国からの低利融資問題(邦字紙記事)

A queda na oferta de fundos da parte do governo (artigo publicado em jornal de língua japonesa)

Issue with the low-interest loan from the Government

1924、25年の干ばつと革命を原因とする不況で困窮したサンパウロ州内陸部の日本人が、日本政府の低利の融資を求める請願運動を行った。上塚周平が運動の先頭に立った、田付七太大使の尽力により、1926年(大正15)3月、大正15年度追加予算に「在伯剌西爾居留民旱害救済貸付金」 85万円が帝国議会で承認された(そのため、八五融資とも呼ばれる)。これに対し、日伯新聞の三浦鑿は、困窮の原因は土地投機にあり、運動の首謀者である上塚、星名謙一郎らは、投機を煽った土地売り(三浦は「土地伯楽(ばくろう」と呼んだ)であると暴露し、運動を批判した。

低利資金の請願成就
と植民の覚悟


『聖州新報』1926年4月16日

 さきに田付大使を介し、祖国政府へ請願中の在伯日本植民救済資金は、三月末日、祖国衆議院議会の協賛を得、不敢取政府は八十五万円を支出する事に決定した由。

 事今日に到る迄の経路を、今更茲に贅言を尽して説明する迄もないが、愈低利資金が融通されるとなつて、お互いに事新らしく想ひ出さする嫌な事は、千九百二十二年の幽霊低利資金三十万円である。

 殖民に融通すべく低利として、折角出た三十万円が、時の公使の「一文なしの殖民に金を出す事は要するに0=0じやないか」としたり顔に広言し、金持の正金員にはそれが喜ばれた。植民は斯くて三十万円の融資の匂丈けをかがされた痛手だ。

 今後の八十五万円は、或はその時の三十万円の生育したもので、吾々は所謂「おあつけ」を喰はされて居たものかも知れない。爾来四年間「おあつけ」とすれば、何という嫌な永いおあつけであつたろうか。

 血と汗の生命を的に、刻苦勉励努力の効空しからず、今や八百万本余りの珈琲樹は、其赤い果を其所有地に捻り出させて居る。

 順潮に行けば祖国の低利資金通融など、誰もが夢にさえ問題にせなかつたものだろうに、好事魔多しの例に漏れず、お互植民者は現実に祖国低利資金の調達をしてしまつた。昨年六月救済資金調達の請願をしてより漸々一年が経つ。此間、請願植民の希望と焦躁感とは、側の見る眼も気の毒な程であつた。

 若し前任公使が、その辺に烏路つきもして居たら、殖民は幽霊資金の遺恨より、グワンと一噛み参る気早やものなしとせない位いの赤化気分であつた。

 田付大使は幸にして前任公使とは、人格に於ても流石に高潔であり、0=0と、吾等殖民を見くびらず、嘲笑せず、さながら慈父が病児を憥はる心持から、真剣に低利資金調達に奔走し呉れられた。

 ともすれば殖民の窮状が外務当局に忘られんとする憂あると見た大使は、本省向け電報せられた事もそも幾度であつたらう。ともすれば、怠慢から小うるさく匙を投げんとする本省を動かし、兎も角も大蔵省に話の亘りをつけ、救済金としての効能は別として、遅延ながらも低利八十五万円を衆議会協賛支出する事に可決させた田付大使の苦衷と手腕は、在伯殖民の深く強く良く印象する処だ。

 斯くて前任公使の殖民に無礼なる0=0の悪印象も、強いて忘れやうとせずとも忘れらるる時代を茲に画した。是れ田付大使の労の致す処である。

 殖民の立場から見れば、政府の低利資金を流通させて、日本殖民の生活向上を遂げることは、道理上当然であるべき筈の事を未ださも時期でないとか、返済に困難とか取越苦労の難癖をつけて、如何にも不都合なことでもあるやうに云ひ立てる習慣を持つてゐる新聞記者があつたり、智識階級振つたりする連中が、邦人中にもままある、彼等は一般殖民の生活向上によつて自称現支配者階級から蹴出される恐れあると憂うる処からの意識浸潤してる手合だ。

