公共の場でのマナーへの注意喚起(邦字紙記事)

Hábitos e costumes que despertam a atenção do público (artigo publicado em jornal de língua japonesa)

Precautions on manners in public (article published in a Japanese language newspaper)

  読者と記者

●風俗に注意せよ


『伯剌西爾時報』大正7年4月26日

 記者足下、日本から新らしい人達が来る度毎に古い人達から話さるるし私が来た時そうだつたが、半年なり一年なり当国にしりを据へ慣るに従つて、先輩が私共に注意して呉れた事共が能く事実に当嵌まり、今度は自分が却て新らしい人達に注意する様になつて来る。

 壮年に達した私共には伯剌西爾語を流暢に話すことは困難でありますが風俗習慣になじんで伯人に観られて悪く思はれない位のことは、心掛一つで出来ることであります。例へばズボンの代りにズボン下を使用したり女が腰巻の儘で外出歩きをして風に煽られて脛を現はしたり、日本着物で乳房を出したり、釦の無い所から下帯の覗き出して居るなぞは、伯人が見て非常に下等に感ずるのでありますから、是等は是非共改めたいものであります。

 私は斯く申ましても態々新調して美衣を飾れと主張するものではありません、持ち合せの日本着を当国風に改め、伯人から見られても野卑でない様にしたいと云ふのであります、其れに又当国風に衣服を改造することは日本人同士の間でも見好く、着心地も良いと思ひます(彼南生)

  至極御尤もな注意であります、本紙には屡々風俗、習慣のことに就て書いて居りますが、どうも利目がなくて困まります、殊に甚だしきに到つては、本紙の俗に入つては俗に従へと云ふ記事に対し「何も伯剌西爾の野糞なんかたれる事なぞ見習ふ必要がない」と批評してゐる人があるが、余り常識のないのにも程がある、箇様な良否善悪の区別も弁えぬ人達が居るからなさけない、どうか常識を具へた吾々兄弟姉妹は、能く良否の区別を為して、良き事は直ちに採つて之を行ひ以て俗に入つては俗に従ふの美質を発揮されんことを望みます(記者)


見ともないね日本婦人の背負児


『聖州新報』大正15年6月18日

 近頃北西線リンス町に、日本婦人で幼児を脊負つて出浮かれる姿が甚だしく多くなつた。
 脊に児を負つて居れば、両手は男並に働かせ得る経済的処身法の一つであらうも
 外人と混合世帯の町風俗としては、余り見栄えのいいものでない
 それで、白い歯や赤い舌を出して黒人も是れを見ては、身振りやしなをやつて嘲つて居る。
 一等国民の日本お婦人も、あれでは台なしだ。
 日本人は鼻が低いと小言を云つちや無理だらうが、脊に児をくくりつけての町行きは、町に住む邦人ばかしの赤面はかりぢやない。
 田舎の邦人家長連の注意を喚起したい、リンスばかりぢゃないがね、見ともよくないね。


汽車の中


『聖州新報』1926年8月20日

 殖民地の汽車の旅、日本人ばかりでなく、外人中にも応々傍で見兼ねる程、粗野な振舞を平気でやつてのける者が、たまにあるけれど、日本人の粗野な振舞と、外人のそうした動作との間には、東西人種風習の異なる如く其趣が甚だ違つて居る。

 外人の動作で癪にさはる事は、その動作が人に迷惑をかけると知りながらの振舞である。即ち意識的の「ズル」をやらるるから、何うかすると、ほんとに抗議を申込んでやりたくなることが応々ある。

 例へば、西洋人の不作法は一寸席を立つて居らぬ間に、他人の手荷物を次のバンコ[注 ベンチ]や椅子に置き換えて居り、宛然優越権でもある様にズルイ顔してその席を横領してゐる如きである。

 斯うした場合、ほんとにいやな気持をさせられる。

 然し、日本人の粗野な振舞は、そうした意識的「ズル」さから来て居る動作でなくて、ほんとに無意識的の動作である場合が多い

 例へば、汽車の中で其坐つてゐる衆人環視の場席で上衣を脱ぎ、シヤツを着換える動作の如きである。

 又、靴をぬぎ捨ててバンコの上にあぐらをかく如きである。

 又、隣の人の荷物の上に、のしかかつて居眠りしてゐる如きである。

 斯うした動作は、日本の汽車の中の如くどちらを見ても家族的の同民族ばかしの旅であれば、何等鼻にもつかぬ動作であり、反つて親しみ深い動作かも知れないが、異人種雑居の汽車の旅中では甚だご無礼な振舞とそれがなるんだ。

 先日も、私はノロエステ線の汽車の中で日本の一紳士に会つた。

 彼はサントス丸で来た新来者であつた、北米や亜細亜大陸も相当に経廻つた何々理事と云ふ名刺に立派な肩書もある人であつた、にも拘らず私が敬意を表しに彼の坐席に近づいた時、其紳士は坐席から立ち上つて「ワイシヤツ」をお着換え中であつた。

 同車中の男女老若異人さん方の眼は、奇怪な光に□いて東洋の此紳士を環視した。

 私は無言のまま傍に立つて、それをみつめた――が、私の背には脂汗がシトシトとにじみ出た。

 此の紳士は、列車の中でカミーザ[注 シャツ]をきかえることが、乗合の傍の人々に何等無礼であるとは毛頭自覚してゐない、無意識の動作だ。

 イブや、アダムが、禁断の木果を喰はぬ前の肌裸の気持ちだ。

 罪はこの紳士にないとしても、私は禁断の木果をこの紳士に喰つてもらいたかつた。

 此紳士が「ワイシヤツ」を列車の中で着換へた事は、やがて降りる駅に於ての衆人に対し礼を尽さんとの心尽しであつたらう。

 だが、そうした礼儀を知る人が異衆人環視の列車内の席で、譬へ肉体を下衣のカミーザで見せない迄も、「ワイシヤツ」を脱ぎ換へるといふ振舞を無意識でやる処に、西洋人の東洋人に対するさげすみが起る。