1909年9-10月の移民状況視察報告(1)

Relatório sobre as condições de vida dos imigrantes (setembro-outubro de 1909) (1)

Report on the insepection of emigrants’ situation from September to October 1909

在ブラジル公使館二等通訳官 野田良治のサンパウロ州内の移民情況視察報告。野田は結論として、ブラジル移民に悲観的な見通しを示していた。テキスト化に際し、適宜、句読点、濁点を補った。

伯国サンパウロ州本邦移民状況視察報告

                在伯国公使館二等通訳官 野田良治

目  次

第一章 移民労働地状況

  一、「カナーン」珈琲園

「カナーン」
 本耕地はサン、シモーン区に在りて英国の資本に成れる「サンパウロ、カフイー、エステーツ、コムパニー」(Sao Paulo Coffee Estates Co., Limited)の経営する所に係る。

 州の首府サンパウロ市より本珈琲園に達する順路は、「パウリスタ」鉄道によりてカムピナス市に到り同地に於て「モジヤナ」線に乗替へカナーン駅にて下車するものとし、其の距離二百三十四マイルにして午前五時四十五分発の急行車に乗るときは、午後三時三十三分カナーン駅に着し、又午前六時四十五分発の通常列車に依るときは午後六時三十分に到着すべく、同駅よりは延長三十基米突キロメートル(十九哩弱)の耕地私有鉄道ありと雖も、其の発着は時間不定にして同数極めて少く、且カナーン駅には宿泊すべき場所なきを以て、耕地よりの出入には多少の不便を感ず。

 本珈琲園は三四十年前までは数個の小耕地に分れたりしを、伯人の一富豪之を買集め、後、更に現会社の有に帰したるものにして、今や屈指の一大珈琲園となり、之を「カナーン」、「オラリヤ」、「サンタ、オリムピヤ」、「サン、ロウレンソ」、「モルロ、ヴェルメーリヨ」、「サン、ジヨアキーン」及「ボア、ヴィ[注 ヰ+濁点 以下同]スタ」の七耕地に区別し面積総計六千町歩を下らず。其の一部に珈琲樹約二百万株を栽培し収穫量は作の豊凶により毎年差異あるも、明治四十一年度の収穫珈琲は十八万五千袋(一袋は剥皮したる珈琲六十基入)なりき。

 珈琲園の本部、即、総支配所は「カナーン」耕地の中央に在りて、総支配人、書記、会計等此所に住し、事務所及労働者日用必需品販売の外、機械の製作及修繕に必要なる工場を有す。又珈琲剥皮工場及労働監督所はサンタ、オリムピアニ在りて、耕地私有鉄道はカナーン停車場より「サンタ、オリンピア」を経て(距離十基米突)一大迂回をなしつつ「カナーン」に達し(停車場より距離二十七基米突)、其の先き三基米突のモルロ、ヴェルメーリヨを其の終点とす。

本邦人十八家族
 所要労働者の数は平時に於て二千名、収穫期に於て三千名内外とし、本年(明治四十二年)四五月頃の調査に拠れば、本珈琲園には、
     伊 太 利 人     一七九家族
     西 班 牙 人     一〇四家族
     伯 国 人         二六家族
     日 本 人         一八家族
     葡 萄 牙 人        三家族
      合   計       三三〇家族
 右の国人を数箇所に配置し各所一部落を形成す。

 明治四十一年六月本珈琲園に入りたる本邦移民は、二十四家族にして総人員百五十五名より成り、悉く沖縄県人なりしが、元来彼等は夫婦者の一家族に独身男子一名又は数名を合併し、表面一家族たるが如く装ひたる虚構の家族組織にして、多くは他人同士の集合なれば、他外国移民が専ら夫婦、親子及兄弟姉妹の関係を以て構成する真の家族とは全く其の趣を異にし、之が為め耕地役員及他の労働者をして日本人は一妻多夫の家族制を有する未開の蛮人にあらずやと疑はしめ、勢ひ其の軽侮を受けたるのみならず、本邦移民自身に於ても一家族として和合すべき筈なく、寝食及労働上屡々衝突を醸し、其結果先づ其家族の附属物に過ぎざる独身者より漸次耕地を逃亡し、サンパウロ市及サントス港等に出でて他の職業に従事し、中には珈琲園に於て労働するよりも却つて多額の収益を得たる者あり。而して斯かる誘惑的報道を得ると同時に、一面園主より逃亡者に対する罰金を課せらるに至れる残留者は、彼是打算の末、寧、耕地を去る方利益なりしと、真の夫婦者にして逃亡したる輩も尠からず。入園後八箇月を経たる時には在園移民の数、尚ほ二十二家族百十九名(内女十八名)ありしが、本官巡回の当時(四十二年九月下旬)には著しく減員して纔に七家族二十三名(内女八名)となり、左記の四箇所に労働中なりき。
     サンタ、オリムピヤ     独身者      二名
     サン、ジヨアキン      三家族     一〇名
     サン、ロウレンソ       二家族      七名
     モルロ、ヴェルメーリヨ   二家族      四名

一同離散
 此の内独身者二名は、乾燥場に於て一日二「ミルレイス」ノ賃銀にて労働し、家族を構成せる二十一名は一般の習慣に従ひ珈琲樹の小作手入れをなすの外、珈実収穫に従事し、珈樹小作料は畑の土質により差等を設け、千株を単位として一箇年七十、八十、九十及百「ミルレイス」の四種に区別し、家族の人員及労働の能力を斟酌して各家族の受持数を定め、其株数に応ずる料金を支払ひ、又珈実採取賃は本耕地に於ては一「アルケイル」(五十「リトル」)に付五百「レイス」を給する規定なるが故に、順当に労働し且沖縄県人の如く食料として極めて少額の費用を支出する外、殆ど他の経費を要せざる移民に在りては、一箇年後の総勘定に於て生計費一切を差引き数百「ミルレイス」の純益あるべき筈なり。然れども前掲七家族中、入園の当時家族を構成し居たる丈けの定員を有するもの皆無にして、孰れも若干の逃亡者を出し、之が為め一箇年小作手入をなす契約にて園主より預りたる珈樹の内、幾分を返納するの止むを得ざるに至り。而して園主側にては小作期限の中途に於て此の如き返附を受くることは非常なる手数と損害を蒙るにより、予め契約を以て中途違約の場合に於ける罰金を規定し、其の返納したる分に対し小作料年額の半に相当する罰金を課するが故に、本珈琲園に残留せる沖縄移民は、其の所得賃金中より罰金を差引かるる時は、実際各自の懐中に入る所極めて僅少にして、中には却つて園主より負担するの結果に了る者あり。一面大に失望せると同時に他の一方に於て既に逃亡せる同県人中サントス港其他に於て一日数「ミルレイス」の賃銀を得、続々本国に送金するの実例をも耳にせるを以て、彼是永く珈琲園に留まるの意志なく、遠からず契約期限満了するを機として本耕地を去らん考なりと聞きたるを以て、本官は百方説諭を試みたれども、彼等の決心甚だ堅くして容易に動かすべからず。遂に一同翌十月中旬に至り本珈琲園を去りてサンパウロ市及サントス港方面に向へり。

 本耕地に於ける珈琲樹の手入れは五回にして、雑草芟除を主とし四月より九月に至る収穫期に於ては専ら珈実採取に従事し、手入れは収穫期の前後に之を行ふ。然れども小作料金は年額を六分に二箇月分づつ帳簿上にて之を移民の収得額として其の欄内に記入し、此の金額に対して労働者所要の食料及其他の物品を耕地所属の物品販売店より貸出し同じく之を記帳し置き、収穫期の終了を俟つて(十月、十一月頃)過去一年間の総勘定を行ひ、悉く賃借を差引し残余あるときは初めて其の差額を現金にて移民に交付する習慣にして、此の現金支払は前年十月に締切り決算したる分は翌年一月に至り行くことありと云ふ。

 賃金支払の方法前記の如くなるを以て、園主と移民間の契約第十三条に「移民は必要物品を任意の場所に於て請求するの自由を有す」との明文ありと雖ども、勢ひ耕地内の店舗より食料品其他を購はざるべからず。貪慾なる耕主は之に乗じて高価なる物品を労働者に売付け暴利を得る者も尠からず。然るに本耕地に於ては成るべく薄利に販売し、移民を満足せしめて多年之を耕地に引留むるを利益とし、他の耕地に比すれば頗る安価なりと自称せり。今、其の一班を示せば、
    白 米  一袋(五十八基入)       二八「ミル」〇〇〇「レイス」
    小麦粉  一袋(四十四基入)        九「ミル」〇〇〇「レイス」
    菜 豆  一袋(百「リトル」入)      一二「ミル」〇〇〇「レイス」
    豚 脂  一鑵(二基入)           二「ミル」八〇〇「レイス」
    砂 糖  一基                 〇「ミル」七〇〇「レイス」
    塩     一「リトル」              〇「ミル」二〇〇「レイス」
    燐 寸  一包(十個入)           〇「ミル」六〇〇「レイス」
    石 油  一鑵                 八「ミル」〇〇〇「レイス」

 沖縄県人は牛肉、豚肉、鶏肉等は殆ど之を消費することなく、又耕地にては移民の受持地区中土壌肥沃なる部分には珈琲樹の中間に菜豆を播附くることを許し、尚ほ別地に甘藷、玉蜀黍、菜豆類の栽培をなさしむるを以て、米塩其他若干の物品を購求するに止まり。移民一人が一日の食料として実際費す金額は、僅々三百「レイス」内外なりと聞けり。

 移民の住屋は他外国移民が住せると同様の家屋にして、耕地より無料にて之を貸与し移民各自の心掛け次第にて十分清潔に整頓することを得べく、健康上何等非難すべき点なし。

 医師は耕地に常傭しありて、耕地は一家族に付毎月二「ミルレイス」の割を以て移民の労銀中より医薬料を徴収し、仮令如何なる大病に罹りて医療の費用嵩むことありとも決して其の以上を徴することなし。

 本珈琲園に在る伊太利人中、一家族にして一箇年の賃借を差引し純収益一「コント」(即千「ミルレイス」の得たる者あるは事実なるも、此は大抵四五名以上の働き人を有する家族なるが故に二名若くは三名より成る本邦移民も亦之に匹敵する収入を得べしと想像するは決して其の当を得たるものにあらず。

 本耕地は移民の家族構成其宜しきを得ざると農業に無経験なると利殖に急なるとにより失敗し畢れり
 尚ほ本珈琲園に於ては最初より甚しく本邦移民を優待し、以て好結果を収めんと努めたるの形跡は歴々として明白なるのみならず、移民側に於ても労働、賃銀及其他の待遇に関し不平を唱ふべき理由を有せず。従つて若し此等移民にして真の農民家族より成り珈琲園に落着きて労働するの意志だに強固ならば、移民自身の成功は勿論、園主にも満足を与へたるべけれども、事実は全く之に反し既述の如く移民募集者が単に労働者の人数を揃へんがため独身者を家族に併合して渡航せしめたると、移民自身も亦た農業労働を好まず且全然永住の意志なく、一日も早く相当の貯蓄をなして帰国せんとの希望のみ旺にして、却つて他の労働を択ぶの傾向あり。かたがた彼等の本耕地に於ける成績は、サンパウロ州政府及園主側より見て全然不良のものとなり了れり。されば本耕地役員は本官に語りて、今後本国に於ては単に珈実採取のみに従事せしむる目的を以て収穫期に限り臨時日本人を雇入るることあるべきも、一年間珈樹の小作を彼等に委することは今日までの経験に徴し全く不可能なるを悟れりとて、目下再び本邦移民を契約傭用するの意なきを表白せり。

  二、「サン、マルテインニヨ」珈琲園

「サン、マルテインニヨ」
  本珈琲園はセルトーンジーニヨ区に在り、サンパウロ州屈指の富豪マルテインニヨ、プラド家ノ所有する所にして「パウリスタ」鉄道の一駅マルテインニヨ、プラドの東北に拡がる一大耕地とし、千八百八十九年マルテインニヨ、ダ、シルヴァ[ワ+濁点 以下同]、プラド氏父子之を購入し、現今サン、マルテインニヨ農場会社(Companhia Agricola Fazenda São Martinho)なる名義の下に経営し土地面積二万数千町歩エクタールにして、其一部分に珈琲樹二百四十万株を栽培し千九百八年度の珈琲収穫量六万袋なりき。

  州の首府サンパウロ市よりマリテインニヨ、プラド駅までの二百四十五哩余(三百九十五基米突)にして午前五時四十五分発の汽車は午後四時四十分にマリテインニヨ、プラド駅に達すべく、毎日双方より一回づつ発車す。乗客運賃は一等二十五「ミル」五百「レイス」二等十四「ミル」百「レイス」とす。

  停車場よりは馬車にて十五分を費せば耕地本部に達すべく、別に珈琲搬出のため停車場と耕地本部内珈琲剥皮工場との間に鉄道を布設し、「パウリスタ」線の貨車は直に工場まで進入せしむることを得。

  本珈琲園も亦之をサント、アントニオ、サンペドロ、サンジヨアン、サンジヨゼー、サン、セバステイアーン、サンパウロ及ヴェリデイヤナの七区に分ち、本部及剥皮工場をサント、アントニオに設置し労働者を各所に分配し其の部落数八箇所とす。

  其の雇役せる労働者は二百二十家族にして男女老幼合せて千数百名に上り、就中伊太利人最多く西班牙人、伯国人等之に次ぐ。

本耕地の移民も居付宜しからず  八家族
  最初珈琲園に傭入れたる本邦移民の数は鹿児島県人二十五家族九十九名なりしが、是亦一家族に付一名若くは二名の割合を以て、独身男子を人為的に結付けたると農業労働に慣れざる移民を混入したるとにより、続々耕地より逃亡し、本官巡回の時(明治四十二年九月二十九日)には僅に八家族二十七名(内女九名)と外に本耕地に於て出生したる幼児一名丈け現在せり。

  而して前掲八家族の本邦移民は、サント、アントニオに三家族、サン、ジヨアンに四家族、サン・ジヨゼーに一家族、即、三箇所に分布せられ労働契約の条件は、
 (イ)珈樹千株一年間の小作手入は、八十「ミルレイス」なりしを後に七十五「ミルレイス」に引下げ、其の代り移民をして珈琲樹間に自己の耕作をなせしむることとせり
 (ロ)珈実採取賃は収穫量五十「リトル」毎に四百五十乃至五百「レイス」
 (ハ)日給労働の場合には食料移民持にて一日二「ミルレイス」乃至二「ミル」五百「レイス」
 (ニ)小作料は年額を四分し三箇月に一回づつ帳簿上にて之を移民に支払ふ
 (ホ)尚ほ珈琲樹間の外、支配人が指定したる地に穀類を栽培することを許す

等にして、小作は一名に付二千五百乃至三千株の割合にて珈琲樹を受持ち、其の手入れは三回雑草芟除を行ひ、一回は土寄せと称して樹下に落ちたる枯葉其他の塵埃を盛上げ、他の一回は此の盛上げたる土芥を掻きならし、都合五回にて一年間の役目とし、珈実の収穫は他外国移民と共に全耕地労働者を二組に分ち小作受持区域に関はらず採取すること各耕地を通じての慣習にして、其の収穫量は作の豊凶により年々一様ならずと雖、平均一人一期間(凡六箇月間)に百五十袋(皮附珈琲は二「アルケイレス」即、百「リトル」を一袋とす)を採取し百三十五乃至百五十「ミルレイス」の賃銀を収得す。

 移民各自の収得に帰すべき間作は孰れも競ふて之を行ひたるにより、玉蜀黍及菜豆を多量に収穫し、自家消費に充つるも尚ほ余剰を生じ、之を他に販売せんとするも耕地内にては需要者なく、耕地外にも二三里の間には町村なく、夫れ以上の遠距離に搬出するときは全く運賃倒れとなるを以て其の販売は甚だ困難なり。

 本邦移民中最初入園の当時各住家の後方に在る若干の空地に養鶏を試みたる者少からざりしが、彼等は他外国移民の如く子女を携帯せず何れも壮年者のみにて早朝より夕刻まで野外に出でて労働し、留守番として家に居残る者一人も無きが故に、狡猾なる外国人は此の虚に乗じて本邦移民の飼養せる鶏を盗み去りたるにより、其後は養豚のみを行ふこととなり、幼豚を購ひて飼育すれば余り費用及手続を要せずして七八箇月後には相当の利益を占むるも、是亦自家消費に供する外、他に販売することは甚だ困難なりといへり。

 斯くて本邦移民は其の自作に係る玉蜀黍、菜豆及其の飼養せる豚等を以て日々の食料を補ひ、比較的安直に生活し夫婦二人にて生活費を差引き一日一「ミルレイス」は貯蓄し得られるべく、三人家族にて一箇年の所得(生活費を差引き)五百乃至七百「ミルレイス」の間なりとは、移民一同が本官に向つて明言せる所なり。

 移民の食料品及其他の日用雑貨は近傍に都邑を有せず、且賃銀は他耕地に於けると同じく帳簿上にて払渡すに過ぎざるを以て、凡て耕地所属の店舗より購入す。其の価格の一端を挙ぐれば左の如し、

    (ミル) (レイス)
 白米 一袋(五十八基入) 二七、 〇〇〇
 小麦粉  一袋(四十四基入) 一六、 〇〇〇
 牛肉 一基に付 〇、 三〇〇
 豚脂 一鑵(二基入) 三、 〇〇〇
 食塩 一基に付 〇、 八〇〇
 砂糖 同 上 〇、 七〇〇
 麦酒 一瓶 〇、 五〇〇
  但、本邦移民は麦酒、葡萄酒等は贅沢に過ぐると称し殆ど之を飲用せず大抵「ピンガ」と称する甘蔗製焼酎を消費す
 石油  一鑵 八、 五〇〇
 蝋燭 一袋(八本入) 一、 七〇〇
 燐寸 一包(十箱入) 〇、 八〇〇
 労働服 上下一着に付最低 四、 八〇〇
 労働者向帽子 一個 一、〇〇〇 乃至三、〇〇〇
 鞄 一足に付 九、 〇〇〇以上
 肌衣及ヅボン下 一枚に付 一、 五〇〇
    一、 八〇〇位
 鍋(凡二升炊大) 一個に付 六、 〇〇〇
 金属製杓子 同 上 一、 二〇〇
 茶呑碗(金属に「エナメル」を施したるもの) 四個に付 一、 〇〇〇


