1908年12月-1909年1月 移民状況視察報告

Relatório sobre as condições de vida dos imigrantes (dezembro/1908-janeiro/1909)

Report on the insepection of emigrants’ situation from December 1908 toJanuary 1909

在ブラジル公使館二等通訳官 甘利造次は、1908年(明治41)12月25日から1月7日までサンパウロ州内の2市7耕地を視察した。この資料は、その視察報告書。テキスト化にあたり、句読点、改行を補った。

伯剌西爾国「サン、パウロ」州本邦移民ノ実況視察書

                    在伯剌西爾国二等通訳官 甘利造次
 

 昨年当国渡来の本邦移民が、来着以来各地に於て同盟罷業其他不穏の挙動ありたるが為め、当国人稍もすれば日本移民渡来に反対の説をなすものあるに至り、現況安心すべからざるものありたるを以て、公使の命を含み、小官は昨年十二月十五日当地を発し、「サン、パウロ」州本邦移民の情態を視察し、去七日帰任せり。今実地視察の情況を左に記述し復命致し候

 昨年渡来したる本邦移民は其撰択余り良好ならず、七百余人の移民中、之れが職業別をなすときは其種類雑多にして、其異なる職業なるにも不拘、悉皆之れを珈琲耕地に入れ、珈琲摘みに従事せしめたるものなるを以て、中には此種の労務に堪へず、従ひて収入の度合も余り碌々見るべきものなかりしがため、寧ろ耕地を去り各自其習得したる処の職に就かば遥かに高価の賃銀を得らるべき見込あることなどを聞知し、他の実際農を以て職とする同輩達をも誘導して、遂に同盟罷業等の騒動を起し、此機を利用して耕地を去りたるものの如し。

 此くして耕地を逃亡し都会に来りたるものは、相当の職を得るに至りたれば、彼等は之れを耕地に居残りたる他の同輩に吹聴し、甚しきは之を過大に通信したるもの等ありたるを以て、一時耕地に在りたるものも都会に出で他の手段にて蓄財を試みんとするものを生ずるに至れる有様なり。畢竟するに是れ本邦人が言語の不通と習慣の異なるものある等の点より、当国の真相を知るに由なく、事実の誤解を生じたると、他の一方に於ては最初会社が移民募集に際し、其の撰択を充分注意せざりしに起因するものなるべしと断定せられ候。

 然るに其後耕地に居残りて、珈琲摘みに従事したるものは、昨年々末の決算期に当り相応の収入を獲得し、之れが幾分を本邦に送金することを得たる者さへありたるを以て、今後共尚珈琲耕地に止まりて労役に服すべき決心を有するに至れり。目下耕地に止まり労役に服するもの尚ほ其数四百三十九名の多きに達し、彼等は孰れも農を以て身を立て来りたるものなれば、当地着後と雖も、珈琲摘採及其手入等には容易に慣れて、之れを苦とするものなく、却て欧洲移民よりは結果の良好なるものあるべき見込あるを以て、雇主側に於ても満足を表し、中には日本移民に特別の便宜を与へつつあるものを生ずるに至れり。

 抑も当国は各方面に於て労働者の欠乏を告げ、特に耕主に於て移民を欲する程度は実に莫大なるものにして、之れが為め年々欧洲より渡来する移民の数も三万人に達すと雖も、亦年々帰国するものの数其過半数にして、到底当国各方面の要求を満す能はざるは勿論のことなり。加之伊国政府は両三年以前より契約移民の「ブラジル」出稼を禁じたる以来、当国にては適当なる移民の供給を失ひたる姿にして、雇主側の困難誠に名状すべからざるものあり。此時に当り日本移民の渡来は、当国に取りては非常なる幸福にして、雇主を始め政府亦之れを希望する有様なれば、本邦移民の渡来を計る亦目下恰好の時機と云はざるべからざる乎。

 小官が今回実地巡廻視察を遂げたる場所は、「サン、パウロ」市、「サントス」港、「サン、シモン」郡、「カナーン」珈琲会社耕地、「ゴッドフレッド」耕地、「グアタパラ」耕地、「サン、マルチィニョ」耕地、「サン、マノエル」耕地、「ヴエアド」耕地、「カムポスネット」耕地の二市七耕地にして、「サン、ジョアキン」耕地の視察を遂ぐる能はざりしものは、同地は鉄道線路を離れ馬背三四日間行程ある処にして旅行に困難なるのみならず、亦在留本邦人の数も余り多からざるを以て、同耕地丈は之れが実視を遂ぐるに至らず遂に帰府したる次第なり。