 斯うした手合は、今度の低利資金の融通を以後も屹度何とか難癖をつけたがる連中だ。

 仕事は何んでもあるが、成就成長させる意志の働く時は、何んなつづれも面倒がらないものである、反対に若し成就や成長させたがらない意識の働く時、仕事は兎角面倒がられたり、うるさがられ責任を避けたがらるる。

 吾人は此の心理状態からして、今度の低利資金運用の問題に顕はるる、前途の諸処諸人の諸相を批判したいと思つて居る。

 今や植民は、救済資金必要時代を空しく過ぎて、事相は一般低利資金渇望の日となつて居る。現実低利資金の真面目に打つかつた植民諸子は、「我利亡者」の如く我利々々を主張して借過ぎてはいけない。勿論貸過ぎもしないが。

 要は、俺も金が入用なんだ、お前も金がいるんだ、彼奴も金が欲しいんだ。それで金は皆に充分は愚か、満足の半も出して貰えぬ、たつた八十五万円だ。伯貨時下換算の二千五百コントスそこそこだ、是れを皆の為めに適当に、有効に使ふて返済期が来た時、皆が苦しまず返金するには植民同志が何うして置けばいいのであろうか?

 人間共存共栄の掟……

 植民は正直に借りて、正直に返すことだ。

 正直を売物にすれば必と自分独も儲けるだらうも、此際植民の全体繁栄の為めの覚悟は、低利資金を喰物にしてはいけないと言ふことだ。


何故にノロエステ邦人の
打撃が大きいか

ガイサラにて

                    断  生


『日伯新聞』1925年10月2日

▲本年の一般的不景気に就いては政府も民間実業家も能く諒解してるから、僕が茲に更めて説明する迄もない、只邦人独立農の一部ノロエステ線が最も打撃を蒙つてをる真の原因に就いては世間で大分誤解してる向も少なくない様だから、それをホンの小しばかりほのめかして置かう、実は本問題は関係する所が多く可なり重大問題だから茲で全部を発表するのは惜しい、且又役にも立たない。

▲本稿は聖市の真ン中で書いても同じことなのだが、約二年余りノロエステ線に不沙汰をしてるので其間部分的にちがつた所もあり、それを訂正かたがた日本への通信材料蒐集に九月十七日聖市を発つてノロエステの旅に上つた、

 バウルに着き翌日一邦人ボテキン[注 居酒屋]に寄つてピンガの立呑みをやつた、造作は粗末であるが驚いたことには棚の上には聖市でも目抜きの大通りにしかない上等ウヰスキー、ジヤニウオーカの角ビンがずらりと並んでをるではないか

 『ホホ−、バウルも開けたものだね。二年前にはこんなものは薬にしたくともなかつたが』と云ふと亭主澄したもの『これが一番よく売れるのですよ。何せい本年の一月二月頃までは日本人が夜の二時三時頃まで自動車でブウブウ飛ばして来て叩き起し、チヨツとした人なら一本位は平気でやつたものです、月によると三箱位も売つたことがあります、それが只今では一向に売れません[、]あなた一杯差上げませうか』と云ふ。

▲僕は心中『ノロエステの邦人も相変らずやつてるな』と感心した、感心したのは決して上等のウヰスキーをピンガ代りに鯨飲する豪勢に対してではない、一本のウヰスキーがよく不景気行詰りの一端を雄弁に物語つて居るからである、実はモウこれで沢山なのである、此上視察調査の必要はないのである、

 二年前に既にリンス、プロミツソンの邦人は競ふて良馬を買込み立派な鞍を置き十アルケル二十アルケルのケチなシチユアンテ[注 農園主]の分際で居ながら何所のフアゼンデイロ[注 大農場主]かと見まがうばかりの狂態を演じつつあつた、白馬銀鞍天津の驕児といふのは実に彼等のことであつた、今回の旅行にバウルの駅頭ウヰスキー角ビンを見せつけられて実はウンザリさせられた、成程諸外国人が云ふやうに日本人は健実なる植民として能力がないと云ふのは茲のことだなと遺憾ながら肯定せざるを得なんだ。