 衣服は凡て本邦より携帯したるもののみを用ひ、帽子の如きも手製の鳥打帽の如きものを使用し、未だ一回も請求したることなしといへり。

 移民の住居として園主より無料貸附する家屋は、四壁を煉瓦にて畳み、赤瓦を以て屋根を葺き、一棟を二区に仕切り、一区を一戸として、之に一家族を住せしむるを常とすれども、時として少人数の二家族を同居せしむることあり。各戸孰れも独立せる表口及裏口を有し、之に板戸を設け一戸を前後二室に区画し、其の中間には一の出入口あるのみにて戸を設けず。一室毎に一個の窓を附し是亦一枚の板戸によりて開閉す。下は土間にして本邦移民は室の一部を板張となして之に臥寝す。一室の大さは凡十二畳敷とし、屋後に炊事場を設け之に続きて若干坪の空地あり。是れ即、移民が養鶏、養豚等を行ふ場所なり。

 本珈琲園の小作料勘定は契約書には三箇年毎に一回と既定しあるも、実際は毎月一回正確に之を行ひ、現金を渡す代りに之を帳簿に記入し、総勘定は珈実収穫結了後、即、十月頃之を締切るも各自の貸借を清算したる残額を現金にて支払ふは、翌年一月二十五日の慣例なりといふ。而して本耕地にては医薬科は一箇月何程と定めて、徴収する代りに総勘定に於て移民の受取るべき金額、即、一箇年の純益に対し百分の五の割合を以て之を納付せしむ。

残留移民の成績は良好なり
 本耕地に於ける我が移民の状況は以上記述せる通りにして、契約期限中多数の逃亡者を出し、日本労働者の多数は農場の業務に不適当なりとの印象を雇主に与へ、此の点は確に不結果に了れりと雖、残留移民の成績は概して良好にして各自出稼の目的を達しつつありと認む。

 従つて移民自身も労働の分量及収得賃銀に関しては何等の苦情を唱へざるも、言語習慣を異にする結果として、耕地役員及他外国移民と意志の疎通を欠き、動もすれば人種的偏見に基く侮蔑の標的となることあり。元来本珈琲園の所有主は本邦移民賛成者の一人にして決して人種的偏見を有せず、大に之を優遇するの主義なれども、耕主はサンパウロ市に住居し年に一二回耕地を見舞ふに過ぎず、耕地の事は凡て之を支配人に一任せり。

 然るに従来の支配人ドクトル、バセラールは大の日本人嫌にして、日本移民を本耕地に傭用することに不賛成なりしに拘らず、主人の威を以て之が傭用を迫られ、内心頗る不平にして、寧ろ本邦労働者の不成功を悦ぶの傾向あり。契約条件以外の瑣事に関して兎角日本人に不利益を与へんとし、又部下の監督某も支配人の歓心を迎へんがため頻りに日本人を苦しめ、他外国移民に向つて日本人の収穫したる副作物を購求するときは、園主より罰金を課せられるべしなどの言を弄したることさへありとて、本邦労働者は甚だ憤慨し既に七月二十五日に於て明四十三年の収穫結了(十月頃)まで更に一箇年労働を契約したるに拘らず、本年の総勘定了ると共に一同本珈琲園を去るの決心なりと称し居たり(一旦契約したる者が中途耕地を去るは契約違反にして罰金を課せらるるが故に一同夜迯げをなすの決心なりき)。

 仍て本官は二三箇月前ドクトル、バセラールの後を襲ぎて支配人となれるエンリケ、リベイロ氏に向ひ、具に移民不満の事情を陳述したるに、同氏は予は元来日本人贔屓たるを自白せる一人なれば今後は出来得る限り日本人の利益を保護し、耕地役員等を誡めて万事に注意せしむべきに付、尚ほ一年間本耕地に留まる様説諭あり度しと答へ、更に本官より移民に説諭を加へ其儘労働することとなれり。故に同支配人が果して其の言の如く本邦移民を優遇する限りは、移民一同明年十月若くは十一月頃まで本耕地に留まるべし。

  三、「グワタパラー」珈琲園

「グワタパラー」
 本珈琲園も亦、マルテインニヨ、プラド家の所有に属し二十年前に於て現所有主ドクトル、マルテインニヨ、プラド氏の父マルテインニヨ、ダ、シルヴァ[ワ+濁点]、プラド氏の創始したる所とす。其の位置はサン、シモーン区に属する「カナーン」珈琲園とセルトーンジーニヨ区に属する「サン、マルテインニヨ」珈琲園の中間に介在せるに拘らず、行政上リベイロン、プレト区の一部を成し、耕地面積大凡一万四千町歩エクタールにして其の一小部分を開墾して珈琲園となし、「タリヨーン」と称する一区画毎に五千株乃至五千百株の珈琲樹を植付け、其の「タリヨーン」数三百五十八区の外、一区を成さざる石地にも之を栽培せるを以て、珈琲総数は二百二十八万株に達す。収穫珈琲の量は千九百八年度は非常の豊作にして五万四千五百袋に達したるも、本年は頗る不作なれば僅に一万五千乃至二万袋に過ぎざるべしといへり。尚ほ本耕地の一部には「マンデイオカ」を栽培し之より製せられるる「マンデイオカ」粉及「タピオカ」を製造する目的にて目下其の製造工場新築工事中として、別に甘蔗より酒精を製する蒸餾所の設あり。又日本式米作に適する平低地十数町歩を有す。

 本耕地に達するにはサンパウロ市より「パウリスタ」線鉄道に依り午前五時四十五分に発車するときは午前[ママ]三時四十八分にグワタパラー停車場に着すべく、汽車賃は一等二十三「ミル」九百「レイス」、二等十二「ミル」八百「レイス」にして毎日双方より一回づつ発車し、午前八時十八分にグワタパラー駅より乗車するときは午後六時四十三分サンパウロ市に達すべし。而してグワタパラー停車場と珈琲園本部、即、支配所との交通は珈琲搬出の為め延長九基米突の私設鉄道ありて二十五分間にて往来すべし。但「パウリスタ」鉄道の貨車は軌道の幅を異にするを以て、之を耕地内に引込むことを得ず停車場に於て振替へざるべからず。

 本珈琲園に雇役せる労働者の数は約二千名にして、其の家族数は本年(明治四十二年)中一時二百九十七家族なりしも其の内一部分は離退し、本官出張の時には二百二十家族の外、珈実収穫のため最近臨時に雇入れたる北方バイーヤ州の黒人約三百名(多くは独身者)現在せり。家族移民は従来伊太利人最多きが常なりしも、今は西班牙人最多数を占め伊太利人、葡萄牙人等之に次ぎ本邦移民は他耕地に於けると同じく僅に全体の一小部分たるに過ぎず。

過半は定着せず  十三家族
 明治四十一年六月本珈琲園に契約せられたる本邦移民の数は、鹿児島、高知及新潟県人二十四家族此の人員八十八名(サンパウロ州農務長官の報告には九十名とあり)なりしが、此等移民中にも偽家族を混じ又家族にあらざる独身者を表面家族に組入れ、若くは元々農業労働に従事するの意なき非農民を混入したるにより過半は既に逃亡し去り本官が出張視察したる時(明治四十二年十月一日)には僅に三十四名残留し(別に携帯児一名、出生児五名あり)、表面十三家族を構成すと雖も、内二家族は独身男子のみを組合せたるものにして一は二名、他は三名より成り、単に労働上一団となれるに過ぎず。本邦人の家族制度は分合自在にして其の婚姻の如き全く一時的性質を帯び、何等民法上の形式を履まざるに似たりとて、支配人及耕地役員は勿論、無智文盲なる内外国労働者に至るまで、最初は甚しく我が移民を軽侮嘲弄せり。然れども本耕地には幸にして移民入園の当時より今尚ほ引続きて、一名の日本人通訳附添ひ居り、頗る適任者にして能く本邦人の為めに弁護説明し、我が移民に対する態度を一変せしめたると同時に、深く支配人の信用を博し、本邦移民の数大に減少し、前記の如く僅々三十四名に対し通訳一名を附するは耕地にとり不経済なるを以て、之に労働監督を兼務せしめ、本官出張の時は尚ほ珈実採集中にして同通訳は本邦人及西班牙人数十名より成る労働者の一団を指揮監督し、他耕地に於て本邦移民が伊太利人若くは伯国人の監督者に指揮せられ、言語十分に通ぜざる等の事情ありて常に不便と不愉快を感じつつあるに比し、諸事頗る都合好きを実見せり。

 労働契約条件は、
(イ) 珈琲樹小作手入、樹数千株に付年百「ミルレイス」
  但、樹間に自作をなすを許さず
(ロ) 珈実収穫賃銀五十「リトル」に付五百「レイス」、即一袋百「リトル」に付一「ミルレイス」
(ハ) 日給労働賃銀二「ミル」五百「レイス」
(ニ) 小作料の計算は毎月之を行ふことに規定しあるも、実際は隔月一回として二箇月分を其の翌月の第一日曜日に勘定し、現金を渡す代りに耕地限り通用する切符を以て之を支払ひ、移民は此の切符を以て耕地所属の店舗より必需品を購入す。
 収穫結了後に行ひたる総勘定の結果として移民の受くべき金額は、翌年一月に至り之を交付するも、其年限り耕地を去る者に対しては凡二箇月早く之を支払ふ。
(ホ) 移民が食料品を補ふ為めの自作は、園主が別に指定せる地に之を行はしむ。
 尚ほ別段契約書には規定しあらざるも、医薬料として移民一名毎に一箇年六「ミルレイス」を徴し、又珈実収穫用の麻袋は労働者一名に付十個乃至十五個を要すべく、其の代価毎個一「ミル」七百「レイス」にして之は労働者の自弁とすること本耕地の慣例なり。

 本珈琲園に於て労働者に受持たしむる珈琲樹数は、大人一名三千株を以て標準として、家族の人数に応じて之が受持数を定め、尚ほ区画の都合により千株未満の端数は之を受持数に加ふ。勿論端数に対しても之に比例する小作料金を支給するものと知るべし。

 本邦移民の収得する所は、本官出張の際は尚ほ農年の中途にして貸借締切を行はず、其後採取すべき珈実の収穫賃金を得る一方に於て、生活費用を支弁せざるべからざるを以て、正確なる金額を知ることは困難なりしも、十三家族中成績良好なる者二家族に就き一箇年間の収支を検したる結果左の如し、

    甲家族(夫婦と家長の従弟二名にして男三名、女一名都合四名より成る)

収   入 「ミル」 「レイス」
 珈樹一万三千百四十二株小作料年額 一、三一四、 二〇〇
 収穫開始後九月までの珈実採取賃 七六一、 八〇〇
 十月以後(多分十一月初旬まで)採取賃予想高  二〇〇、 〇〇〇
合     計 二、二七六、 〇〇〇
支   出 「ミル」 「レイス」
 一月より九月まで耕地より購入品代価(即、生計費) 八六二、 六〇〇
 十月以降十二月まで食料及雑費予想高 二八〇、 〇〇〇
 四名に対する医薬料年額 二四、 〇〇〇
合     計 一、一六六、 六〇〇
 差  引     一年間純収益 一、一〇九、 四〇〇
           一人割当額 二七七、 三五〇

      乙家族(男子のみ三名の一団にして真の家族にあらず)

収   入 「ミル」 「レイス」
 珈樹一万三百十二株小作料年額 一、〇三一、 二〇〇
 九月までの珈実収穫賃  七三七、 一〇〇
 十月以降の分同上予想高  二〇〇、 〇〇〇
 合     計  一、九六八、  三〇〇
 支   出  「ミル」  「レイス」
  自一月至九月生計費(珈実収穫用袋代をも含む)     七八二、 〇〇〇
 十月以後の分同上予想高  二〇〇、 〇〇〇 
 医薬料三人分年額  一八、 〇〇〇
 合     計  一、〇〇〇、 〇〇〇
  差  引   一年間純収益  九六八、 三〇〇
          一人割当額  三二二、 七六六

 珈樹小作に対しては慣例に従ひ五回草取及掃除を行ふときは、年の豊凶に拘らず契約通りの料金を支払ふを以て、此の小作料と自作農産物とを食料其他の生計費に充て(時としては尚ほ余剰を生じ純収となることあり)、珈実採取賃を一箇年の純収益と見ること各耕地に於ける各国労働者を通じての慣例にして、家族中徒食者若くは病人なき限りは負担を生ずることなき筈なり。尤も珈琲収穫は年により豊凶の差異甚しきを以て、所謂純収益は縦令同一程度の勤勉を以てするも年々著しき差等ありて、決して一様なる能はず。現に本耕地の如き本年(明治四十二年)は非常の不作にして前年に比し約三分の収穫あるに過ぎず。若し夫れ前年の如き大豊作ならんか、本邦移民は確に前掲純収益の二倍を下らざる金額を収得するならん。

 本耕地も亦近傍二三里の間には都邑なく、且隔月一回の勘定には既記の如く切符を渡すに過ぎざるを以て、移民の必需品は是非とも之を耕地所属の物品販売店に於て購求することを要す。其の売価の一斑を挙ぐれば、

                       「ミル」 「レイス」
  白 米   一袋(五十八基入)    二九、〇〇〇
  小麦粉   一袋(四十四基入)    一五、五〇〇
  菜 豆   一袋(百「リトル」入)   一二、〇〇〇
  牛 肉   一基              〇、五〇〇
  干 鱈   一基              一、二〇〇
  馬鈴薯   一基              〇、七〇〇
  食 塩   一袋(五基入)        一、五〇〇
  砂      一俵(六十基入)     二六、〇〇〇
  豚 脂   一鑵(二基入)        三、〇〇〇
  石 油   一鑵              八、〇〇〇
  燐 寸   一包(十個入)        〇、八〇〇

 我が移民一名一箇月の生計費は二十「ミルレイス」乃至二十五「ミルレイス」とす。

 移民家屋は一小流を隔てて耕地本部及珈琲剥皮工場と相対し、普通他耕地に於けると同様の建築にして衛生上何等非難すべき点なし。

 本珈琲園支配人ジヨゼー、サルトリス(José Sartoris)氏は、伊太利人にして多年伯国に住し建築技手より漸次出世したる非凡の敏腕家とし、「サン、マルテインニヨ」珈琲園の役員たること六年、其後本園に移りて十五年間一日の如く忠実熱心に支配人の任務を尽くし、且頗る日本人贔屓にして本邦移民を遇する甚だ公平なり。

 又本耕地にては明治四十二年八月中黴毒と肺結核の併発に因り死亡したる者一名の外、本邦移民の健康状態は極めて良好にして、且現に残留せる労働者の多数は真正の農民家族なるが故に、内二家族丈けは本年限り本耕地より隠退するも、他の十一家族は更に一箇年労働契約を継続することに決せり。

 最初入園したる移民全体に就きて見れば、結果不良と評せざるを得ざるも、現に耕地に留りて労働せる移民は相応に良結果を収めつつありと認む。

  四、「ソプラード」珈琲園

「ソプラード」
 本珈琲園はサンパウロ州サンマノエール区に在るを以て我が移民は誤りて之を「サン、マノエール」耕地と称せり。所有主はドクトル、フランシスコ、アントニオ、ソウザ、ケイローズ(Dr. Francsico Antonio Souza Queiroz)氏にして一名の支配人に其の経営を一任せり。

 之に達する順路は、州の首府サンパウロ市より「ソロカバナ」鉄道に依り毎朝五時五十分同市を発する汽車に乗るときは、西西北に向つて進むこと八時間余にしてヴィクトリヤ駅に達し、同駅に於てポルト、マルテインス行支線に乗替へ、午後二時五十分ドツレゼ・デ・マイヨ駅に到り下車す。此の距離約百九十一哩(三百八基米突)にして一等運賃二十一「ミル」九百「レイス」、二等同十一「ミル」八百「レイス」としトウレゼ、デ、マイヨ駅よりは午前八時四十八分に乗車し、ヴィクトリヤ駅にて乗替へ午後六時五分サンパウロ市に着すべし。

 トウレゼ、デ、マイヨ駅より「ソプラード」耕地本部までは其の距離六哩弱(九基米突)にして、耕地所有の馬車若くは乗馬に依るの外、他の便利を有せず。且ヴィクトリヤ及トウレゼ、デ、マイヨ両駅とも旅客を宿泊せしむる設備皆無なるを以て、予め耕地支配人に通知し其の厚意に依頼するにあらざれば、甚しき困難を嘗めざるべからず

 本耕地の総面積は一万四千五百数十町歩(エクタール)にして、其の一部分を珈琲園となし、之に珈樹約六十万株を栽培す。内若干は未だ収穫を与へざる幼樹にして一箇年の収穫量平均一万五千袋なりといふ。

二十三家族
 本官視察の当時(明治四十二年十月十日)本珈琲園に現在せる労働者の総数は凡百十家族(人員は統計を得ず)にして、所要数百二十家族に対し約十家族の不足を示せり。而して此等約百十家族の国別も耕地支配人は之を詳知せざる旨答へたるが、就中最多きは西班牙人にして伊太利移民之に亜ぎ、日本人は二十三家族、伯国人は九家族、葡萄牙人は僅々一家族に過ぎず之を五箇所の部落に分任せしめ、本邦移民は耕地支配所の前面十数町の距離に位する一部落に他国移民と雑居せり。