 是等各耕地に於ける本邦移民は孰れも満足の意を表し、中には既に多少言語に通ずるものあるに至りたれば、双方の意志も従て疎通し誤解を防ぎ、耕主亦彼等を好遇して其間柄甚だ円満なるが如し。而して耕主側にても尚日本移民を欲し、本年渡来すべき移民は既に其分配区域も取極まり居り。尚其他に本邦労働者を所望するもの甚だ多きも、中には昨年第一回の移民の不穏の行為を見て、少数之れが雇入れを差控えたる向も往々にあるものの如し。

    耕地に在る本邦移民の現在数
 移民到着当時の数と目下耕地に現在せる者との比較表を示し其成行を見んに

耕  地  最初の数 耕地より出たる数 現在数
サン、シモン郡サン、パウロ珈琲会社耕地 一六一 二九 一三九
イトウ郡ピメンタ附近ゴットフレッド耕地 一七〇 一〇九 六一
グァタパラ耕地 九〇 二六 六四
サン、マルチィニョ耕地 九八 三二 五六
サン、マノエル耕地 六二 二三 三九
ヂュモント耕地  二〇一 二〇一 ナシ
ヴェアド耕地(当耕地は「ヂユモント」耕地を出でたるものの一部此処に到りたるなり)     三二
カンポスネット耕地(同前)     二八
サンジョアキン耕地(同前)     二〇
七八二 四二〇(然るに内八〇名更に他の耕地に入る) 四三九

 前記残留したる四百三十九名は目下其職に安堵し、本年も耕地に留まりて珈琲摘採に従事すべきものにして、彼等は在本邦当時より農夫たるものなれば、既に珈琲樹の手入等にも馴れて其途には多少の経験を得たりと云ふべし。

 耕地在留四百三十九名を控除し、其残約三百四十名の移民は如何に成行きたるか、小官が取調たる所によれば、彼等は多く「サン、パウロ」市及「サントス」港に在りて孰れも相応の職に就き、「サン、パウロ」市に在るものは多く家僕として市人の家に雇はれ月二十「ミル」より二十五「ミル」を得、其他大工鍛冶等手に技術を有するものは一日四「ミル」乃至五「ミル」の賃銀を得るものの如し。同市に在るものの数は正確を得る不能とも、其所在の判然せるものは八十余名に達し、又「サントス」港に在るものは其数七十余名にして彼等は「サントス」ドック会社に使傭せられ、石切土掘等の職に就き、日給二「ミル」半よリ三「ミル」半を得、中には五「ミル」を得るものあれども其数甚だ少なし。其他は或は鉄道工夫となり或は「リオ」市に到りたるものあれども、其行先き分明ならず現に「サントス」港より「アルジェンタイン」国に向け渡航したるものも十六名ありと云ふ。

    移民の雇入れ方
 当「サン、パウロ」州には「アジェンシャ」(移民周旋所)と移民収容所の設けあり。二者孰れも州政府の経営に係るものなり。外国より渡来する移民は先づ収容所に入り、然る後移民周旋所の世話にて各耕地に分配せらると云ふ。

 故に耕主側にては必要労働者の数を此周旋所に申込み、周旋所は収容所に在る移民の数に応じて之れを各雇主間に応分に配布するものなりと云う。

 今後本邦より移民輸送の任に当る者は、常に其等の消息を探知し、年々各地に於ける移民需要の程度を知るは、大に必要にして進んで雇主の信用支払の正否等を移民配布以前に探知せば、後日の誤解を防ぐを得べく、此事は我国移民事業の発展上実に偉大なる関係を有するものなるべしと信ぜらる。

    移民の住家及生活の有様
 移民の住家は、多く平家にして間口三間奥行三四間の室二箇より成り。之れに一家族を入る。但し一家族若し男のみより成るときは、四五人を之れに入るるものあり。此住家は勿論耕主より無代にて貸与せらるるものなり。耕地内に在る移民は朝四時に起き四時半より五時の間に耕地に到り、労役に従事し、午後六時帰舎す。日中午前中三十分及午後三十分休息時間あるを以て、労働時間は十二時間を以て通則とす。尤も之は四月より十月終迄の珈琲摘期節のことにして、其他の六ヶ月間は平均一日十時間なりと云ふ。

 彼等の常食とする処は、米及豆にして其費用一ヶ月先づ十五「ミル」を要すと云ふ。最も移民は園内に於て土地を無代にて借受くることを得るを以て、彼等は之れに野菜其他の植付をなし、其収穫を得て之れを食糧に充つるを得。本邦移民中にも既に自己耕作に係る大豆より味噌等を製して食用に供しつつある向も見受けたり。