▲折角来たのだからと十九日リンス町に這入つた。驚いたことは二年の間に市街が大凡二倍に膨張してをる、以前は殆んど見なかつた自動車が三百に近い番号を示してをる、だが流石に不景気とみえて人通りが如何にも少い、通行の日本人も何となく活気がなく亡者まがひの顔付をしてる、

 某伯人の家の玄関に日本人が物憂ひ顔して座つて居る[、]『ありや何だい医者の家かい』と訊くと『そうではない金借りに来てるのだ、毎日何人来るか判らない』との返答、目下リンスの町だけでも日本人が約五十家族をると云ふ、荒物屋、旅舘[、]散髪屋、彼是屋のふえたことに不思議はないが、堂々たる邦人経営の賭場が二軒、遊女屋が二軒、表向きの金貸業者が二軒(内々でやつてる者は他にもある)出来てるには聊か驚かざるを得なんだ、而もこれ必要あればこそ生するのである、別に不思議はない。

▲上塚第二植民地と云ふのにも往つてみた、駅からたつた四十余キロ、以前ならば馬でダクらねばならず、たとへ馬は天下の逸物でも乗手が稀代の下手糞と来てる、四十余キロも乗つたら人馬共にヘトヘトになるところを、今は自動車で往復が出来る[、]目下此植民地には百二十家族ほどの邦人が這入つてをる、ところがこの連中余り困つてゐない、素より新入植者のことだから余裕のある筈はなく、殊に本年はセレアエス[注 穀類]が獲れなんだ上に、比較的にも良作であつた棉が安い[、]それにも拘らず余り困つてゐない、世間からは寧ろ景気よしとさへ買被られてをる。

▲他なし、それは余裕がなかつた御蔭で他の皆の衆の様に柄以上資力不相応なデツカイことが出来なんだからである、此植民地も日本人新入植者の誰でもがやる様に、ホンの土地代の第一回分を払込んだだけで僅かばかりの食糧を(それも店から借りて)持つて入植、その後の遣り繰りは間作物をアテにしてやつたのである、だから間作物不良では大いに胸算用に狂ひを生ずる訳だが、如何程胸算用が狂ふてもタカが知れてをる、是れ上塚第二植民地の人々が格別困つてゐない訳なのである、然らば如何なる種類の人が困つてるかと更めて云ふ迄もない、だが新聞記者の役目で一通りは書かねばなるまい、それは次便のお楽み

何故にノロエステ邦人の
打撃が大きいか(其二)

ビリグヰにて

                    断  生


『日伯新聞』1925年10月9日

▲前回所報の如く本年余裕のなかつた新入植民が格別困つてないと反対に旧植民で今年あたりから稍々余裕の出来る筈の者が柄以上資力以上にデツカイ事を企て、其資金を一図に本年の収穫物をアテにして敢行した者が皆困つてをる、実際に調査してみると実のなる珈琲を所有せる者が何れも借金を背負つてをる[、]リンス然り、プロミツソン然り[、]ビリグイ然り、ペンナは先の鳥が後になり、何度か霜でやられた為め未だ珈琲らしい珈琲を所有する者が少く、その為め収穫物をアテにして無暴の挙を企てるにも企てることが出来なんだ[、]即ち怪我の少かつた所以である[、]

 本来ならば実のなる珈琲、金のなる樹を所有してるのだから多少の樹を所有してるのだから多少の蓄財が出来て居なければならぬ勘定であるが、ノロヱステ全線を通じてそれがアベコベの現象を呈し借金を背負ふと云ふのだから何ともトロクサイ話である。