 官署の性質を帯ぶる植民及労働周旋局(Agencia Official de Colonisaçãoe Trabalho)の仲介を以て園主及本邦民間に締結したる労働契約中賃金に関する条件は、
  珈琲樹千株小作料年額       百「ミルレイス」
  珈実採収賃金五十「リトル」に付  五百「レイス」
  日給労働賃金            二「ミル」五百「レイス」

 移民自身が行ふ私作は珈琲樹間には之を許さず。必要と認むる程度に於て園主が指定する一定の地に栽培をなさしめ、勘定期は毎月一回、一年間の総勘定は翌年一月に之を行ふ旨規定しありと雖も、本耕地に於ては一家族に受持たしむる珈琲樹の数も少くも「グワタパラー」珈琲園の半数に過ぎざるを以て、我が移民は孰れも其の珈琲樹数を増加せられんことを望めり。

 本珈琲園には常備の医師あり。園主は医療費として移民一家族毎に一箇月二「ミルレイス」を徴収す。

 本官視察の際現在せる日本移民二十三家族は、人員五十二名(外に携帯児一名出生児五名)より成り其県別左の如くなりき。
   山口県  七家族  男  七名  女  八名  計 十五名
   熊本県  三家族  男  五名  女  四名  計   九名
   広島県  一家族  男  一名  女  一名  計   二名
   福島県 一〇家族  男 一二名  女 一〇名  計 二二名
   愛媛県  二家族  男  二名  女  二名  計   四名

 明治四十一年七月を以て最初本耕地に入りたる本邦移民は、山口及愛媛県人十五家族なりしが、其後一部は離去し同時に他の一方に於て他耕地より解雇せられたる移民を増傭したるを以て前記の数となれり。

 我が移民の労働成績を見るに現在者は、大抵真正の農民家族にして勤勉労働しつつあるも一家族に対する珈樹小作受持数比較的少許にして夫婦二名の家族にて最多きは七千百九十五株(之は十分なり)、最低三千株とし三千株の小作料年額は三百「ミルレイス」なれば、之を十二箇月に分ち毎月二十五「ミルレイス」宛現金にて支払ふ故に、移民は一箇月二十五「ミルレイス」以内に於て一家の生計を営むを要するも、往々此の金額にて不足を告ぐる者あり。困難少からざるを以て少くとも一箇月三十「ミルレイス」の小作料を得らるる様、受持樹数を最低三千八百乃至四千株に増加せられ度しと歎願し、而して本耕地には日本人通訳もなきことなれば、本官に於て通訳の労を執り、之を耕地支配人に申込みたるに、支配人は繰合せの附く限りは受持樹数を増加すべきを約せり。兎も角之を他の耕地に於ける労働者一名三千株の割合に比するに、移民にとり甚だ不利益なるを認むべし。

 而して本年度の移民純収は未だ決算期に達せず。各自の所持する通帳及之と符合せる支配所の帳簿には、移民の借は九月末日まで又移民の収得せる賃金(即、小作料及珈琲採取賃)は十月九日までの分を記入せるに過ぎざるを以て正確に之を知ること能はざりしも、本邦移民中一家族として負債を有する者なく孰れも貸借を差引たる上数百「ミルレイス」の純益を得る計算となれり。即ち九月末日までの借と十月九日までの貸とを差引し左の如き結果となる。

 家長姓名  貸方(即、収得賃金)  借方(即、移民生計費) 差引残(即、移民純数)

              「ミル」「レイス」     「ミル」「レイス」     「ミル」「レイス」
藤 井 佐 平   五八九、〇〇〇     二三四、三〇〇     三五四、七〇〇
林   愛之助   七五〇、〇〇〇     三〇〇、〇〇〇     四五〇、〇〇〇
久 保 吉 松   九七六、五〇〇     三四四、五〇〇     六三二、〇〇〇
賀 来 虎 助   七七〇、〇〇〇     二九三、五〇〇     四七六、五〇〇
河 村 輔三郎   九〇〇、〇〇〇     二八四、五〇〇     六一五、五〇〇
石 村 太三郎   七二〇、六二〇     二六一、四〇〇     四五九、二二〇
片 岡 嘉 一   六六二、六二〇     二六一、〇〇〇     四〇一、六二〇
森 川 卯三郎   七八八、〇〇〇     三一五、六〇〇     四七二、四〇〇
西 村 光 次   八二八、〇〇〇     二五二、〇〇〇     五七六、〇〇〇
東   松太郎 一、〇九二、三七〇     三七二、〇六〇     七二〇、三一〇
小 下 仁 蔵   六七六、〇〇〇     二二六、〇〇〇     四五〇、〇〇〇
本田 丈右衛門  九〇四、八〇〇     三〇六、五〇〇     五九八、三〇〇
渡 邊 七之介   八七〇、〇〇〇     二四九、五五〇     六二〇、四五〇
渡 邊 又 吉   八五二、五〇〇     二六三、〇〇〇     六八九、五〇〇
本 田 幸 七   八五五、五〇〇     二七六、〇〇〇     五七九、五〇〇
安 田 俊 平   八八〇、六〇〇     二六三、〇〇〇     六一七、六〇〇
岩 本 庄三郎一、一七三、七九〇     二八八、一五〇     八八五、六四〇
山 田 末 吉   九二〇、五〇〇     二五七、八〇〇     六六二、七〇〇
渡 邊 長四郎   七九九、五〇〇     二六八、一五〇     五三一、三五〇
三 浦 今朝治   八〇三、四〇〇     二六三、一五〇     五四〇、二五〇
菅 野 倉 吉   五八五、一二〇       九〇、〇〇〇     四九五、一二〇
岡 田 善太郎一、二三一、五〇〇     四六五、二五〇      七六六、二五六
宮 田 儀三郎一、二〇〇、〇〇〇     五〇五、六二〇     六九四、三八〇

 要するに労働賃金の収得高に於ては愛媛県人にして夫婦二名より成る岡田善太郎及宮田儀三郎の二家族を筆頭とし、男二名女一名より成れる岩本庄三郎及東松太郎の二家族之に次ぐ、又生計費を差引き最多額の純益を得べきは矢張り前記四家族にして、唯僅に其の順序を異にするのみなり。

 本珈琲園に於て労働者に供給する日用必需品売価は

     「ミル」   「レイス」
  上白米(本品は時価の高下甚し)  一袋  最高 三三、 〇〇〇
  下白米  同 最低 二二、 〇〇〇
  小麦粉  同  一五、 〇〇〇
     一六、 〇〇〇
  大豆 十「リトル」に付 一、 五〇〇
  「マンデイオカ」粉 一袋(八十「リトル」入) 一六、 〇〇〇
  牛肉 一基 〇、 七〇〇
  豚脂 一鑵 三、 〇〇〇
  塩 一袋(五基入) 一、 五〇〇
  砂糖 一俵(六十基入) 二一、 〇〇〇
  同上小買 一基に付 〇、 五〇〇
  石油 一鑵 八、 〇〇〇
  燐寸 一包(十個入) 〇、 七〇〇

 既に一言せる如く本耕地に於ては珈樹小作料の月割額を毎月現金にて交付するを以て、若し移民に於て耕地販売店の売価高直なりと認むる場合には、日曜日の休業を利用して凡四里の距離に在るサン、マノエール町に出で購求することを得べく、尚ほ間作として玉蜀黍、菜豆等を栽培し各移民の食用に供する外、本年は収穫玉蜀黍の余剰を穂のまま荷車一台の穀量三十「ミルレイス」の割合を以て耕地支配人に売渡せり。

結果一般に良好にて継続労働の計画なり
 斯くの如く本珈琲園に労働せる本邦移民は、各自収入の点より観察して一般に結果良好なるのみならず、耕地支配人も亦彼等の成績良好なるを認め居るの有様なれば、都会の近傍に出でて蔬菜栽培に従事せんとの希望ある愛媛県人二家族の外は、更に一箇年間本耕地に於て労働を継続すべき約束をなせり。

 日本移民は日常の挨拶、買物若くは労働上必須の簡単なる言葉は、当国の通用語たる葡萄牙語を用ゆと雖も、少しく複雑なる事柄は到底彼等の了解し若くは弁明し得る所にあらず、此点に関しては言語の相近似せる伊太利人、西班牙人等に比し頗る不利益なる地位に在り、葡語に長じたる通弁を得るにあらざれば到底十分に相互の意志通ぜざるが故に、屡々耕地役員に誤解せられ又は誤解より延ひて種々の葛藤を惹起し、有形無形の不利益を蒙むること無きにあらず。本官の出張の当時、懸案となり居たる瑣細なる紛紜若干は移民と耕地支配人の間に立ちて双方の主張を通訳し、一通り之が解決を告げたるも、元来我が移民は単に言語風俗のみならず思想其他に関しても欧米人との相異点甚だ深大なるを以て、真に彼等と同化し対等にして且実際親密なる交際をなすことは到底不可能なるべく、動もすれば人種的感情を以て互に相反目せんとするの傾向あり。

  五、「ヴェアド」珈琲園

「ヴェアド」
 本珈琲園は前伯国大統領ロトリーゲズ、アルヴィス氏の兄にして現にサンパウロ州上院議員たるコロネル、ヴィルジリオ、ロドリーゲズ、アルヴェス(Coronel Virgilio Rodrigues Alves)氏の所有に属しバウルー区の内、ピラテイニンガ村に在り。「パウリスタ」線鉄道ピラテイニンガ支線の終点たるピラテイニンガ駅の西南一基米突の距離に位す。故に州の中心地たるサンパウロ市より本耕地に達するには、ソロカバナ線鉄道に依りてアグードス駅に達し、同駅に於て「パウリスタ」線に乗替へ、午前五時五十分にサン、パウロ市を発するときは、午後七時二十七分ピラテイニンガに着するべく、アグードスまでの距離凡二百五十六哩(四百十二基米突)にして、此間の汽車賃一等二十六「ミル」百「レイス」、二等十四「ミルレイス」トス。又「パウリスタ」線鉄道のみに依りてピラテイニンガに達することを得べく、午前五時四十五分サンパウロ市発の急行列車に乗るときはジユンデイアイー、カムピナス、リメイラ、リオ、クラーロ、ブロータス、ドウス、コールレーゴス等を迂回して是亦午後七時二十七分ピラテイニンガ駅に到着すべく、ピラテイニンガ駅より毎日午前四時四十分に発車し午後六時四十三分サンパウロ市に着す。本鉄道に依るときは両地間の距離三百哩(四百八十三基米突)にして一等汽車賃二十六「ミル」六百「レイス」、二等同十四「ミル」七百「レイス」としソロカバナ鉄道に比し運賃少しく低廉なり。

 本官は他耕地巡回の都合によりバウルー区の中心たるバウルー町より馬車にて本耕地に往来したるが、此間の道路は馬車荷車を通ずるに足るの幅を有すれども、新開道路にして樹木の切株、道の中央に残存せるを以て、寧、乗馬に依るを便とし其の距離凡十二哩半(二十基米突)とす。

 ピラテイニンガ駅は人家二三十戸の一小部落にして、粗末なる旅店及雑貨商店あり。

 却説、「ヴェアド」珈琲園の総面積は大約一万四千五百町歩《エクタール》(六千「アルケイレス」)なるが内高台のみを選びて珈琲樹を植付け、其他は一部を牧場となし、大部分は今尚ほ森林の様存在す現に栽培せる珈琲樹の数は約五十万株にして、本年(明治四十二年)は作柄非常に宜しく剥皮したる珈琲凡一万八千七八百袋を産せり。

 使用農夫の数は百家族内外にして、之を主なる三箇所と別に数箇所の地に若干家族づつ分居せしめ、就中西班牙人最多数を占め伊太利人之に次ぐ。

十二家族
 本邦移民の数は十二家族三十二名(内女十三名)にして別に携帯児及出生児各一名(孰れも女児)あり。福島県移民七家族、宮城県二家族、東京府、鹿児島県及愛媛県各一家族とす。総て耕地支配所に接近せる駐屯地の家屋四戸に住居し、他国移民と雑居することなし。

 本珈琲園に送られたる日本移民は明治四十一年六月一日「デユモント」珈琲園に雇はれたるも、其後衝突の結果、同耕地より解傭せられたる者の一部を同年九月に本耕地に送遣し、其後、数名の出入ありて本官出張の当時前記の人員現在せり。

 本珈琲園主と日本移民との間に締結せる労働契約中賃金に関する条件は、
    珈琲樹千株小作料年額       八十「ミルレイス」
    珈実採取賃金五十五「リトル」に付  五百「レイス」
    日給労働賃金              二「ミルレイス」

 但し珈実採取賃金は本年は非常の豊作なりとの故を以て、六十「リトル」に付五百「レイス」を支払ふことに改めたりといふ。

 本邦移民の小作受持樹数は、男子労働者一名に付二千株、女子同上千株を標準となし、夫婦者の一家族に三千株を受持たしめ、四人家族にて五千株を小作せるものを日本人中の最高極度とす。又全耕地に於ては伊太利人の大家族にして子女を合せ十名内外に達する者が一万六千株の手入をなせるを筆頭とす。而して珈樹三千株に対する小作料額は二百四十「ミルレイス」なるが、其の月割額二十「ミルレイス」にては一家族の生計費に稍々不足を告ぐると別に、労働者は珈琲採取賃を得るにより耕地よりは三千株の小作人に対し月二十五「ミルレイス」の割合を以て耕地所属の物品販売店より移民の必要物品を売渡し、若くは耕地限り通用の切符を以て之を支払ひ、年一度の大勘定に至らざれば決して現金を交付することなし。珈実採取賃は毎週一回之を記帳し、総勘定は九、十月の交、珈実収穫結了し之に続いて大掃除と称する珈琲の草取兼土ならしを終りたる後、十一月頃に至り之を行ふ。又本珈琲園に於ては珈実採取賃の内二割は保証金として契約満期(即、総勘定の時)まで支配人之を保留し、此の金額に対しては物品及切符を交付することなしといふ。

 私作は珈琲樹間に之を行ふことを許さず、家族の人数に応じ園主が必要と認むる程度に於て指定貸与する地に之を行はしむる習慣にして、本邦移民中斯くして貸与せられたる約五畝歩の土地に陸稲の種子二「リトル」を播付けたるものありしが、本国とは気候風土を異にし同一の耕作法に依る能はざること勿論にして、当国に於ける米作上の経験皆無なるが上に降雨甚だ少かりしため、予期の如き好結果を得る能はざりしも、籾米約二石五斗を得たりといふ。

 耕地所属の日用品販売店は、本邦移民の住所を距る約一基米突のピラテイニンガに在り。白米、麦粉等は袋にて一度に之を購入するの例なるが故に、移民各自に之を運搬するの労を省くため販売店より無料にて荷車を以て之を各移民の住所に配達す。今、同販売店に於ける日用食料品代価の一斑を挙ぐれば左の如し。

    「ミル」  「レイス」
  白 米 一袋(五十八基入)  二八、  〇〇〇
  小麦粉  一袋(四十四基入)  一五、  八〇〇
  菜 豆  一袋(百「リトル」入)  八、  〇〇〇
  牛 肉  一基  〇、  五〇〇
     〇、  六〇〇
  豚 肉  一基(時に高下あり)   〇、七〇〇乃至〇、九〇〇
  鶏  一羽  一、  〇〇〇
  鶏 卵  一打  〇、  五〇〇
  同 上  二個に付  〇、  一〇〇
  塩  一袋(五十五基入)  凡 八、  〇〇〇
  砂糖(並品)  一俵(六十基入)  二〇、  〇〇〇
  同 上 小買  一基  〇、  五〇〇
  甘蔗製焼酎  一甕(凡二升入) 一、  〇〇〇
  石 油  一鑵 七、   八〇〇
  同 上 小買   一瓶(約四合入) 〇、   五〇〇

 翻つて本珈琲園に於ける本邦移民の収益を検するに、契約上移民各自の所持すべき通帳は支配人に於て悉く之を保管せるを以て、本官は支配人に向ひ各通帳に就き其の貸借出入を清算し、其の結果を示され度しと求め、支配人は直に之に応じて各移民の純収は左の如くなりと答報せり。
                                 「ミル」 「レイス」
  宮城県    目黒 静(妻及弟と三名)       四二七、九〇〇
  福島県    只野江助(妻及弟と三名)       四四〇、〇〇〇
  鹿児島県   三浦喜和馬(夫婦二名)        三〇〇、二〇〇
  福島県    渡邊熊之助(同上)           二二八、四〇〇
  宮城県    遠藤豊之助(妻及妹と三名)     二二〇、一〇〇
  福島県    畠 喜十(夫婦と携帯児一名)    一九三、四〇〇
  同       鍋谷末次郎               一五二、五〇〇
  同       武田茂吉(夫妻二名)         一四三、四〇〇
  同       安西弥総右衛門(夫婦二名)      四二、九〇〇
  同       高橋正治(同上)              一〇、〇〇〇
    他の二家族は中途より入園し臨時雇の性質を帯ぶるを以て通帳を有せず。

成績比較的良しからず
 前掲計算は早急の際之を行ひたるものなるを以て、幾分の違算なきにあらざるべきも、一箇年勤勉労働の結果、男子二名女一名の家族にて僅々四百四十「ミルレイス」、即、邦貨に換算して凡三百五十円に過ぎず。此の金額は家族三名が伯国に渡航する為めに費したる費用全額を支弁するに足らず。況んや此の三百五十円と云へる純収は、成績最良の移民にして其の最少き者に至りては漸く一箇年の生計を維持したるに過ぎざるをや。又之を「ソプラード」珈琲園に在る本邦移民に比するも、本珈琲園に於ける成績は移民に取りて甚だ悪しきを見る。其の重もなる原因は、小作料及珈実採取賃金の低廉なると、一家族に受持たしむる珈琲樹数の少きに在るが如し。

