄と共に或は単独で日本に帰つた者が七十余名の多数に達してゐる有様である


帰国はしてみたが
 伯国を恋しがる第二世
  親の心全く子知らず

 考へさせられる話


『日伯新聞』昭和14年3月26日

 ブラジル生れの邦人第二世で親と共に又は単独で帰国する者が最近ますます増加して行く有様だが、ここに帰心矢の如き親達に熟考を余儀なくされる事態が惹き起されてゐることを知らねばならぬ、これ等の第二世は勿論親の考へで帰国するのだが、帰国してから親の考へと第二世の考へとが全く相反する場合がある、その一例として

  これは昨年のことであるが二十年近く聖州にゐて珈琲園を経営し相当の貯蓄も出来たので、それを処分して帰国、長男を商業学校に次男を中学に入れた、昨春長男は芽出度く商業を卒業したので適当な会社に就職させようとしたが、子供は日本で就職するのは嫌だといひ出し、自由な天地、故郷ともいふ伯国に帰つて働きたいと親の意志に従はないといふのだ、次男も兄の言に賛成し二人だけでもいいからと強硬にブラジル行きを主張するのに遂に親も負け又々ブラジルに帰つて来たといふのだ、現在聖市近郊に住んでゐるが子供達も非常に喜んでゐると

又次のやうな例もある

  バウルー市で商売をして小金を持つて帰国、内地で小商売をやり結構安楽に暮してゐる中に、年頃になつたブラジル生れの娘二人はブラジルの友達から手紙の来る度に生れ故郷を恋しがり何んとしてもブラジルに帰りたいと果てはそれが因で二人とも憂鬱症になつてしまつた、これには両親も困り果て愈々肚をきめて再渡航する旨を娘にいひ渡したときには二人は文字通り欣喜雀躍、今までとは打つて変つた明朗な娘になつたといふのである

 年端の行かぬ第二世は親のいふままに帰国するが、それが年頃になり物の判断をするやうになると第二世としての主張が生じて来る訳である、帰国したいといふ親の気持は人情として当然かも知れぬが、悪くするとこのやうな喰違ひを生じ希望も計画も頓坐することになるから親達はこの点熟慮を要する