▲トロクサイ話ではあるがそれは遺憾ながら事実である、百人中の九十九人迄が従来所有のシチオ[注 小農場]が未だ完成せない内に将来なる珈琲を豊作で且つ高価なものと仮定して更らに新規に土地を買込んだものである、甚しいのになると七八年も前に買込んだ土地代を酢の蒟蒻のと云つて未だ払込みを皆済せぬので更に土地買込むなどの横着者さへもある(ビリグイ)

▲一昨年から去年へ掛けては新に土地を買はぬ者は馬鹿だとされて居た、買へば必ず儲かるもの[、]決して損をせぬものとされて居た、人気と云ふものは恐ろしいもので分別のあるなしに拘らず[、]皆此土地熱に煽られた、即ちフヱブレ[注 熱病]に罹つたものである、

 或所で戸別当りに調査してみると十人が十人迄旧来の所有地は十か十五アルケルス、植付珈琲は一万か一万弐千、其内実のなる珈琲が四千か五千、七八年この方の入植者だから鬼神でない限り此以上は一家族でやれないのが当り前で、これさへもブラジル人のに比べると殆んど二倍の努力成功である、此連中が何れも他に新に土地を二十乃至三十アルケルス買込み、第一回の支払は去年の豊作高値で済したが[、]第二回払込は本年の不作で困つて居ると云ふのが百人が百人までそれである、プロミツソン駅ゴンザカ村百何十家族の中で新に土地を買増して居ないものは二三人しか居ないと云ふのだから他は推して知る可しである、

 即ち最初から土地買ふ金は持たぬが四五千の珈琲が実を結ぶのであるから、而して去年は馬鹿に豊作で高値で景気が良かつたから、本年も矢張りそのツモリでそれをアテにして掛つたが、越中褌今年は不作で安値、向ふからダラリと外れたのが今回の行詰りである。

▲本来珈琲は契約移民当時体験せる如く余程の大家族でない限り一家族能く六千本以上はコナシ得ないものである、それを万以上も植えてをるのだからこれ丈けで既に自分一家の手には余るのである、コロノを入れない限り十アンケルスのシチオを完成することは殆んど不可能と云つてよい、若し本当に珈琲で生活して行かうと云ふなら、而して若しブラジル人に笑はれない程度に珈琲を育て上げやうといふなら、十アルケルスでも可成り骨が折れるので他にウカウカと拡張する余力はない筈である[、]

 然るにノロエステには珈琲万能といふ奇体なフエブレが流行して、誰も彼も己れが最初買つて這入つたシチオの完成を待たずして別に土地を買つて更に珈琲を植付けねば損だとばかり百人が百人まで先を争つて土地を買つた、而もそれは現金ではなく将来出来るか出来ぬか判らぬ収穫物をアテにして買つた、それで困つてる、

▲何所の世界だつて、こんな危ない橋を渡つて仕事が旨く行くものでないことは少しく物の道理の判つてるものは誰でも合点してる、ノロエステ線にだとて理窟の解つた者がイクラかをる[、]本来ならば『そんな無茶な危ないことをしてはイカン、も少し健実にやつて実力を養つてからにしてはどうか』と注意か訓戒をしてやらねばならぬ筋であるが、面白いことにはノロヱステの物の判つた連中と云ふのが揃ひも揃つて土地売商人で百姓の無暴な土地買を諌止するどころか『十アルケルスじや少なかばナ、来年は珈琲もウンとなるから三十アルケルスほど買ひんさい』と寧ろ之を煽動したものである、

 正直な百姓が困つてる半面にはかうした原因もある、即ち農家が珈琲万能熱、土地買熱にウナされてる間に土地伯楽が此所を先途とあふり立てたのだから本年ノロウヱステ邦人行詰りの責任の一半は土地伯楽の上にありとも云ふことが出来る。

▲それも太郎兵ヱ八兵ヱが農家のフヱブレを利用して土地を売付けて儲けたと云ふなら吾人亦何をか云はんやである、而もノロヱステ線で邦人の代表顔をし移民植民の運命を双肩に担つてる如き口吻を漏してる手合迄がたとひ不用意とは云へこれ等と肩を並べて土地売りを開始したことは惜まざるを得ない、