 されば本官出張視察の際、恰も本珈琲園に滞在中なりし園主ロドリーゲス、アルヴィス氏は耕主側より見て本邦移民の成績に満足せる旨を述べ、新に本邦移民の来着する場合には更に五十家族を雇入れ、サン、マノエール区に於て弟と共有の「サンタ、アナ」、「サンタ、マリーヤ」、「サン、フランシスコ」の三珈琲園及本耕地に之を分配労働せしむる筈なりと語りたれども、我が移民側にては他耕地に労働せる本邦人と通信して本耕地に於ける収得の比較的少きを知れるのみならず、本年非常の豊作なりし結果、明[治]四十三年の収穫は極て少量なること珈琲園の通則にして本邦移民は此等の事情をも聞知せることとて、旁々本農年限り(即、十、十一月頃の大掃除了り次第)他の珈琲園に転ぜんと欲する家族過半を占めたり。本官は大体論として移民に対し頻々被雇地を転替することは不利益なるを以て、成るべく永く一耕地に忍耐すべしと説きたれども、本耕地に於ける事情は既述の如くなりしを以て、是非今一年本耕地に留まり労働すべしとの説諭を加ふるに忍びざりき。

 尚ほ本珈琲園の中規模なると各珈琲園を通じて気候順良にして病気に罹る者稀なるとにより、別に耕地医を常傭せず、年に数回他より医師の来診することあるに止まり、大抵の軽症には支配人又はビラテイニンガの薬舗より薬を買取り服用するを例とし、薬価は一度分五百「レイス」を下らず、ビラテイニンガには小村のこととて医師の定住せる者なきも、毎週一二回他より出張し来るを以て、真に医師を要する程の病人は之に診察を乞ふことを得べし。

  六、「サン、ジヨアキーン」珈琲園

「サン、ジヨアキーン」

 本珈琲園はコロネル、ジヨアキーン、デ、トレド、ピザ、アルメイダ氏(Coronel Jaquim de Toledo Piza Almeiida)の所有に属し、サンパウロ州バウルー区の内ピラジユイー(Pirajuby)小区に在りて本行政区の中枢たるバウルー町より西北鉄道に依り更に五十一哩(八十二基米突余)の内部に在り、現今本邦移民の労働せる珈琲園中最遠隔の耕地にして周囲は森林多く州の首都サンパウロ市との交通は、

        「ミル」 「レイス」
  サンパウロ、バウルー間(ソロカバナ鉄道)   二七二哩 汽車賃 一等   二七、 〇〇〇
      二等  一四、 五〇〇
  バウルー、トンドピザ間(西北鉄道)  五一哩  同  同  八、 一〇〇
       同  四、 一〇〇
 計 三二三哩  同  同  三五、 一〇〇
       同  一八、 六〇〇


 是を以てサンパウロ、バウルー間は毎日一回づつ双方より汽車を出し、午前五時五十五分サンパウロ市を発する列車は午後六時五分バウルー町に着し、後者よりも朝五時五十分発車、午後六時五分サンパウロ市に到着す。然れどもバウルー町より内裏に至る西北鉄道にしては毎週三回月水金の日に内部に向つて発車し、火木土に内部より帰来するを以て、是非ともバウルー町に宿泊し午前五時三十分の汽車に乗り、八時二十七分トレドピザ駅(園主の姓を取りて停車場の名とす)にて下車すれば、鉄道の両側は即、「サン、ジヨアキーン」珈琲園にして、耕地は主として鉄道の左側(即、西南)に拡がり歩行十分にして支配人の住宅に達すべし。

 耕地全面積は一万七千六百余町歩エクタール(七千二百八十「アルケインス」)にして、内僅に一小部分を開きて珈琲園となし、之に珈琲樹十四万株を栽培し、本年の珈琲収穫量は剥皮したるもの七千五百袋に達せり。之を他地方に於ける大耕地に比すれば、素より一小耕地たるを免れずと雖、此の地方にては最大耕地と称することを得べく、近傍数里の間にはコロネル、マシエール氏の所有耕地に約二万五千株の珈琲を栽培せるを第二位とし其他は三千株乃至一万株を有する真の小耕地のみとす。

九家族
 本珈琲園に要する労働者の数は四十家族にして現今西班牙人、伊太利人、伯国人(僅に二家族)の外、本邦人を傭用し之を本部の近傍数町の所と本部より約三哩半(五基米突)の距離に在るカムパメント(小字)とに分置し、珈実乾燥場及剥皮工場は本部、即、支配人住宅に接近し、労働者の日用必要品販売店は、前記数町の距離に在る移民部落に接近して之を設く。故にカムバメントに住する移民は其の註文書を送るときは、販売店より荷車にて之を買主の住家に運搬し行くこととせり。
 本珈琲園に送られたる本邦移民は最初「デユモント」珈琲園に労働中、苦情を唱へて同園を去りたる者の一部にして、明治四十一年九月に入園し本官出張の際九家族二十三名と携帯児三名、伯国にて出生したる子女四名現在せり。内熊本県人七家族、鹿児島県人二家族にして四家族はサン、ジヨアキーン(即、本部の近傍)五家族にカムパメントに在り。
 労働其他に関する契約条件は、
(イ)珈琲樹の小作料は千株に付、年八十「ミルレイス」(他国移民は百「ミルレイス」)の契約なりしが、更に第二年の労働契約を継続すべき条件にて本年分より他国移民通り百「ミルレイス」に引上げたり。
(ロ)珈実採取賃金も五十五「リトル」に付五百「レイス」の定めなりしを五十「リトル」に付、五百「レイス」に改め移民の利益を増せり。
(ハ)日給労働をなす場合の賃金は一日二「ミル」五百「レイス」にして何れの耕地に於ても日給労働をなす移民の数は甚少く、小作料による珈樹の手入と収穫分量に依りて賃金を与ふる珈実採取を以て、珈琲園の重要労働となすを以て、本邦人中日給労働に従事する者は収穫期中乾燥場に労働する者二三名あるに過ぎず。
(ニ)移民食料の一部を得せしむるを目的とする私作は、本耕地に於ても珈琲樹間に之を行ふを許さず。別に支配人が指定する地に菜豆及玉蜀黍を栽培せしむるも其の程度は自家用に供する分量に限る。在カムパメントの本邦移民五家族は其私作として菜豆、甘藷及陸稲を栽培したるが、米作は凡三畝歩の土地に五「リトル」の種子を下し、凡三回草取を行ひたるに、降雨少く旱魃に遭ひ漸く籾米二俵を過ぎず。併し低湿地を開墾して播付け天候も宜しければ五「リトル」の種子より籾米十一俵位を得べき見込みなりといふ。
(ホ)収得貸金の勘定は三箇月毎に之を行ふ契約にして、同時に該三箇月間に耕地所属の販売店より購入したる食料品其他日用物品の代価を差引き、残余あれば現金にて之を移民に交付し、不足あれば此れは移民の負債として記帳し、次期に至りて収得賃金と差引を行ふ。農年末の総勘定は十一月二十日頃之を実行する慣例なりといふ。

 尚ほ本耕地に於ては農具代は各移民の負担とし、入園の際与へたる農具(古物)に対し草取鍬一挺三「ミルレイス」鎌一挺五「ミル」五百「レイス」、長柄の鉈一挺五「ミル」五百「レイス」、珈実収穫の時土砂を篩落すために使用する篩一個に付、二「ミル」八百「レイス」を徴し、之を通帳に記入し置き、本邦移民の収得賃金より差引を行へり。此は契約書に規定なきことなれば耕地の習慣に従ふの外なかるべきも、多数耕地の例に拠るときは農具は耕地より無料にて労働者に貸与するが当然ならん。
本耕地及附近には医師、薬舗共に存在せざるを以て病気に罹りたる場合には耕地支配人より病状に適応する薬品を買取り服用す。尤、気候温良にして疾病に罹る者は稀なりと雖、重病人を生じたる場合は耕地の負担を以てバウルー町等より医師を聘し治療を加へしむるは勿論とす。

好成績
 本耕地に現在せる本邦移民は総て能く忍耐して労働し支配人の気受け悪しからず。移民各自に於ても本年十一月の決算期には夫婦二名の一家族に付四百「ミルレイス」、三人の労働者を有する家族は毎戸六百「ミルレイス」内外の純収を得べしとは移民自身の本官に語れる所にして、成績は先づ良好なりと言はざるべからず、併し本珈琲園に於ても小作受持樹数は甚だ僅少にして夫婦者一家族二千五百乃至三千株、日本人中最多数を受持てる家族にして漸く三千五百株に過ぎず。物価も遠隔地たるが故に他よりは幾分か高直なるものあり。交通も不便にして小耕地のことなれば小学校の設備もなく、一名の学齢児童の父母にして痛く歎息せる者あり。概して前契約耕地「デユモント」を出でたることを後悔せるものの如し。而かも今此の耕地を去りて他に赴くとすれば多額の汽車賃を要し、且新被雇地に於ける成績果して本珈琲園に勝るや否、是亦疑問に属するを以て、旁々今一年間全部本耕地に留まり労働することに決し居たり。
耕地所属の店舗に於て販売する日用品物価左の如し。

    ミル レイス
  白米 一袋(五十八基入)  三〇、 〇〇〇
  小麦粉 一袋(四十四基入) 一七、 〇〇〇
  玉蜀黍粉 一袋(二十「リトル」入) 二、 五〇〇
  菜豆 一袋(百「リトル」入) 凡 一六、 〇〇〇
   但、菜豆は移民各自に栽培するを以て購求することなし
  牛肉 一「アルローバ」(十五基) 八、 〇〇〇
  豚肉 同上 一三、 〇〇〇
    一四、 〇〇〇
  鶏 一羽 一、 〇〇〇
  鶏卵 一打 一、 〇〇〇
  同上 一個 〇、 一〇〇
  砂糖 一俵(六十基入) 二九、 〇〇〇
  食塩 上等品 五基に付 二、 五〇〇
  石油 一鑵 一〇、 〇〇〇
  燐寸 壱包(十個入) 〇、 七〇〇
  菜豆種子 二十「リトル」に付 三、 二〇〇

即、本耕地に於ける物価は「ヴェアド」珈琲園に比し余程高直にして

  白米    一袋に付 二、 〇〇〇
  小麦粉 一袋に付 一、 二〇〇
  鶏卵 一個に付 〇、 〇五〇
  砂糖 一袋に付 九、 〇〇〇
  石油 一鑵に付 二、 二〇〇

の相違あるを認むべし

  七、「アグリーコラ、パウリスタ」耕地

「アグリーコラ、パウリスタ」
 本耕地は伯国人アヴェリノ、ノヴイス、テイシエイラ(Avelino Novaes Teiixera)氏の所有に属し、且氏が自ら経営せる所にして「パウリスタ」鉄道イタテイーバ支線イタテイーバ駅より約一里半の距離に在り。サンパウロ市よりは午前五時四十五分の汽車に乗りロウヴェイラ駅に於てイタテイーバ支線に乗替へ、八時五十分イタテイーバ町に着すべく、午後は四時にサンパウロ市を発車し午後七時イタテイーバに着す。帰途に於ても亦た汽車二回ありて午前六時及午後三時四十五分イタテイーバを発し、午前十時及午後六時四十三分に夫々サンパウロに着車す。両地間の汽車賃は一等八「ミル」九百「レイス」、二等四「ミル」五百「レイス」とす。

 イタテイーバ町は人口約五千にして近傍の農園等に散在する住民を合せ全区の人口約二万に達す。鉄道両側の小耕地は多く伊太利人の所有に属し薯茄トメトー、馬鈴薯、「マンデイオカ」、玉蜀黍、各種の野菜及珈琲を栽培す。

米作労働
 テイシエイラ氏の所有耕地はアテイバイア川の右岸に位し面積数百町歩の小耕地に過ぎざれども、主として「マンデイオカ」を栽培し、「マンデイオカ」粉及「タピオカ」製造工場を設け之に同氏の発明に係る製造機械を据附け兼ねてアテイバイア川に注ぐ一小流の水を引用潅漑して水田米作法を実行し、此の目的のため他の珈琲園より出でたる本邦移民を募集傭用し耕主と収穫分配の方法を以て労働せしめ、此等日本移民の数一時四十三人の多きに及べることあり。耕主と収穫を分配する労働法を当伯国に於て全く新しき方法にして、頗る注意に値するものあるを以て、当時少くも尚ほ二三十名の邦人労働せる由を聞知し明治四十二年十月十七日を以て本耕地を巡回視察せり。

大半離退
 然るに早く現金を握らんことのみを焦慮し、永く一所に留ることを欲せざるは、到る処本邦移民の通弊にして且言語不十分のため、耕主が如何に口を極めて収穫分配法の説明をなすも移民は其の意の存する所を了解すること能はず。之と同時に耕主は極端なる理想家にして其の説く所動もすれば空想にはあらざるかと思惟せらるる節なきにあらず。結局移民は一面忍耐勤勉の徳を欠くと同時に一面耕主の誠意を疑ひ、此等種々の原因により本官出張の数日前本邦移民の大部分は耕主の利害を説きて制止するにも拘らず、本耕地を去りて「ピメンタ」珈琲園等に移れり。而かも彼等は収穫分配の契約にて労力を供し播付けたる米田を中途にして抛棄し、且食料品代価を耕主に対して負債せる儘本耕地より離退したる者なるを以て耕主は甚しき迷惑と損害を蒙れりとのことなりき。

 故に本官出張の際には福島県人四名愛媛県人一名、合せ五名の独身男子のみ現在し、此等五名の移民は数日前離退したる移民と団結し耕主と収穫分配の労働契約をなし居たることとて、残留者五名にて今後の労働方法を定むべき事情に逼られ居り。其の成績は全然未定の問題なりき。

 耕主テイシエイラ氏の考案によれば、
(イ) 日本人男四十名女二十名計六十名を一個の組合とし此の組合と耕主との間に収穫分配労働の契約を締結し、双方共同にて「マンデイオカ」及米の栽培に従事し経費及利益を双方の間に折半す。
(ロ) 栽培、製造及売出の収支計算は、毎月一回組合員一同を集めて耕主より之を報告す。
(ハ) 純益は毎三箇月に之を配当し、内二割を契約保証金として積立置き、満二箇年の契約結了の際悉く之を配当す。
(ニ) 契約に違背して労働を抛棄する者は、二割の保証金を没収せられ、且組合を除名さるべし。耕主の命に従はざる者亦同じ。
(ホ) 成年又は成年者と認められたる組合員には、男女の別なく一様平等に分配に行ふ。
(ヘ) 耕主に於て資金欠乏のため収穫分配法を継続する能はざるに至りたる場合には、耕主は契約を廃棄し其の期より日給にて労働せしむべく、其の賃金は区内農業労働者が普通受くる所と同額たるべし。
(ト) 組合員は男子一日一「シル」五百「レイス」女子同一「ミル」二百「レイス」にて臨時の労働に従事することを要し、此の賃金は全部組合員の所得す。
(チ) 組合は家畜飼養上必要なる玉蜀黍及牧草を栽培することを要し、余分は之を売却し之を双方の収得金中に加算す。

 耕主は土地、農具、工場及器械、家畜、種子等を供給し、移民団体は専ら労働を供給し、而して収穫、製造したる産物を売上げ其の内より経費を差引き、純益を耕主と分配する方法なるが故に、耕主が真に正直なる紳士たること確実なるに於ては、甚だ有望なる事業なりと言はざるべからず。然れども茲に最困難を感ずる一事は、本邦移民六十名の一団を組成し二箇年間彼等相互の間に所謂仲間喧嘩の生ずること、及中途脱離者の出づることを防止し、同時に耕主と対等に相談をなし得べき組合長を得るの困難なるに在り。一面耕主に対して十分に協議をなし得べき資格あると同時に、他の一面に於て六十名の本邦移民を有效に取締り、且之を指揮監督する適任の組合代表者を得るにあらずんば、実行甚だ六ヶ敷かるべく、現に此の方法に依り事業に着手したる本邦人が中途にして本耕地を離去したる主要原因は、正に此の点に在りて存すと認めらる。

 又本官の所見に従へば、米作及「マンデイオカ」栽培丈けを一収穫づつ収穫分配法にて契約し「、マンデイオカ」粉及「タピオカ」製造は利益分配法中に加へず、日給にて労働せしめ毎月其の賃金を仕払ふことに改め、且移民各自と別々に契約し数十名の一団との契約を廃するときは却つて好結果を奏するならん。又日本人は其の性質として終始耕主の干渉け間敷、指揮監督の下に労働することは非常に不愉快に感ずるを以て、耕地主は相当の地代を徴して米作に適する土地を日本移民に貸附け、彼等をして其の欲する儘に耕作を行はしむる方双方の利益なる可しとの意見を述べたるも、耕主のヴァイス、テイシヱイラ氏は容易に其の抱持せる主張を枉ぐるの模様なかりき。

 テイシヱイラ氏の見積に依れば米作の面積一「アルケイリ」(二「エクタル」四二)の水田に種子三「アルケイリス」(百五十「リトル」)を下し、平作にて精米五十八基入百袋を収穫し得べく、其の支出及収入は土地八「アルケイリス」(十九「エクタール」三六)即、種子二十四「アルケイリス」(千二百「リトル」)に付大略左の如くなりといへり。

支  出  (ミル) (レイス)
  種子千二百「リトル」代(一「アルケイリス」に付六「ミルレイス」) 一四四、 〇〇〇
  土地準備費(労働者四百二十五人役) 八七三、 七〇〇
  馬耕費 四〇〇、 〇〇〇
  草取三回(一回一「アルケイリス」二十「ミルレイス」) 四八〇、 〇〇〇
  苅入より精米までの費用  一、六〇〇、 〇〇〇
合   計 三、四九七、 七〇〇
収   入 (ミル) (レイス)
  収穫米(極不作と見積り五百俵を得べし)売上代(一俵二十四「ミルレイス」) 一二、〇〇〇、 〇〇〇
  差引収益 八、五〇二、 三〇〇

 耕作精米等の器械代、馬匹代及飼養料、土地代価利子等を此内より支弁するの必要ありといへば、純益を其の三分の二、即五千六百六十八「ミル」二百「レイス」と仮定し、内半分は耕主の収得となり、半分は労働者の収益となる。而して以上八「アルケイリス」の水田耕作は大農法に使用する機械を有する本耕地に於ては僅々数人の労働者にて事足り。且十月より翌年三月頃まで半年の事業なれば労働者一人の純益は一収穫に付四五百「ミルレイス」を下らざる予算なりといふ。

 又約一年間本耕地に於て労働したる一名の本邦移民の実験談に拠れば本耕地には現今三十町歩エクタールの水田あり。一町歩に対する種子は二百「リトル」(耕主の言ふ所とは著しき差異あり)を要し其の代価五十「ミルレイス」にして其の耕作上供給すべき労力は、

  馬 耕    五 日
  土砕き(馬を使用す)   一 日
  土ならし(同上)   二 日
  掃 除   一 日
  畝造り(器械を用ふ)   一 日半
  草取三回   二十一日
  苅 込   五 日
  運 搬   五 日
  実落しより精米まで   五 日
  其他間接直接の労力   三十日
   合   計   七十六日半

 約五十俵の白米を得べく、之を一俵二十「ミルレイス」の安価に販売するとしても一千「ミルレイス」の収入となり、之を折半して五百「ミルレイス」は労働者の収益となり、此の間労働者が消費する食料其他の生活費用は少くも五十日間日給労働に従事し、其の賃銀を以て支弁し得らるるを以て、前記五百「ミルレイス」の収益は全く移民半箇年間の純益となる割合なりといへり。

 次ぎに「マンデイオカ」の栽培は面積一「アルケイリ」の土地を準備し、之に植附を行ひ雑草を芟除し薯根を掘上げ之を工場に運搬し機械にかけて製造し五十基入の袋に入るるまでに要する一切の経費八百九十七「ミル」八百「レイス」にして、前記反別より収穫したる「マンデイオカ」を以て製出する所は、

    「ミル」 「レイス」
  「フアリニヤ」と称する「マンデイオカ粉」  二百袋  代価 二、〇〇〇、〇〇〇
  「ポルヴィリヤ」と称する粉  五十袋  同   八五〇、〇〇〇
  「フアレロ」と称する屑粉  五十袋  代価  一五〇、〇〇〇
  合 計 収 益      三、〇〇〇、〇〇〇

にして差引二千百二「ミル」二百「レイス」の純益を与ふる予算なりといへり。
 尚ほ本耕地の「マンデイオカ」製造工場に於ては婦女子のために簡易にして有利なる職業与ふることを得べく第一には「マンデイオカ」の皮剥あり。最初は一日一「ミル」五百「レイス」の賃金と食事を給し又は月極めにて一箇月二十乃至二十五「ミルレイス」と食事とを給するも、漸次熟練するに従ひ一籠何程といへる賃金を定めて一層多額の収入を得せしむるの便法あり。之に次ぎては「マンデイオカ」粉を容るる紙袋の製造、袋詰、箱詰等の手職あり。是亦最初は日給又は月給にて働かしめ其の熟練を俟って千袋何程といへる請負労働となさしめ相当の奨励金をも附与するとのことにて孰れも有望なる職なれども、既記の如く本耕地に在りし我が移民の多数は去つて他の耕地に移り僅かに独身男子五名丈け残留し未だ真の収穫分配労働法を実行して其の結果を示す能はざるは遺憾なり。

  八、サンパウロ市に於ける本邦移民

サンパウロ市百二名
 州の首府サンパウロ市には本年(即、明治四十二年)十月中凡百二名の本邦移民在留せり。此れ孰れも皇国殖民会社の手を経て珈琲園に於て農業労働に従事すべしとの名義にて渡航しながら、或は契約期限中被雇耕地より逃亡し、或は短期間、耕地の労働に従事したる後、農事労働を継続することを欲せずして相当の手続を経て契約を解き他の労働を求めて市中に集中せる者とす。

 而して此等移民は市中諸所に散在し且去就甚だ頻繁なるを以て、其ノ正数、県別、男女別等を精確に知悉することは到底不可能のことなるも、其の職業別給料は大約左記の如くにして無職浮浪の徒は皆無なり。

  料理人   六名 一箇月五十乃至六十「ミルレイス」  食事主人持、室自弁
  僮僕ボーイ  三六名 一箇月三十乃至四十「ミルレイス」  食事及室主人持
  下 女  二五名  同 上 同 上
  大 工  一二名  一日五「ミルレイス」 食事及住屋自弁
  鍛 冶  二名  同 上  同 上
  「ペンキ」塗  四名  一日三「ミル」五百「レイス」乃至五「ミルレイス」 同 上
  「ブリキ」職工  三名  一日二「ミルレイス」乃至三「ミルレイス」 同 上
  菓子屋職人  三名  一日一「ミルレイス」半乃至三「ミルレイス」 同 上
  織物工場職人  五名 同 上 同 上
  園 丁  五名  一箇月三十乃至四十「ミルレイス」 食事及び室主人持

翻つてサンパウロ市に於ける移民日常必需品の売価を検するに大抵

    「ミル」 「レイス」
  白 米  上等 一袋(五十八基に付) 二十一、二「ミル」
より三十「ミル」迄
  同 上  小買 一「リトル」 〇、 四〇〇
    〇、 五〇〇
  菜 豆 同上 〇、 三〇〇
  乾 麺 一基 〇、 四〇〇
  麺 麭 同上 〇、 三〇〇
  牛 肉 同上 〇、四〇〇乃至一、〇〇〇
  干 鱈 同上 〇、 九〇〇
    一、 〇〇〇
  珈 琲 同上 〇、 四〇〇
  豚 肉 一鑵(二基入) 二、 三〇〇
  砂 糖 一俵(七基半入) 二、 五〇〇
  砂 糖 一基 〇、 四〇〇
  塩 一「リトル」 〇、 二〇〇
  酢 一瓶 〇、 三〇〇
  甘蔗製焼酎ピンガ 一瓶(約四合入) 〇、 四〇〇
  薪 一束 〇、 一〇〇
  木 炭 一俵(小) 〇、 四〇〇
  同 上 同(大) 一、 二〇〇
  同 上 同(大上等) 二、 〇〇〇
  石 油 一鑵 五、 五〇〇
  同 上 一瓶(凡四合) 〇、 二〇〇
  燐 寸 一包(十個入) 〇、 六〇〇
  洗濯石鹸 一個 〇、 二〇〇

夫婦二名の一家族が消費する所は一箇月に付

      「ミル」 「レイス」
  白 米 約四十基 此の代価 一四、 〇〇〇
  菜 豆 五「リトル」   一、 五〇〇
  乾 麺 三基   一、 二〇〇
  麺 麭 二十基   六、 〇〇〇
  牛 肉 一週間に二三度食す   三、 〇〇〇
  野 菜 適当の分量   三、 〇〇〇
  珈 琲 二基   〇、 八〇〇
  豚 脂 一基半   一、 八〇〇
  砂 糖 五基   一、 八〇〇
  塩 一「リトル」半   〇、 三〇〇
  酢 一瓶   〇、 三〇〇
  薪 十五束   一、 五〇〇
  石油 二瓶   〇、 四〇〇
  燐寸 喫煙の習慣ある者は一包   〇、 六〇〇
  洗濯石鹸 二個   〇、 四〇〇
  合  計 大凡 三六、 六〇〇

之に通常家賃を加へ一箇月三十五「ミルレイス」にて夫婦生活す。干鱈木炭等は極めて稀に消費するに止まり、又家賃は労働者四五人を容るるに足る。場末の家屋は一箇月凡三十「ミルレイス」にして多くは数人合宿するを以て一人前の負担少額なり。

 故に在サンパウロ市の本邦移民は各自の心掛次第にて毎月二三十「ミルレイス」より五六十「ミルレイス」までの貯蓄をなし得べき余裕ありて、既に貯金を本邦に送附したる者尠からず。日傭労働者として相応に好成績を挙げ居れどもサンパウロ州へ本邦移民を移入したる当初の目的、即ち初めは珈琲園に於て労働せしめ後に州立植民地に入りて土着せしむるの目的は、此等百余名の移民に対しては全然失敗に了れるものとす。

  九、サントス港に於ける本邦移民

サントス港百十名
 本官がサントス港に出張視察を遂げたるは明治四十二年十月二十日にして、同日サントス港に現在せる本邦移民の数は約百十名とし、内沖縄移民最多数を占め鹿児島県七家族の外には新潟県人僅に一家族あるのみにて上記三県以外の移民は皆無なりき。

沖仕労働
 此等移民の内男子は僅に一二名の例外を除き、悉く「ドツク」会社に雇はれ波止場に於て担荷労働(即、仲仕業)に従事し、又沖縄移民の妻女は甚だ勤勉にして約十名は飯炊に従事し、二名は珈琲を容るる麻袋縫を内職とし、五名は下女として奉公し衣服及食事主人持にて一箇月二十「ミルレイス」、二十五「ミルレイス」及三十「ミルレイス」の給金を受け、袋縫は一日百袋に付一「ミル」六百「レイス」の賃銀なるも、労働者の希望する丈けの袋を間断なく渡さざる習慣なれば一箇月千八百袋以上を縫ふこと困難なりといふ。他県移民の妻女五名は家に留まりて飯炊、洗濯等に従事し別段賃銀を得ず。

 男子の波止場に於ける労働は日給及請負の二様あり。日給労働は朝六時就業、九時より十時まで昼食のため休憩し午後五時まで正味十時間労働して賃銀五「ミルレイス」(凡我が三円)を収得し食料は自弁とす。仕事多き場合には夜間の労働ありて夜業賃銀は午後六時より十時まで四時間にて二「ミル」五百「レイス」、午後六時より夜半十二時まで六時間の労働に対し五「ミルレイス」を給す。雨天の日も労働し真に雨の降る時間丈け労働を休止するも別段日給に変動なく、日曜日と祭日は通常休業するの例なるも仕事の多き場合には労働せしめ、平日より一時間早く業を終り九時間の労働に対して規定の日給を給すさ[ママ]れば、身体極めて強壮なる者は昼間の労働以外に夜業に従事し又日曜日及祭日にも労働して一日十「ミルレイス」の賃金を得る者ありと雖、何分にも過剰なる労力を要する職業なれば、全一箇月を通じて休業なく労働することは全然不可能なるを以て、身体の強弱により二十日乃至二十五日労働し一日五「ミルレイス」乃至七「ミル」五百「レイス」を得るの計算となる。又七月より翌年一月まではサンパウロ州輸出重要品の随一たる珈琲の積出期なるを以て間断なく労働あれども、二月より六月末までは大に閑散となるを以て仮令移民の方に毎日労働し度き希望ありとも一箇月を通じて労働すること能はず。此の半年間は一箇月十三日内外労働し得るに過ぎず。

 次ぎに請負労働は専ら珈琲運びにして之に従事する者は体格殊に剛健なる労働者たるを要し、伊太利人、西班牙人等の外国人と共に四十名内外の組を編製し一袋(重さ凡十六貫目)に付、六十「レイス」の運搬賃にて桟橋の入口より桟橋を経、歩板の傾斜せるを登りて船中に運び入るるものとし、船舶繋留の位置如何によりて其の運搬距離に著しき差異あり。従つて一人にして運搬することを得る袋敷も決して一様なるを得ず。而して此の労働方法に依るときは一日の収得賃銀最高十五「ミル」六百「レイス」に及びたることあるも、又時として一日五「ミルレイス」に足らざる場合もあり。之と同時に此の請負労働は在庫珈琲の都合により皆無の日もあり。或は一日数時間丈け労働し其後断止することあり。労働者側にても斯くの如き過労を毎日継続すること困難にして、二三日働けば次ぎの一日は休息を要する有様なれば、一箇月十八九日間労働するを最高とし一日の収得賃金平均八「ミルレイス」と見て一箇月百五十「ミルレイス」内外を得るものとし、既に一言せる如く此は珈琲輸出期に於ける標準なれば他の半年には此れ丈け労働すること能はず。

 収得賃銀の多寡一定せざること上来記述せる如くなるを以て、仲仕労働の性質を十分了解せざる者若くは無智の移民は、体躯最強壮なる労働者が一日に収得し得べき最高賃銀を標準とし、之に一箇月二十五六日の労働日数を乗じて毎月三四百「ミルレイス」の賃銀を得らるるかの如き所謂机上の計算をなすこと往々之有りと雖も、実際は日給及請負の内孰れの方法に依るも、一箇年を通算して凡百二十「ミルレイス」を収得するものと測定せざるべからず。

 サントス港に於ける本邦労働者日用必需品の価格は、

    「ミル」 「レイス」
  白 米 一袋(五十八基入) 三〇、 〇〇〇
  菜 豆 一俵(百「リトル」入) 一二、〇〇〇乃至一五、〇〇〇
  牛 肉 一基 〇、 六〇〇
    〇、 八〇〇
  魚 類 甚だ高価なるを以て消費すること稀なり    
  野 菜 一家族一日分 〇、 三〇〇
  豚 脂 一鑵(二基入) 二、 四〇〇
  砂 糖 一基 〇、 五〇〇
    〇、 六〇〇
  塩 一「リトル」 〇、 二〇〇
  木 炭 一俵(約二十五斤入)七八名にて凡五日間の消費量 二、 〇〇〇
  石 油 一夜の消費量 〇、 二〇〇
  燐 寸 一包(十個入) 〇、 七〇〇

サンパウロ市に比し幾分か高直なるを見る。又市内労働者は農場に於けるとは異り家賃を自弁するを要し、市内場末に於て辛うじて四名の臥寝に適する家屋の借料一箇月五十「ミルレイス」、二人の住居し得べきもの同三十「ミルレイス」とし、沖縄県人は少しく広き家屋を借受け十数名寝食を共にす。

 本邦移民一箇月の生活費は勤倹なる沖縄県民は夫婦二人暮しにて三十二「ミルレイス」、人数多き家族は之に比例して一層多額を要し他県人は二人家族にて最高四十「ミルレイス」までを程度とす。

 故にサントス港に在る我が移民は一箇月五十「ミルレイス」以上八十「ミルレイス」までを貯蓄することを得べく、現に本邦へ送金したるもの甚だ多く賃金の収得額及本国送金高の多きは此等仲仕労働者を第一とし、所謂一時的出稼労働者としては慥に好成績を挙げつつあるも、農業移民として彼等を永住せしむるの目的は全く外れたるものと評せざるべからず。

 サントス港「ドツク」会社総支配人の語る所に拠れば、初めて本邦移民を波止場内の労働に使用したるは、他外国労働者が一時同盟罷業を企てたる際にして当時同盟罷業者が迫害を日本人に加へんことを慮り警官をして彼等を護衛せしめたる程なるも、其後日本人と他外国人との折合悪しからず。同一国人のみを使用するときは労働者側の団結頗る容易にして頻々同盟罷業を企つると雖も、斯くの如く日本人をも混じ置くときは却つて同盟罷業を防止するの利あり。日本人の労働成績に関しても全然満足せりとのことなりき。又本邦移民は時に他国労働者より言語若くは手真似等にて軽侮せらるることあるも常に勘忍して彼等と闘争することを避けつつありと述懐せり。

第二章 実地視察地以外に在る本邦移民概況

 本官が実施視察を遂げたる六箇所の珈琲園、「アグリーコラ、パウリスタ」耕地、サンパウロ市及サントス港に於ける本邦移民の状況は前章に於て一通り之を叙述し尽くせり。

百六十余名は亜爾然丁国方面へ転移せり
 而して前掲九箇所の外、日本移民は尚ほサンパウロ州の内外数箇所に散在し、別に凡百六十名の移民は亜爾然丁共和国方面に向つて転移せり。故に此等の移民に関しては実地視察したる程に精確なる報道を与ふること困難なるも種々の方面より探聞したる所に基き其の概況を記述せんと欲す。

  一、「ピメンタ」珈琲園労働者

「ピメンタ」
 本珈琲園は「ソロカバナ」鉄道イトウー支線の一駅ピメンタの近傍に在りサンパウロ市よりピメンタ駅までの距離八十哩(百四十五基米突)にして、汽車賃一等九「ミル」九百「レイス」、二等五「ミル」百「レイス」とす。

 本園に在りて労働せる本邦移民は男女合せて二十五名とし孰れも他の珈琲園を去り任意に本耕地に入りたる者にして其の労働条件は他耕地に於けると大同小異なるべく。従つて移民の状態も他の珈琲園に労働せる移民と大差なかるべし

  二、「サンペドロ」珈琲園労働者

「サンペドロ」
 本珈琲園は前章第五項に説叙する所ありたる「ヴェアド」珈琲園の近傍に在りて現今七八名の本邦移民労働せりといふ。是亦詳細の事情を知る能はずと雖も、労働賃銀其他に関する契約条件は附近耕地(仮令へば「ヴェアド」耕地)に於ける標準を以て推測することを得べく其の成績も略ぼ同一ならんと思はる。兎も角、格段の苦情もなく平穏に労働せることは確実なり。

 「アグリーコラ、パウリスタ」耕地を去りたる移民若干名は、前項「ピメンタ」珈琲園に赴きたる筈なるも未だ確報を得ず。

  三、西北鉄道布設工事労働者

鉄道労働
 サンパウロ州西北鉄道は「ソロカバナ」鉄道の終点たるバウルー町を起点とし州の西北部に位する未墾の森林地方を通過してマツト、グロツソ州に入りパラグワイ河の上流に位する同州の一都邑コルニパーに達する大工事にして、目下サンパウロ州方面とマツト、グロッソ州方面と双方より同時に工事を進め、着々布設実行中なるが最初はサンパウロ州珈琲園に於ける労働を厭ひて離去したる移民の一部をマツト、グロツソ州方面よりの布設工事に従事せしめ、其後更に皇国殖民会社代理人の手を以てサントス港等に徒食したる耕地逃亡移民をサンパウロ州方面よりの工事人夫として周旋したるに起源す。