 真に在留同胞の将来を憂ふるならば農家が一時の好景気に眩惑して気狂ひぢみた土地熱に浮かされてる際寧しろ之を諌止してやるが実際植民に忠なるものであつて、有意にせよ無意にせよ之をあほるが如きは断じて慎まねばならぬ、

 素より余り儲けもせず土地を世話をすることは良いことではあるが、今日の植民は最早何の何兵衛の世話でなければ土地を買ひ得ない程に事情不案内ではない、此間に立つて土地を世話してやることのみが決して植民の為めになるとは云はれない、况んや数年来の風潮を直視してをれば踵が地に着いてない植民へ更に土地を売付るなどは真底移民植民を憂ふる者の為し得ない所である。

 

何故にノロエステ邦人の
打撃が大きいか(其三) 

                    断  生


『日伯新聞』1925年10月16日

▲ノロエステ邦人と云つても主としてリンス、プロミツソンの邦人が困つて居るのは要するに拾コントスの資力しか無い所へ将来の収穫物をアテにして五十コントスの仕事をし、百コントスを儲ける夢を見た手合である[、]而してその夢が大きければ大きいだけ怪我が多かつたのである[、]

 伯国人の云ふ所によると『日本人は十コントス持つて百コントスの仕事をしてゐる九十コントスは始めから無いのだ、今日金が無いと騒いでるが始から無いのだ』と正に其通りである、

 ノロエステ邦人農家で平生二十コントス以上の金を庫の中に仕舞込んで居るか、同額の銀行預金帳を仏壇の後に仕舞込んで次の年にどんな不作が来てもビクともせぬ者があつたら手を挙げてみよ、恐らくは十人とはあるまい、大抵はフエブレに罹つて手に余る土地を買ひ、第一回の払込に当て残余は本国送金か呑んだり食つたりに費して仕舞ひ、一年中の生活費をすら翌年の収穫物をアテにしたものである、

 従つて本年は土地代の外に是れから来年の三四月迄喰ふ米豆さへも借りるか貰ふかせねば立行かない手合がある、一切の行詰りや失敗は実にこの手元を空にしたことから生ずるので、此悪習を改めぬ限り将来不作の来る□□に今度の様な悲惨事を繰返さねばならない、

▲今一つ見逃してならないことはノロエステ邦人間に無意味な競争心の激しいことである、殊に後から入植した者が先輩を凌がうといふ気風のあることである、四五年このかた入植した者は七八年も居る者を指して『七八年も居ながら土地十アルケルス珈琲一万本しか持つて居ないとは一体何をしてるのか、俺のする所を見ろ』とばかり一躍三十アルケルス四万本などといふ計画を立てる、此輩に限つて三百ミルの土地を五百ミルにせり上げる、五百ミルで外人が売らうと云ふ土地を横合から飛出して七百ミルで奪つて行く、ノロエステ線の地価が暴騰し土地伯楽が横行したのも実はかうした無意味な競争心が旺盛であつた為め、日本人同志が寄つてたかつて地価を上げ土地伯楽を儲けさしたのである、高い物を多く買へば買ふ程行詰つた時に怪我が大きい、全く自業自得である

▲四五年このかたの新入植者が何故に先輩を凌がうと云ふ埒もない考を起したかと云ふに、彼等は千九百十八年の大霜も知らねば十九年二十年と連続して襲来したガフアニヨート[注 イナゴ]も知らない、三年打続けに無一物にされた当時の惨状は今年の不作どころの騒ぎでなかつた、多くの人は石油買ふ金さへなくてマモナ[注 トウゴマ]を搾つて油を造り火を点じたものである、リンスやプロミツソンでは此惨苦を忘れない人達が居る、然るに此等さへも何時の間にか健忘症に罹つて居る、而して新入植者に負けるものかとツイ無意味な競争に釣込まれ[、]皆々一緒に無暴の拡張をやつた