二十八名
 サンパウロ州方面に於ける本邦労働者は、
    熊本県人  三名   鹿児島県人  二名
    福島県人  一名   沖縄県人  二二名
合計二十八名にして之に日本人通訳一名を附し、目下バウルー町より汽車にて十二時間のバクリー停車場(バウルー町よりの距離大約二百五十哩位ならん)を中心として労働す。

 此の地方はサンパウロ市及珈琲園所在地方に比すれば海抜余程低く暑熱強烈にして且四周樹木欝叢たる森林のこととて風通し悪しく、昼夜寒暑の差甚大にして夜間の冷気は我が十一月頃の寒気に匹敵す。又昼間は蚋《ぶよ》、虻等の虫類多く襲来し、夜間は蚊軍代り襲ふの有様なるも幸にして土地乾燥せるを以て「マラリヤ」熱の如きは風評程には流行せず。蛮人猛獣等の襲来することもなく、我労働者は概して無事に労働しつつあるといふ。

 所得賃銀は食事は請負師持にて一日三「ミル」五百「レイス」乃至四「ミル」五百「レイス」とし金銭を消費すべき事物なき山中のこととて、所得の七八割は之を貯蓄する有様なり。又請負師の給与する食物を以て満足せざる者は一日四「ミルレイス」乃至五「ミルレイス」の賃銀を受け随意に自炊することを得べく、此の場合に要する食用物品等の売価は、
                        「ミル」 「レイス」
  白米   一袋(五十八基入)    三二、〇〇〇
  菜豆   同上              一六、〇〇〇
  乾肉   一基                一、六〇〇
  石油   一瓶                〇、五〇〇
  燐寸   一包(十個入)          一、〇〇〇

之をサンパウロ市に於ける物価に比するときは各品三四割高直なるも、サントス港の物価とは左まで大差なく、交通不便なる割合には低廉に販売す。

九十三名
 次ぎにマツト、グロツソ州方面に於て労働せる本邦人は、
   愛媛県人  一名        鹿児島県人    七名
   広島県人  八名        沖縄県人  凡 七七名
合計凡九十三名にしてボリヴィヤ国境に近きコルムバー市の東方に於て作業し之に達するには、サントス港より汽船に乗りウルグワイ国を迂回しラ、プラタ大河に入り更に同河の一枝たるパラグワイ河を遡航するを要し、交通甚だ不便なり。

送金方法に不便を感ぜり
 気候は移民の通信に依ればサンパウロ州の森林地方と殆ど差異なきものの如く、物価はサンパウロ市に比し五割乃至七割高直なるも一日五「ミルレイス」の賃銀を得るを以て一人に付、大抵一箇月八十乃至百「ミルレイス」を貯蓄すつつあり。但、交通不便の地にして外国へ送金の方法なきが故に移民は一同其の蓄積したる金額を本国に送附することに頗る苦心中なりといふ。

  四、其他の移民状況

三十八名
 以上記述したる外、リオ、デ、ジヤネイロ州及ミナス、ジエライス州に散在せる移民凡三十八名の状況は之を詳にせず。只、種々の職業に従事して生活上何等困難を感じ居らざること丈けは之を察知するに難からず。

 亜爾然丁共和国方面に向ひてサントス港より乗船したる百六十名内外の本邦移民は大抵同国ブエノス、アイレス市に向ひ、同市より更に内地の農場等に転入したるものの如きも、内少くも十数名はウルグワイ国に滞在せるやに聞知せり。

 最初ブエノス、アイレス市に赴きたる移民は言語事情に通ぜざるため、路頭に迷ひ漸く同市に於ける日本商店及び我が名誉領事の厚意により労働口を求めて落着きたりとのことなるも、其後の移転者は此等先発者を便り行きたるにより比較的容易に労働口に就くことを得たるが如し。

 彼等の現況に関しては到底詳密なる報道を得難きも、沖縄県人は某製糖会社に雇はれ一団となりて寝食起居をともにし、賃銀は亜国紙幣にて一日三ペソ乃至三弗半を得、又ブエノス、アイレス市内に雇はれ居る本邦移民は一日四ペソの賃銀を得る者あり。一般に伯剌西爾国に比し労働賃銀高く且労働者の需要も大なりと称し、常に在サンパウロ州同郷人等に通信して転地を勧誘する有様なりといふ。

 一日伯国に渡来したる後、亜爾然丁共和国に転住することは単に本邦移民に限らず、伊太利人、西班牙人等も直接亜国に移住することは船賃も幾分か高く、且亜国は全く自由移民招致主義を執り、外国移民に対して渡航費を補助せざるが故に、先づ渡航費官給の制ある伯国に渡航し半年若くは一年、長きも二三年労働し若干の貯蓄をなしたる後、之を資金として更に亜国に転住する者多し。換言すれば此等欧洲移民は伯国政府の補助金を利用して彼等が理想的労働地と思惟せる亜爾然丁共和国に渡航する者なりとて、サンパウロ州官民中には大に之を論難する者尠からず。而して中には亜国も余り思はしからず、予想したる程の金儲も出来ずとて再び伯国に立戻る者なきにあらざるも此は極めて少数にして、大抵は亜国に落着くより見れば同国の方恐らく伯国に勝るならんと思考せらるされば、今後サンパウロ州に渡来する本邦移民中、同一の軌道を履みて亜国に移転する者続出すべきは今より之を構想し置くの必要あるべく、而かも此の一事はサンパウロ州官民の頗る不快に感ずる所なるを以て、相当の方法を用ひて成るべく之を防遏するを可とす。

第三章 特別調査事項

  (イ)珈琲園に於ける労働賃銀支払方法に関する調査

被雇耕地を自由に選択することを得
 サンパウロ州に於て珈琲園労働者を契約雇用する手続は珈琲園所有者より所要人員(大抵家族数に依る)を指定して植民及労働周旋局に申込む。然るときは同局は之に附属せる移民収容所の掲示板に其の耕地名、所要家族数、珈琲小作料千株の年額、珈琲千株一回の草取賃、珈実収穫賃金等を掲示し、新に外国より渡来したる移民及労働口を求めて国内より集来する労働者をして某々耕地に如何なる条件にて労働者を要するかを知らしめ、一面労働者に被雇耕地を自ら選択するの自由を与ふると同時に、新来者にして自ら耕地の優劣を知らざる者は同局にて適当と認むる珈琲園に送遣を請ふことを得。而して其の雇はるべき耕地確定したるときは、同局に於て園主若くは其の代理人と当該家族の長との間に同局官吏立会保証の上にて一の労働契約書に調印し、該契約書は一定の体裁を備へたる通帳の巻首に葡語を以て印刷し、之に西班牙語の訳文を附し日本移民の場合には和訳文を記入す(附録第一号参照)。

 此の契約書は第一条より第十四条までは、全州各珈琲園を通じて一様に準依する所の普通条件なれば、甲乙耕地の間に寸毫の差異なしと雖、第十五条より第十八条に至る四箇条は之を特別条件と称し、第十五条には労働賃金((一)、珈樹千株一箇年の小作料、(二)、珈琲実五十「リトル」の収穫貨、(三)、日給を以てする労働者賃金)を規定し、第十六条を以て小作料計算期を定め、第十七条に於て年末勘定期を規定し、最後に第十八条を以て移民が自己収穫のため或種の作物を栽培せることを許すものとす(契約書は此の条件を随意に記入し得らるる余地を残して印刷しあり)。従つて契約第十六条及第十七条は各園主が自由に之を規定するの例なれば、何等共通の賃銀支払方法及期限を発見すること能はず、之を本官が実地に出張視察したる珈琲園六箇所に就きて見るも、各耕地区々にして毫も一定する所あらず。即、契約第十六条に該当する小作料計算期及其の支払方法を検するに、
 一、「カナーン」珈琲園にては小作料年額を六分し、毎二箇月帳簿上にて払渡し、此金額に対して移民に必需品を売渡す。
 二、「サン、マルテインニヨ」珈琲園にては三箇月毎に一回帳簿上にて之を支払ふ規定なるも、実際は毎月一回計算記帳す。
 三、「グワタパラー」珈琲園にては契約書には毎月一回計算すと規定しあるも、実際は隔月一回とし二箇月分は第三月の第一日曜日に計算し、耕地限り通用し切符を以て之を支払ふ。
 四、「ソプラード」珈琲園にては毎月一回計算し希望の移民には現金を以て之を支払ふ。
 五、「ヴェアド」珈琲園にては小作料は毎月一回、珈琲採取賃は毎週一回記帳し其の額に対して物品を売渡すか又は耕地限り通用の切符を交付し現金を支払はず。
 六、「サンジヨアキーン」珈琲園にては三箇月に一回計算を行ひ同期間に移民に販売したる物品代価を差引き残余丈けは現金を以て支払を行ふ。

 又第十七条に該当する一ヶ年の総勘定は各耕地を通じて「珈琲収穫結了後、珈琲園の大掃除(草取及土ならし)を完成したる時」と定めあるも此は余程漠然たるものにして耕地に依り三四箇月の前後あり。且其の収穫年度限り(前記大掃除終了後)離退する者と引続き珈琲園に留まり労働する移民との間にも支払期限の相違ありて、離退者に対しては十、十一月頃出園の際総勘定の差引残額を交付し、継続移民には概ね翌年一月に至り支払ふを例とす。資金裕ならざる耕主、若くは移民が自己の耕地を去るを好まざる支配人等にして、往々総勘定差引額の交付を延滞せしめて移民の出園を一箇月余も遷延せしむることもありといへり

賃金支払方法の改良は差当り実行困難なり
 故に本邦移民を保護し其の利益を増進せしむる上より言へば、移民の賃金は毎月一回之を計算せしめ、移民が日用必需品を耕地所属の店舗より購求したる場合には之を差引きたる残額、然らざる場合には其の全額を翌月中旬までに現金にて交付せしむるに如かず。本官は此の趣旨を以て本邦移民に対し賃銀支払方法を改良せしむることを得べきや否に関し、数名の園主及耕地支配人に就き内意を探りたるに、現在行はれつつある方法は多少の相違点はあるも大体に於て全州の有らゆる珈琲園に其通せる年来の習慣なるが、今俄に之を変改することは至難の業たり。殊に何れの耕地に於ても日本移民は其の数甚だ僅少にして他外国移民に比すれば殆ど何等の勢力あるを認めず。而かも多数の西、伊其他の労働者が一般に甘諾して苦情を唱へざる賃銀支払方法に関し、日本人のみに対して特に便益多き取扱をなす事は差当り到底行はれ難きを認めたり。

  (ロ)珈琲園に於ける労働の種類、方法及労働時間

労働は珈琲手入、果実の採取、洗滌乾燥、外皮剥取、袋詰等なり
 サンパウロ州に於ては生産過剰より生ずる珈琲価格の下落を防遏する一手段として法律を以て新に珈琲耕作地を拡張することを禁止的に制限せる結果として、老樹病樹の枯死するもの若干を植替ふる外には新規植付を行はざるが故に、珈琲園の労働は現存珈樹の手入を行ひ其の結ぶ果実を採取し、之を乾燥場に運びて洗滌乾燥し比較的単簡なる機械を用ひて外皮を剥取し袋詰として之を送出するまでの手続に外ならず。

 而して前記の労働中最多数の労力を要するは、珈琲樹の手入れ即、草取にして大抵一箇年に五回之を行はざるべからず。之に次ぐを珈実の採取とし収穫期の真盛りには最多数の労働者を要すれども、大概四月より九月までの半年を収穫期と見て可なるべく、残る六箇月間は専ら珈樹の手入を行ふ。珈琲乾燥場の労働も亦収穫期半年間の労働なるのみならず、其の所要人員の如きも園圃労働者の一割以下にて足り、剥皮工場内の労働者は大耕地に於ても十数名あれば十分にて、小耕地なれば僅々六、七名にて足る。

珈樹の手入れ最も重要なり
 珈琲樹の手入れは年中定期に行ふべき最も重要なる根本的労働なるが故に、之を今日入園して明日離退するが如き浮動労働者に一任すること能はず。常に労力の欠乏を感じつつあるサンパウロ州に於て続々労働者離去し、而かも其の代りを得ざる場合には忽ち珈琲園の荒廃を招き、園主の損失甚大なるは誠に賭易き所なるを以て、各耕地を通じて労働者と一箇年間の小作契約を結び、此等労働者を小作人コロノと称し、珈琲樹千株に付、何程といへる小作料を定めて労働者家族の労働力に相応する株数を受持たしめ、又収穫期に入れば此等小作人に珈琲実の採取をもなさしめ、小作料以外に珈実収穫賃を得せしむ。換言すれば珈琲園に於て最必要にして且最多数の需要ある労働者は珈琲耕作と兼ねて珈実採取を行ふ小作人にして、日給労働者としては通常収穫期のみに限りて臨時傭用する珈実採取者(此れは専ら採取量により賃銀を給す)、乾燥場及剥皮工場内外の労働者に過ぎず、其他は小作人欠乏若くは中途違約逃亡等の場合に稀に臨時雇として草取をなさしめ又耕地によりては特別の熟練を要する珈樹の剪込(贅枝枯枝等を伐去すること)及植替へのために日給労働者を使役する位にて、本邦移民も専ら小作人として需要せらるるなり。

家族移民ならざるべからず
 日本移民が小作人として需要せらるる以上は少くも一箇年間一定の珈琲樹数を預り制規の草取に従事することを要し、日給労働者として任意に入園し又自己の意に随つて離退することを許さず、一旦小作人として一定の珈樹を受持ちたる後中途耕地を去る者は即、逃亡者と見做され、契約第八条に照らし小作料年額の半に相当する罰金を課せらるべく、若し又全家逃亡せざるも家族の一部丈け逃亡し、残員にて受持区域の草取手廻らざる場合には、園主より臨時人を傭ひて之が手入をなさしめ、其の費用は小作人の受くべき小作料より之を差引くの習慣なるが故に、小作人たらんとする者は農業労働に適する真の家族移民たらざるべからず。独身移民には小作をなさしめざる習慣とす。
一層了解し易からんがために以上記述したる所を撮要すれば、サンパウロ州珈琲園に於て日給労働者を要する度合は極めて僅少にして専ら珈樹の小作労働者を需要す。而して此の小作人は少くも一箇年の契約にて珈園の草取及珈実の採取に従事するものなるが故に、必ず農業労働に適する真の家族移民たらざるべからず。家族は夫婦及子女(成るべく子女を携帯すべし)より成るもの最適当にして、子女は年齢に応じ、或は父母と共に労働し、或は父母の手助けをなし、或は弁当を運び、或は自家に飼育する鶏豚の番をなす等、珈琲園小作人にとりては欠くべからざる要素たり。夫婦の一方の兄弟姉妹若くは甥姪、従兄弟姉妹等近親の者にして能く家長の命令に服し、一家族として終始一貫協力労働するの意志堅実なるものに限り、之を家族に加ふることを得るも、第一回渡航移民の如く農事労働に不適当なる移民及一時を瞞着する偽家族を構成せしめて之を珈琲園に周旋する如きは、徹頭徹尾認容すべからざる失態にして、其の失敗に終るべきは之を予想すること極めて容易なるのみならず、斯くの如きは結局日本人の声価を傷け国辱を招くの因なるが故に、第一回の失態を繰返す程ならば寧、此際断然本邦移民の誘入を断念中止するの勝れるに如かず。

 珈琲園は大概緩慢に傾斜せる土地にして土壌あか色を呈し、之を掻きならして珈琲樹を植付け畝及溝を設けざるが故に、自然の傾斜以外には土地の高低なく、且珈琲樹は株と株との間に凡二間づつの距離を設けて整然列植しあるを以て、其の草取は恰も庭園を掃除するが如く唯一挺の草取鍬を用ふるのみにて我が水田の耕作に比すれば労働甚だ容易なり。通常三回雑草を芟除し一回は土寄せと称して雑草を芟除すると同時に、樹下に落ちたる枯葉をも集めて少しづつ諸所に之を堆積し、他の一回は斯く堆積しある土芥を平らに掻きならし都合五回の手入をなし、且小作人は其の受持株数を毫も減少せしめざる責任あるを以て、自己の小作中枯死したる珈琲樹は他の苗木をママて之を植足さざるべからず。

 斯くて此の労働は小作なるが故に、本邦に於ける小作人の働き振りのみを知れる者は、小作人各自受持区域の手入を十分に行ふに於ては労働日数及労働時間は全く小作人の任意にして毫も園主又は支配人の干渉を受けざるものと速了するならん。然れども事実は之に反し、小作人は日曜日及病気の場合を除き毎日早朝より太陽地平線下に没するまで労働するを要し、午前五時の鐘にて起出で監督の点呼を受けて六時より就業し午後五時より五時半までの間に業を終ふるの規定にして故なく休業するを許さず。但、耕地監督は毎朝移民を園圃に引出し日没まで労働せしむるを以て任務となすが故に、昼食のため休憩し且時々煙草休みをなすことは珈実採取期の外は小作人の自由に任せ別段干渉することなし。

 珈実収穫は一団四五十名の組を設け小作区域に関らず適度に成熟せる園圃より順次に採取し行くものにして、労働時間は是亦早朝より日没までとし、労働監督は草取の時に比すれば甚だ厳重にして漫りに休憩するを許さず、且大抵の場合日曜日にも労働せしむるを通則とす。

 珈実摘取の方法は、珈実の外皮が未だ乾燥せず桜実子に似たる色を呈し(勿論不熟にして青きものを混ず)、枝を撃つも離落せざるものは一枝毎に手を以て枝元より枝頭に向つて締扱しごき取ること恰も桑葉を摘むが如くし、枝頭に於て手を緩め珈葉を残し置くことを要す。然らざれば其の枝は枯死して再び実を結ぶことなし。又珈実十分に成熟乾燥し外皮黒色を呈せるものは、或は手を以て枝を撃ち或は軽く手を触れて悉く之を樹下に落し(布を敷きて其上に落すものと直接地上に落すものと二様ありて各耕地により其の趣を異にす)、地上に落したる珈実は箒を以て之を掻き集め、篩を以て枯葉土砂を取除き、尚ほ混入せる塵埃は園側の道路(幅二間半位)に布を敷き珈実を此所に運び来り、一種の「シヤヴル」を以て之を布上に落つる様少しづつ巧に一二間の高さに空中に投撒し風を利用して塵埃を除去し之を一定の袋に盛る、而して結実する珈樹は其の樹齢により高さ一間乃至二間半にして如何に年数を経るも三間以上の高さに達するものは稀なるを以て、樹の高きものは、男子は一本の支柱を以て珈樹に寄せ掛けずして立つることを得る高さ一丈内外の梯子を用ひ之に攀ぢて採取を行ひ、婦女子は梯子を要せざる低き部分を摘採し、小児は年齢に応じ採実に従事し或は弁当を運ぶ等、嬰児及病人を除く外、男女老幼の別なく労働することを得。珈琲園一区は数十名の一団にて同時に採取に従事するも、監督者は各家族に其の受持区域を指定し収穫量は一家族本位にて之を計算す。

 珈琲乾燥場の労働は日給若くは月給を以て賃銀を定め、労働時間は午前五時半又は六時に就業し、九時に至りて昼飯プルモソと称する食事をなし、午後三時に晩食ジヤンタールと称する食事をなし、三十分づつ休憩し午後五時頃に至りて一日の業を終ふ。

 珈琲乾燥場は之を「テレイロ」と名け、大耕地に在りては広さ数万坪に及ぶものあり。或は煉瓦を舗き詰め或は煉瓦に代へて石を用ひ或は「コンクリート」にて固め、極めて小規模の耕地は唯土地を平坦清潔にせるに過ぎざるものあり。之を一区百坪内外のものに区画し何れも水分の停滞を防ぐ目的を以て少しく傾斜せしめ、之を上下段々に駢列せしむること我が国山間に於ける水田の上下相接続せるに似たり。他より水を引きて「テレイロ」の最高き部分に珈琲洗場を設け採取して圃園より運び来れる珈琲実は此の洗場に於て一通り洗滌したる後、始終少しづつ水を流せる溝に入れ而して此の溝は「テレイロ」の各区に通ぜるが故に、洗滌されたる珈実は少しづつ流れて「テレイロ」に入り来るを各区に於て乾燥する丈けの分量を受収し、労働者之を一面に拡け丁字形の道具を以て或は縦に或は横に間断なく之を動かし、或は板の両端に孔を穿ち之に縄を結付けたるものを二人にて各々一方の縄を手にし之にて珈琲実を数箇所に寄せ集めて山の如く盛り上げ全然炎天にして寸毫の日陰なき場所に労働す。降雨中は洗場の外、一時労働を中止すと雖、その前後に於て乾燥方人夫の労働は多大なり。即、雨の将に降り来らんとするや彼等は匇徨珈実を寄せ集め、既に十分乾燥せるものは再び濡れざる様防水布を以て之を蔽ひ、未だ乾燥せざるものは之を蔽ふときは却つて珈実の蒸熱むれるを促すを以て堆積するまま雨に遭はしめ、降雨止めば堆積しある珈琲を取拡げて之を乾燥す。十分乾燥したる珈琲は之を剥皮工場又は之に接続せる納屋に送入するを要し、大耕地にては「テレイロ」より軽便鉄道を敷き小車に入れて之を運ぶも、小耕地にして此の設備なきものは一々袋に入れ担ぎて之を運搬せざるべからず。

 剥皮工場内の労働は機械の運転に注意する者、剥皮せられたる珈琲の機械より出で来る口に袋を充当する者、此の袋を衡器まで運搬する者、珈琲入袋を衡器にて秤量し余剰あれば取出し不足あれば補充する者、袋の口を縫ふ者等にして袋の口縫丈けは婦人に適すべし又耕地によりては婦女子を傭ひて屑珈琲の混入せるを選出さしむる所もありと雖も、兎も角、工場内には極めて少数の労働者を要するに過ぎず。

 尚ほ珈琲園に於ては機械及農具類の修繕に大工及鍛冶を要し、荷車の牛馬を使役する人夫も亦若干名必要なれども、此は孰れも特別の技術若くは熟練を要すると其の需要人員僅少なるを以て別段記述すべき価値なしと認む。

  (ハ)移民の健康状態

就業地は暑熱酷烈ならず
 世人は伯剌西爾国といへる名称を耳にするときは直に炎熱酷烈なる熱帯地を連想するならんも、サンパウロ州は赤道を南方に距ること遠く南緯凡二十度より二十五度の間に跨るを以て、其の幾分は正に温帯圏内に属し大体に於て我が台湾に比すべく、之に準熱帯の呼称を与ふるを適当とす。而して海岸低地は温度比較的高く、年中最高温度は一月に於て平均摂氏二十四度七分、最凉しき六月に於て平均温度十八度六分を示し、彼是我が台湾の温度に匹敵する。海抜の高きに従ひ温度を減ずることは何人も知悉せる不変の原則にして海面上二千四百数十尺の高さにあるさにある州の首府サンパウロ市に於ては一日中の平均温度摂氏二十一度四分六月中同十四度七分にして我が九州南部の気候に相当するを見るべし。

移民の健康状態極めて良好
 珈琲園所在地はサンパウロ市より西北に向つて傾斜せる広大なる土地の内海抜二千三百尺以下千七百尺までの高燥地なるを以て何等風土病と認むべきものなく、我が移民の健康状態は極めて良好なるを実見せり。されば皇国殖民合資会社がサンパウロ州に移民したる移民七百八十余名中、渡航後十四箇月間(明治四十二年八月三十一日まで)の死亡者は僅々六名にして珈琲園に於ける死亡者三名は中毒、肺結核、及黴毒と肺結核の併発に因り、サンパウロ市に於て死亡したる一名は心臓病、残り二名の内、一名はサンパウロ州ポツシーニヤ鉄道布設工事に労働中熱病のために斃れ、他の一名はリオ、デ、ジヤネイロ州に移りたる後「マラリヤ」熱に罹り死亡せるを以て総て珈琲園の気候風土と何等の関係なき疾病に因ることを知るべし。

 現に本官の如きは本邦移民労働地視察中、「カナーン」珈琲園に於て一名の黴毒患者(本邦より齎らしたるものにして半ば恢復せりと)、「グワタパラー」珈琲園に一名の肺病患者、「ヴェアド」珈琲園に於て感冒に罹れる移民一名、サントス港病院に入り治療を受け居る病人一名あることを見聞したる過ぎず以てサンパウロ州の気候が本邦移民の健康に適するを証明するに足るべし。

 但、西北傾斜地の内にても河川の流域若くは現今西北鉄道布設工事中なる森林地方の如きは気候湿潤にして「マラリヤ」熱流行し、珈琲園所在地に比すれば稍々不健康地たるを免れざるものの如し。

  (ニ)雇主が本邦移民を待遇する模様及雇主移民間の感情

 既に第一章中、所々に記述する所ありたる如く、珈琲園の大なるものは其の所有主多くは都会に住居し、耕地には一名の支配人を置きて専ら珈琲園の経営に当らしめ、自身は時々耕地を見廻る位に過ぎず。小規模の珈琲園は所有主自ら之を監督経営する者多し。

 而して従来本邦労働者を傭用したるは大抵大規模の珈琲園なるが故に、孰れも支配人を置きて之に耕地の事務を統理せしむる側に属し、雇主は直接我が移民と応対するの機会を有せず。此等の雇主は真に日本人贔屓にして之を傭用したる者と、一は日本人に関しては何等の知識を有せず従つて寸毫の同情も無けれども唯試験的に之を雇入れたる者との二種あり。兎も角此等の雇主は新にサンパウロ州に入来せる日本移民を自己の珈琲園に使役し好結果を得んとの希望を有したるが故に、少くも他外国移民と同様に之を待遇し、中には一層懇切に之を遇せんと力めたる耕主もありき。然るに日常我が移民と触接する支配人及其の部下に属する耕地役員は、仮令耕主の命令は奉ずるとしても全然耕主と同心たることは不可能のことなるを以て、往々本邦移民を冷遇せんと試みたる者なきにあらず。之と同時に本邦人は他の欧洲移民とは甚しく言語、風俗、習慣及思想を異にし、且平気にて日本流儀を演ずるを以て、忽ち支配人等の軽蔑を受け若くは其の感情を害したること決して尠からず。殊に第一回移民中には農業労働に慣れざる者及び一家族と称しながら其の実、真の家族にあらざる者を多数混入したる為め、益々支配人等の信用を失ひ、日本人の欠点を指摘したる支配人の報告は雇主をして日本人に対する同情を減殺せしむるの結果を来たし、往々性急なる園主をして単に日本移民の傭用を断念するのみならず、却つて日本労働者移入に反対せしむるの悪影響を醸成せり。

我移民を引続き傭用せる地方は漸次之が習気に慣れ之を優遇せり
 但、現今引続き我が移民を傭用せる五耕地(第一章記載の六耕地中「カナーン」珈琲園を除く)の所有主及其の支配人は、漸次日本人の風俗習慣を了解し、且非農民と真の農業労働者との区別を会得し、其の農民家族なれば確に珈琲園労働に適することを実地経験したる結果概して我が移民を優遇せるものの如し。

 従つて前記五耕地に在りて労働せる本邦農民は概して耕地支配人の取扱に満足せるものの如くなるも、彼我言語の相違著しく、西班牙人、伊太利人なれば仮令自国語を使用しても大体の意味を相手方に了解せしむることを得べく、葡萄牙語にて談話せらるる場合にも幾分か之を了解し、且語才ある者は短日月の間に葡語を学ぶことも甚だ容易なれども、本邦人は相当の教育を受けたる者が専心勉強するにあらざるよりは到底入込みたる事柄に関し葡語を以て対談すること能はず。本官は某耕地に於て最能く葡語を解すと称せらるる移民に就き試験したるに、支配人が滔々数十言を述べて説明したるを聴取し之に対して「然り然り、能く了解せり」と葡語を以て答へたり。依て本官はさらに邦語を以て「今支配人が述べたる所は能く之を了解したりや」と尋ねたるに「然り」と対へたるを以て「然らば日本語にて之を他の移民に伝へよ」と告げたるに、纔に支配人演述の一部を漠然通訳し得たるに止まり、尚ほ肝要なる数点は全然之を了解せざりしを知れり。又彼等は一般に他人が葡語にて語る所は顔色挙動等を見較べて略ぼ推測することを得るも、自己の意見を発表することは甚だ困難なるが如し。而して斯く相互の言語著しく相異し意志の疎通自在ならず且風俗、習慣、思想をも異にせる結果として、本邦移民は到底欧米人と同化する能はず。仮に一歩を譲りて言語及風俗に於て同化し得たりとするも、人種の相違に基く生理的特徴を滅却して彼我の区別無からしむることは一層困難の業たり。既に人種を異にする以上は仮令憲法上同等の権利ありと称すとも社交其他の点に於て特別的待遇を受けざるべからざるは、四民同等を標榜せる北米合衆国に於て黒人種が白人種より如何なる取扱を受けつつあるやに徴して頗る明瞭なるものあらん。

 之を要するに珈琲園に於ても又其他の労働地に於ても、雇主と本邦移民との折合は概して円満にして何等感情の衝突を見ずと雖、日本人は未だ以て西、伊其他の外国移民と同等若くは其の以上と認められず。人種言語を異にするため無形の損失を蒙ること甚大なり。

 尚ほ雇主は其の雇用せる移民(外国移民及本邦移民とも一様に)に対し、厳格に文字通り契約を履行せざる点あるを発見せり。例せば契約第十条「農年の終り」といへる語の解釈は各耕地勝手に之を附し、其の終了三十日前に離退を申出すも之に応ぜず、若し強ひて離退せんとすれば罰金を課する耕地あるが如き、又第十二条には移民労働賃銀の記帳は毎月之を行ふべき旨規定せるに拘らず之を厲行せざるが如き、或は契約書に何等の規定なきに拘らず耕地取締上必要ありと称し種々の罰金を課する耕地あるが如き、即、是れなり。甚しきは縦に特別条件中の労働賃銀が引下げ又は契約面には収穫珈琲五十「リトル」とあるに拘らず、六十「リトル」内外を盛らざれば五十「リトル」分の賃銀を支払はざる耕主もありといふ。

  (ホ)移民の給金額と其の生計費との比較

 現在本邦移民が実際受くる所の給金及生計費に関しては、既に第一章に於て各被雇地に就きて記述する所ありたるも、尚ほ参考のため更めて一言する所あらんとす。

 珈琲園労働者中最緊密なる小作人の給料は、珈樹千株に付六十乃至百「ミルレイス」(凡我が三十六円乃至六十円)とし耕地により著しき差等あり。但、小作料低廉なる耕地に於ては珈琲樹間に移民の所得となるべき作物の栽培を許すを以て却つて小作人の利益となることあり。

 本官が実地巡視を遂げたる六箇所の珈琲園に就きて之を検するに、珈樹千株に対する小作料年額は、

  「カナーン」珈琲園 七十、八十、九十及百「ミルレイス」の四種 小作料の低廉なる部分には樹間に耕作を許す
  「サン、マルテインニヨ」珈琲園 七十五「ミルレイス」 樹間に耕作を許す
  「グワタパラー」珈琲園 百「ミルレイス」 樹間に耕作を許さず
  「ソプラード」珈琲園 同  上 同  上
  「ヴェアド」珈琲園 八十「ミルレイス」 同  上
  「サン、ジヨアキーン」珈琲園 百「ミルレイス」 同  上

 各々区々にして一定せず、且一家族に受持たしむる樹数の如きも、各家族の有する人員及其の労働力を参酌して之を定むる習慣なれども、而かも耕地により著しき高下ありて是亦何等確定せざるが故に、各家族の収入も多寡頗る区々たり。唯全州有らゆる珈琲園を通じて移民家族は其の収得する小作料を以て一年間の生計を維持するを以て常則とし、倹約する者は小作料の幾分を貯蓄することあると同時に、他の一方に於て少しく贅沢なる生活をなす欧洲移民は小作料の外、珈実収穫賃をも悉く支出して尚ほ若干の負債をなすことあり。引続き珈琲園に労働中なる本邦移民七十数家族は概して能く忍耐し且勤倹なるが故に、九分九厘までは小作料以内を以て一箇年の生活を立て尚ほ往々若干の貯蓄をなせる者あり。従つて珈琲実の採取を為して得る所の賃銀は全部純益となりて残る勘定とす。

 然らば珈実採取賃銀は何程なりやといふに、是亦耕地によりて高低一ならず全州を通じて概括するときは一「アルケイリ」(皮付のまま五十「リトル」)を単位として四百乃至六百「レイス」(凡我が二十四銭乃至三十六銭に当る)と定め、各家族が実際採取したる珈実の量に比例して賃銀を支払ふ習慣にして、其の採取量たる各自の労働力及勤情の別に従ひ差異あるは勿論、仮令同一の労働力を以て勤勉するときも年々の作柄均等ならざるを以て決して一様なる能はず。本官が視察したる六耕地に於ける珈実採取賃銀の標準は、

  「カナーン」珈琲園  五十「リトル」に付 五百「レイス」
  「サンマルテインニヨ」珈琲園 同  上 四百五十乃至五百「レイス」
  「グワタパラー」珈琲園 同  上 五百「レイス」
  「ソプラード」珈琲園 同  上 同  上
  「ヴェアド」珈琲園 五十五「リトル」に付 同  上
  「サンジヨアキーン」珈琲園 五十「リトル」に付 同  上

にして、最高一人一日六「アルケイレス」を採取し三「ミルレイス」(凡我が一円八十銭)を得ることあるも、此れは作柄も好く、圃田も最良の部分にて且労働最熟練せる者の収穫し得る分量なるが故に、何人にても到る処の耕地に於て毎日斯くの如き好収入を得べしとするは全く机上の計算にして決して其の当を得たるものにあらず。

 又珈琲園に於ける日給労働は需要人員少数なる事既述の如くなるを以て、本邦移民中之に従事せる者十名を出でず。全州を通じての日給額は一「ミル」五百「レイス」以上三「ミルレイス」以下なるも本邦移民現在耕地に於ける契約規定率は「ヴェアド」珈琲園のみは一日ニ「ミルレイス」(凡我一円二十銭)、其他の耕地は孰も二「ミル」五百「レイス」(凡我一円五十銭)とす。

一ヶ年間生活費を差引き一家族四百乃至一千「ミルレース」を貯蓄することを得
 珈琲園労働に対する報酬は以上記載せる如く区々一定せざると同時に、移民各自生活費の如きも一名十五「ミルレイス」を以て一箇月を支ふる者あり、或は二十「ミルレイス」、二十五「ミルレイス」を費す者ありて是亦一定せずと雖も、十中八九は一箇年間小作及珈実収穫に従事するときは生活費一切を差引き一家族四百乃至一千「ミルレイス」(凡我が二百四十円乃至六百円)の純益を得て之を貯蓄することを得。而して此は家族の人数にも依ることなれば労働者一名に付一箇年平均二百五十「ミルレイス」(凡我が百五十円)を蓄積し得るを標準とすべく、仮令如何ほど収入少き者と雖も収得賃銀を以て生計を維持する能はざる如きことは断じて之無きを確信す。

 以上は珈琲園労働者のみに就きての観察調査なるが其他、都会に於て家内労働に従事し若くは職工として労働し或は仲仕又は鉄道人夫として労働せる者に就きて見るも、各自生計費を支弁したる上、尚ほ毎月若干の余裕ありて之を貯蓄して本国に送金することを得るの現状なるは既に第一章八、九及第二章に述べたる所の如し。