▲新入植者は曾て霜らしい霜にも遭はず、ガフアニヨートの御見舞は一度も受けたことが無い上に、此の四五年農作物は比較的豊作で且つ値段も高かつた、此の調子で行けば天下何事か成らざるなし、一番先住者を追ひ越して呉れやうと口には云はねど、何時の間に気誇り意狂ひ足が地について居なくなつた、殊にそれがリンス、プロミツソンに於て甚だしかつた、是れ今日ある所以である、

 同地方の人々には今回の行詰りを以て遮二無二今年の不作に原因してると強弁してるが、決してそんな単純なものではない、因つて来る所は三四年前から醸して居たのである、只本年の不作に依つて一年早く結果が現はれたと云ふに過ぎない、

▲走る者は転ぶ、甚だ平凡な伯国の諺であるが意味は深長である、稀には走つても転ばぬマラソンの選手もあるが、通常人では走る者の方が転び易い、走つて転んだ実例には往年ミナスの米作者がある、現在のノロエステの一部も遺憾ながら此例に漏れない、素より性急なる日本人に向つて直ちに伯国人の悠長を真似ろと云ふことは無理な注文かも知らぬが、少くとも伯国には伯国流と云ふのがあつて、他の諸外国人は曲りなりにも之を体得してをる間に日本人のみが本国に於てさへも例を見ないやうな急ぎ方をするのだから転び易いは当然である、

▲在伯邦人の殆んど総ては大抵空漠なる成功(此の語の意味を能く知らないが農家では恐らく金を拵へることを謂ふのだらう)とやらに憧れ、遮二無二之れに向つて走つて居る、事功に□なるは強ち農家ばかりでない、近頃頻々として渡来するヤソ新教の坊さん達迄が皆真黒になつて走つてをる、何れもお若いから無理もないが中々危ぶなかしい、悠々生活を楽み事功を一生の間に挙げる、自分で出来なければ子の代孫の代にやらせると云つた様な大国民の気風が無いのは何とも嘆かはしい次第である、某伯国人評して曰く『小さい事には小賢しく敏捷であるが大きなことには抜けて居るブーロ[注 まぬけ]だ』とそれ或は然らん、吾人は遺憾ながら之をも肯定せぬ訳には行かない。


ノロエステ不况と
対症療法


『日伯新聞』1925年10月23日

 吾人は三回に亘つてノロエステ邦人の行詰原因を評記した、如何程頭の悪い帝国大使館でも少しは解つたことと信ずるが念の為め更に一言しておく必要がある、他なしそれは主として今後珈琲園から出て来る新植民の為めに併せて他地方の既成植民地の為めに更に併せてイクラか帝国大使館の人達のためになりはしまいかとの婆心からである

 己れに出るものは結局己れに返る、クドイがこれは宇宙間の自然法則である、ノロエステ線邦人本年の不况行詰は決して外力の影響ではない、不作は内外人一律一様に蒙つてをる所であるが、外人は存外困つて居ない[、]儲かつたからとてウヰスキーの角ビンをあほるやうな狂態は演ぜぬ代りに不作だからとて借り米をして歩かねば或はアルマゼン[注 食料雑貨店]から食糧品を借りねば生活が出来ぬやうなダラシ無い真似はしてない、

 月三歩五歩の高利の金を借りねばならぬ様な羽目になつたのも決して他人の為めではない、殆んど総てが投機思惑の祟りであり、来年のことをアテにした報いである来年のことを云へば鬼が笑ふとは日本の諺[、]ブラジルでは人が嗤ふ、それで救済法としては只自分で自分を助くるより外妙法はない、注射も按摩も効能は無い、あるかも知らぬが病原を根治することは出来ぬ。