一時的移民は不可なり
 之を要するにサンパウロ州に渡来する本邦移民は、其の如何なる職業に従事するを問はず懶惰浮浪の徒にあらざる限り、各自の生計費を差引き毎月若干の貯蓄をなし得るの余裕あることは、現在移民の実民に徴し何人も否定する能はざる所なりと雖、著しく多額の収入ありて僅々数年にして大金を懐にしし帰国することを得べしとするは、移民会社の広告手段若くは伯国の事情に通ぜざる輩の空想に過ぎず。加之日伯両国の距離遠大にして往復に要する費用亦尠からざるを以て、一時的出稼移民の渡航に関しては尚ほ一層の考慮を費さざるべからず。况んや伯国官民の希望する所は当国の言語風習に同化し易き永住的移民に限られるに於てをや。

 

  (ヘ)移民が本邦へ送金する方法及其の額

 移民が本邦へ送金する方法はサンパウロ市郵便局に於て郵便為替を取組むの一法あるのみにして、同市銀行は本邦に於ける銀行と取引なきため送金を取扱はず、又サンパウロ市以外の地方郵便局に於ては仮令郵便為替を取扱ふものと雖、単に内国郵便為替を取扱ふに過ぎざるのみならず、我が移民労働地は多く辺僻の地にして一、二里の距離には書留郵便及内国便為替を取扱ふ郵便局なきの有様なれば本邦へ送金をなす場合には若干名申合せて二、三名の総代を選定しサンパウロまで態々出府せしめて送金取計をなし、サントス港に労働せる移民も同一目的の為めに時々サンパウロ市に出向す。尤も耕地によりては日本人通訳(但、現今通訳を附せるは僅に「グワタパラー」珈琲園一箇所のみ)に依頼し通訳より更に在サンパウロ市移民取扱人代理人を経て送金若くは耕地支配人を経て園主に依頼し送金することを得と雖、兎も角送金の方法未だ完備せざるが故に移民は余程困難を感じ、就中マツト、グロツソ州に於て鉄道布設工事に従事せる移民は送金方法の不備に基く不便を感ずること最適切なるが如し。故に若し今後更に本邦移民を増遣する場合には移民取扱人に命じて信用確実なる業務代理人をして耕地労働移民より其の送附せんとする金員を蒐集し之をサンパウロ市に於て郵便為替に取組むまでの周旋をなさしむるの必要あるべく、一面耕地に在る移民を慰撫して其の保護監督の任務を完うすると同時に、移民の貯蓄せる金銭を集め来るの目的を以て少くも三箇月に一回各労働地を巡回せしめざるべからずと思考す。

 明治四十一年六月に到著したる第一回移民は、農年の中途に珈琲園に入りたるを以て僅々三四箇月後の農年末総勘定に於て純収入として受取るべき分少く、従つて同農年末には在「グラタパラー」珈琲園移民一名が二百十「ミルレイス」と「サンマルテインニヨ」珈琲園に在りたる一名が三百二十「ミルレイス」を送金したるに過ぎずと雖も、本農年末総勘定の結果として珈琲園労働移民より送金する額は三万五千「ミルレイス」(大約我が二万一千円)を下らざる見込なり。

 移民来着後本年(明治四十二年)九月までの送金者中、指を第一に屈すべきは鹿児島県人大工職鮫島直哉なる者、千五百「ミルレイス(凡我が九百円)を送金したるにあり。尚ほ他の大工職数名も一人に付千二百「ミルレイス」(凡我が七百二十円)を送金し、之に次ぎて最多く送金したるはサントス港「ドック」に於て労働せる仲仕連にしてサンパウロ市に在る各種労働者と合せ人数二百名内外にて毎月約九千七百「ミルレイス」(凡我が五千八百二円)をを本国に送金す。

 故に此等移民が来着後明治四十二年九月末(十四五箇月間)に貯蓄して本邦に送附したる金額累計は大約百「コントス」(即、十万「ミルレイス」にして我が六万円内外に当る)とし、之に珈琲園残留移民が将に送金せんとする予定額三万五千「ミルレイス」及西北鉄道工事人夫として労働し送金の便法なきに困却しつつある移民の貯蓄せる所とを加算するを要す。

 珈琲園労働者即、小作農夫とサンパウロ市、サントス港等に於ける非農民労働者との送金額を対比するに前者は後者に劣るを見るべく、是れ確に本邦移民が珈琲園を棄てて他の職業を逐はんとする一大原因たり。而してサンパウロ州官民は比較的収益き珈琲園に成るべく永住すべき移民を希望し、本邦移民は唯是れ収入の多きを求めて永く珈琲園に留まるを欲せず、両者の目的齟齬すること斯くの如く著大なり。理論としては真の農民家族を精選して渡航せしむるに於ては珈琲園労働者として耕地に落着かしめサンパウロ州官民をして益々本邦移民を歓迎せしむることを得べしと言ふを得るも、貯蓄及送金を唯一の目的とせる移民は実際に於て恐らく第一回移民と同一の軌道を履むなるべく、又真正の農民家族のみを精選するといふことも言ふは頗る易しと雖も其の実行は蓋し難中の最難事たるべし。

  (ト)皇国殖民合資会社が移民に支払ふべき負担あるときは其の金額

 皇国殖民合資会社が本邦より伯国サンパウロ州に向け移民を輸送するにママり船中に於て移民より預りたる金額は、本官が同会社業務代理人に就き調査したる所に拠れば、
     沖縄県   移民の分        五千五百二十円
     鹿児島県  同上           千六百三十円
     山口県   同上           五百二十五円
      合  計               七千六百七十五円
    右の内移民に返却したる分
     沖縄県   移民の分        千四百四十二円
     鹿児島県  同上           三百五十一円
     山口県    同上           百八十円
      合  計                千九百七十三円
     残額
     沖縄県   移民の分        四千七十八円
     鹿児島県  同上           千二百七十九円
     山口県   同上           三百四十五円
      合  計                五千七百二円

 本年九月中東京本社より金二千円を送附し来り、夫々関係者へ支払中なるを以て、尚ほ今後移民に対し償却を要する負担額三千七百二円現存せる旨代理人上塚周平より申出たり。

 同会社より預金弁償を受くべき移民にして亜爾然丁共和国等に転住し居所不明の者少なからずといふ。

 尚ほ別に同殖民会社より宮城、福島両県移民に貸附し弁償を受くべき金額二百六十一円ありと。

  (チ)移民が皇国殖民会社と締結せる契約を破り自由に雇主を求め労働し居る者あらば其数

 皇国殖民合資会社の周旋によりサンパウロ州に入来したる本邦移民中、契約を無視し最初より全然珈琲耕地行を拒みたる者及一旦珈琲園に入りたる後、農民にあらずと自白し耕地労働を棄てて逃亡したる者合せて百二十七名あり。此等は任意に雇主を求めて各其の特長とせる労働に従事して往々珈琲園に於けるよりも却つて多額の収入を得、又一部は他州及亜爾然丁共和国等に向つて退去せり。而してサンパウロ州政府は此等百二十七名の移民に対する補助金を皇国殖民合資会社に支払はざるにより同会社は之が為め一万二千七百円の損失を招けりといふも、同会社と移民間の契約書第三条に拠れば伯国サントス港までの渡航旅費は各移民に於て自弁したる筈なれば、同社が州政府より受くべき補助金を全然着服するの考を有せざる限り之を同殖民会社の損失と認むること能はず。但、サントス港までの旅費を同社に於て立替支弁したりとすれば此限にあらず。

 尚ほ前記百二十七名の外、珈琲園を去りて他に労働せる者其の数甚だ多きも其の人員及現状は既に第一章及第二章に大体叙述し尽せるを以て茲に再び之を贅せず。

第四章 将来邦民移植上に関する一般の状況

  一、伯国特にサンパウロ州に於ける労働者の需要

 伯剌西爾共和国は頗る広大なる沃土を有するに拘らず人口甚だ稀少にして、将来大に発達すべき運命を抱蔵し、移民植民の需要極めて大なるは何人も之を否認すること能はず、又世人の夙に熟知せる所たり。殊に南部諸州の一たるサンパウロ州は伯国内にて最長足の進歩をなし産業の発達に伴ひて益々諸般の新事業勃興し労働者の必要を感ずること最急なり。

 労働者の需要最大なるは州内否、伯国第一の生産業たる珈琲なり。之に次ぎては諸所に布設中なる鉄道工事あり。其他有らゆる方面に各種の労働者及職工を要し、年々欧洲より四、五万人の移民同州に入ると雖、同時に年々三、四万人の離退者あるを以て常に労力の欠乏を告げ、本邦より毎年三千乃至五千の移民をサンパウロ州に渡航せしめて之を適当の業に就かしめ、一日二「ミルレイス」(凡我一円二十銭)乃至五「ミルレイス」(凡我三円)の賃銀を得せしむること極めて容易なるべし。

 然れども茲に識者の注意を促すべき一事は、単り伯国のみに限らず欧米何れの国と雖、人種を同くし言語、風俗、習慣亦相近似して自国人と同化し易き外国人の移住し来るを欣ぶは人情の自然にして、苟も常識を備へたる者の抗争し能はざる真理なるべく、伯国サンパウロ州は先年伊国移民と葛藤を生じ伊国政府が契約移民の来伯を禁止したると、西班牙其他の諸国に於ても自国産業の衰頽を予防する手段として海外出稼を取締り労働者の出国を制限せるにより、差当り州内に於て必要欠くべからざる労働者を得んとするの目的を以て試みに本邦移民を誘入するに至れる次第なるが故に、珈琲園主が日本労働者を希望し州政府は此等園主の希望を納れて其の渡航を促したればとて、此は何等日本人に対する同情を意味するものにあらず、若し局面一変して伊、西諸国の移民続々踵を接して伯国に渡来するに至らばサンパウロ政府は必ずや此等欧洲移民を歓迎すると同時に最早必要なきに至れる本邦移民を顧みざるならん。又需要供給の原則に従ひ土地広大なる伯国の如きは土地を提供し、資本豊富なる欧米諸国は資本を供給し、人口の過剰に悩める日本の如きは正に労働者を供給すべく此間何等の差異なきにあらずやとの説をなす者なきにあらずと雖、下層労働者のみを送出する国は常に軽蔑せられ無形の不利益を招くこと決して尠少ならず况んや、若し多く劣悪無頼の徒を移すときは久しからずして邦人排斥の厄難に遭ふべく、之に反し移民地に於て歓迎せらるる如き善良にして勤勉なる労働者のみを多数海外に任せしむるときは大に本国の生産力を減殺し結局自国の不利に終るものなるに於てをや。

  二、邦人植民の余地十分なり

 伯国耕主、支配人等に頤使せられてニ「ミル」、三「ミル」の労働賃銀に首を下ぐる移民は堂々たる帝国臣民の外に伊太利人、西班牙人及葡萄牙人あるのみ。英米人は資本家若くは大商人として高く自ら持重し、仏人は商業技芸を以て業とし、独、墺人及露人は自主独立を愛して多く植民し決して傭主の手足たるに甘んずること無し。

 若し我が国に於て真に過剰人口を処分すべき必要ありとせば、之に最適応せる方法は巨万の資金を投じて広大なる土地を購入し以て邦民を移植するに在り。一時的出稼移民を送りて漸次植民に移らしむべしとの説一応道理なきにあらずと雖、移民と植民とは全く別物なるを以て事、最初より植民に着手するの勝れるに如かず。

 然り而して伯国内には土地を購ひて邦人の為めに植民地を設くることを得べき場所甚だ多く、サンパウロ州内にも今尚ほ未墾に属する森林ありて其の面積何千方哩なるを知らず、又諸所に州設植民地ありて何国人の別なく之に入ることを許すと雖、本官が「ノヴァ、オデツサ」、「ノヴァ、エウローパ」、「ノヴァ、パウリセア」及び「カヴィアーン、ペイシヨート」の四植民地を視したる結果として本邦人の為めには特別に日本人植民地を設置するの必要あり。尤伯国連邦政府若くは州政府の補助を受けて邦人植民地の特設を請ふが如きは甚だ腑甲斐なき心掛けにして外国政府の補助を仰ぎてまで植民地を置くの必要ありと覚えざれば若し邦人の資力を以て植民地を設置すること能はずば寧、之を設置せざるを可とす。

 尚ほ本官の見る所に依れば本邦農民は百中九十九までは外国に永住の考を有せず。従つて植民として根本要件を欠く者なるが故に、斯かる農民を率ひ来りて植民するとも其の成功甚だ疑はしく、寧、其の失敗を予想するに難からず。殊に当伯国は北米テキサスなどに比ぶれば大に其の趣を異にし、交通機関未だ備はらず仮令鉄道の便ある地方たりと其の運賃法外の高率なるが故に植民地の産物を運出販売すること決して容易ならざる等種々障害あるを以て、仮令テキサス州に於て若干の邦人が米作に従事し好成績を挙げたりとて伯国に於ても亦同様の結果を得べしと保証する能はず。蓋し彼是大に国情を異にせる所あるを以てなり。

 之を国家の政策上より見るも自国の版図に属する植民地に植民を行ふことは極めて必要の手段なれども、他国の領土内に自国人民を植うることは果して如何なる利益ありや。若し其の植民が依然本国の国籍を保存し専心其の本国の為めに尽すとせば、植民したる国は或は幾分の利益を蒙むることあるべきも、其の代り植民されたる国は自国内に外国の領土を見るの感ありて非常に迷惑し、若し一朝事有りて此等植民と其国官憲との間に衝突起らば延いて両国間の国際問題を惹起すならん。又之に反し此等植民及其の子孫が全然帰化して外国人となり了れりと仮定せんが、我が帝国は若干の国民を割きて之を他国に贈与したりといふ外、何等の利益をも収めざるにあらずや。

 移民送出の余地を充当にして雇傭的個々的移民よりは団体的植民的移民の方有望なり 但し国家政策上考慮を要す
 
要するに本官の意は移民するよりも寧、植民するを可として、伯国には家族、風土、邦人の殖民に適する地方多けれども祖国政府の補助に依頼して植民地を設置するは面白からず、必ず邦人の資力を以て之を経営せざるべからず。然れども退いて考ふるに邦人は一般に海外に植民永住を断行するの程度には未だ進み居らず。之を率ひて外国に植民すること甚だ困難なるの事情あると同時に、漫りに帝国臣民を遠き外国に植民せしめ彼等が其国に帰化して外国人となり了るを悦ぶが如きことは、国家の政策として其の拙を極め何等の利益を発見する能はずといふに帰着す。

  三、本邦移民に対する伯国官民の意嚮

 皇国ママ民合資会社が先づ第一次試験のためサンパウロ州に渡航せしめたる本邦移民の状況は、上来章を掲げ項を分ちて述ぶる所ありたる如く、同州政府が態々渡航運賃を補助して誘入したる希望通り珈琲園に落着き労働せる者は僅に渡航総数の四分の一に過ぎず、四分の二(即半数)鉄部工事、波止場人足、職工、家内労働の如き他の職業に就き、残り四分の一は去つて州外に移れり。従つてサンパウロ州当局者は此等第一回試験の成績を見て決して満足の色を表する能はず、此の失敗に鑑みて日本移民の誘入を断念すべき筈なれども、前記四分の一の善良なる移民の成績を見て漸く之に一縷の望を繋ぎ且第一回渡航者の成績不良なりしは一に移民選択の方法を誤りたるに基因し、今後若し一層の注意を加へて真の農民家族のみを連れ来るときは其の好成績を奏すること期して待つべしとの弁解を信じ、兎も角今一応第二回移民に就き果して日本人が適当なる移民なりや否を試験せんとする者にして、之れ以上に本邦労働者を歓迎すべき動機あること無し。而して第二回移民約千三百名は是非とも真正の農民家族のみを精選して渡航せしめざるべからずとは論理の順序として正に唱道すべき所なれども、飜つて邦人中如何なる部類の人間が海外出稼を希望するや又彼等は外国に永住する考を以て国を出るや、将た一時的出稼人として海外に渡航するものなるやを検するときは、真に善良なる農民家族のみを以て千三百名の人敷を揃へ連れ来ることは我が邦今日の状態にては殆ど不可能なるやの観あり。本官は多年秘露国に於て親しく本邦移民に接して其の善悪の区別も知り又我が労働者の性格は長所短所共に之を研究したる結果として、伯国に於ける第二回以後の移民は仮令善良なる農民家族のみを精選して渡航せしむるとも其の成績は必ず第一回移民と大同小異にして、多数の移民は珈琲園労働を嫌ひて他の職業を求め同時に亜爾然丁共和国等に向つて転住する者続出すべきは、今日より之を予言するを憚らざる所とす。

 されば伯国官民も今後従前に倍して本邦移民を歓迎するに至るべしと予想すべき理由は一も之を発見する能はざるのみならず、却つて第二回以後の移民によりて遺憾なく伯国に於て暴露さるる日本労働者の欠点は、伯国官民をして帝国臣民全体を軽侮せしむるの因を作るの懸念あり。

本邦移民の希求は永続的なるや疑はし
 之を要するに人間の思想とする所は百人百様にして其の同じからざること猶ほ其の面貌の異るに似たるが故に、伯国官民は頗る本邦人の当国に移住植民し来るを喜ぶものの如く観察せる人士尠からずと雖、辞令に巧なる伯国人の所謂御世辞的の言を真面目に軽信するときは甚しき謬見に陥ることなきを保せず。例之へば如何に伯国人なればとて一国の代表者に向つて我が国は貴国人民が当国に来住するを好まずと断然明言することなく、内心反対の意見を有するに拘らず表面頗る之を歓迎するが如く装ふ者多きは南米諸国の常なればなり。故に伯国に於けるが如く公然日本移民反対論を唱道すること稀にして、或る少数者は唯漠然日本を尊敬し日本人を寧、好奇的に珍重し自ら日本の同情者なりと称し、本邦移民賛成説を唱ふることありと雖、本官の所見に依れば伯国官民の大多数は人種、言語、思想、風俗、習慣を異にする日本人の多数移住し来るを喜ばず却つて伯国人と同化容易なる欧洲移民に意あること明白にして、只目下労働者欠乏の為め止むを得ず異人種の渡来を黙認せるものと思惟せらる。