 そこで吾人は甚だありふれた安価な妙薬をノロエステ邦人に進める。他なしそれは各自がプルガンテ[注 下剤]を呑むことである、而して消化し得ない食滞してる土地を下すことである、一時は大いに腹が痛むがその方が命を取り止むるによい、月三歩五歩の高利を払つて迄尚且つ自分の手におえない土地に執着を有つは悟らざるの甚しきもの、今年無理をして繋いだとして来年更に不景気が倍加したら何とする、それこそ怪我は今年に数倍するであらう、而して従来所有してる旧シチオすらも手離しせねばならぬ羽目に立到るかも知れない、

 幸にして本年までは旧来のシチオを抵当に入れてる者も少く之にキヅを付けてる者は殆んど数ふるに足らぬが、天下の何人が能く来年の景気不景気豊作凶作を予想し得るものぞ、進むを知つて退くを知らぬは兵略の最も拙なるもの、退いて守るも亦兵法の一ツである

 遺憾ながらノロエステの邦人は従来進むことを知つて退いて守ることを知らなんだ或は忘れて居た、本年の不景気を天の与へた良教訓としてシミジミ骨身にしみ込ませ昨非を悔いて眼をつむつてブルガンテを呑下すなら将来の大成は蓋し待ち得るであらう、吾人は視察旅行中『苦しいけれども実際タメになりました、良い薬でした』といふ者あるを見て窃かに意を強ふした次第である

 サテ例の救済資金問題であるが、これは理窟のあるなしに拘らず田付大使が拵らへてやる責任がある、始めから出来ないのを承知の上で嘆願書を受理し本省へ打電したと云ふなら少くとも植民を誤らしめたと云ふ責任は免れない、

 素より決定的に引受るなどとトロクサイ返答をした訳ではなく上塚とても大使が引受けて呉れたとふれ歩いた訳では毛頭あるまいが而もノロエステ各地で『天子様の御名代と上塚さんとの直談判ですからキツと出来ますよ』とか『二十五〓[注 現地での合成字 金へんに千(ミルレイス)]の世話料を払ふても四五コントス貰ふのに損はないでせう』とか『イヤ世話料は出しません[、]政府の金が貰へたらそれから差引いて貰ひます』などと真面目腐つたのや横着至極の言を幾度となく聞かされたものである、

 苦しい時の神頼み実際ノロエステでは心ある者は別として田付大使の尽力を甚だアテにしてをる、無論アヤフヤな考から嘆願を諾いた訳ではあるまじく必ずや首と引換の決心あつての事と思ふノロエステの邦人が金の代りに殺風景な白髪頭や瘠首を貰つても余りドツとせぬから首は宜しくお預けとして、時日を待ち実現するか否かを見て更めて責任を問ふことにすればよい。

 若しそれ救済金と低資融通問題とに就いては吾人別に観る所あるも茲には述べない、それは徒らに農家を迷はし失望さすの外何の役にも立たない、只然しながらそれは全然別途のものであらねばならぬことは明かである、

 低資融資の必要は吾人多年の主張であつて、之を要求するもの強ちノロエステ邦人に限らない、ソロカバナ然り、モヂアナ然り、イグアツペ亦然らずと云ふことなし、而もその関係する所広汎なるが為め今日に至るも容易に実現するに到らないが吾人筆硯の徒の立言以外各地邦人の団体運動にして苟くも筋が立ち識者に嗤はれない程度のものならば、その実現を早める効能はある、之に反し中小学生徒の作文みたやうなものや、権蔵八蔵のヨタを書いて出したのでは、大臣宰相はさておき官庁の腰弁ですら屁もヒツカケない、此点将来在留邦人の団体運動に際し特に注意する必要がある。

 ノロエステ邦人の本年の打撃は甚大である、而も之を切抜くるは只自己をおいて外にない、他力の信心は兎角アテにならぬ[、]従来ノロエステは『海興の世話にもならず政府の厄介にもビタ一文なつて居ない全く独力経営の植民地だ』と中外に向つて大言を払ふた手前もある、今にして政府に泣きつくはチトおかしくは無いか、死中活を求めよ恐らくは血路を見出すことあるべし。