 如此自作物を以て食糧に充つるに至らば毎月の費用をも節減し、其貯蓄を増加することを得べし。

    移民の収入
 移民収入額の最も大なるは珈琲収穫時節にして、即四月下旬より十月下旬に至る間となす。抑も珈琲摘採の業たる格別の力役を要するにあらず。男女幼老を問はず之れに従事することを得るを以て、珈琲摘採時節には移民一家族挙て之れに従事すれば、夫婦及子供二人位を以て構成せらるる家族に於て一日平均十二「アルケーレス」乃至十五「アルケーレス」は容易に之を収穫するを得べし。而して一「アルケーレス」の摘代五百「レイス」なるを以て、彼等一家族一日の収入は六「ミル」より七「ミル」半を得べく、毎月四度の日曜を控除するときは一ヶ月百五十六乃至百八十二、即一期に得る処は優に一「コント」内外に達すべき見積なり。而して年々珈琲摘採以外に珈琲樹の手入をなすときは、珈琲樹毎千本七十五「ミル」より百「ミル」を得。一人にて先づ二千本乃至三千本を受持つことを得べし。珈琲手入は毎年五回にして珈琲摘採を終らば、直ちに之れを為し其後四回其雑草掃除に取係るものにして、此期間は其他に職業なきを以て、十月より四月に至る間は各自其自用の耕作に従事することを得べし。

 当初渡航の初年に在りては、土地の事情に不通又珈琲摘採にも不馴なれば、前記予算額を得ること或は難しと雖も、一人一日少なくとも四「アルケーレス」は収穫することを得べく、即一日二「ミル」一ヶ月五十二「ミル」年三百十二「ミル」は之れを収得することを得べく、而して之れに二千本の手入賃とを合算せば五百十二「ミル」にして、消費するものは年百八十乃至二百「ミル」なれば三百十二「ミル」の貯蓄を見るは之れ亦容易の業なるものの如し。

 昨年渡来の移民が予想の結果を得ざりしものは同盟罷業其他の騒動を起し、業務を中止したること屡々ありたるを以て、日本移民の獲得割合に僅少なりしも、尚多少の蓄財をなし其中幾分を本邦に送金することを得たるは、是れ良好の結果なりと云はざるを得ず。然るに茲に尤も注意を要すべき一点あり即ち左の如し。

    耕地の支払方法
 珈琲園には支配人《アドミニストラドール》及書記《フイスカル》の二人有りて、之れが経営に任じ、園主は都会の地に在りて年々支配人より報告を得、園内の有様を知るのみにして、園主が耕地に在りて自から園内の庶務に斡旋し、之れが指揮に当るもの甚だ少数なり。

 如此有様にて園内一切の事務は、支配人と書記に於て之れを左右するものの如し。

 元来当国に渡来したる移民が園内に入るときは、一家族につき一冊の通帳を交付せらる。此通帳には事務所に於て毎二ヶ月収支を記入し、之れを移民に渡すことの規定あれども、之れを正確に記入なし。其期日に後れざるもの甚だ少し。耕地によりては其期に後るる三ヶ月又は三ヶ月後ならざれば、移民は各自の計算を知る能はざる向も往々あるものの如し。

 抑も珈琲摘採に対する決算は毎年の終りに至らざれば、之れを為さざる習慣にして、即四月より十月間に至る珈琲摘採に対する計算は其年十二月に到りて初めて之れが支払をなすものにして、珈琲樹手入賃は毎二ヶ月に之れが計算を行ふものなれば、五月頃当国に渡来する移民は其年末迄金銭を手にする不能。但し耕主側にては必要の入費は之れを前借するのみならず、又食品等は信用切符を以て(此の切符に関しては後段に於て説明する所あり)購入することを得るを以て、別に金銭の必要なきものの如し。本件の如きは吾国移民が渡航前能く之れを知得する必要条件なるべきものと信ぜらる。

 此く荏苒時日を経過するを以て移民側にては実際収支の正確を記憶せず、園地事務所の云ふが僅に之れを観過し、たまたま其過失を指摘するものあれば、園地事務所は自己の都合のみを主張し遂に泣寝入となるものの如し。小官が実地に就て移民の通帳を通覧したるに常に移民の負担額と収入額とは之れが平均をなし、甚しきに至りては毎期多少の負債を有するものさへありたり。
此種の計算方は事務所の常套政策なるものの如く、常に移民に負債をなさしめ、之れが園地を離るるを引止め、其予防策となすものの如く観察せらる。

    園地と移民の関係
 園内には「アルマセン」(売店)あり。此処には移民日常の生活に必要なるものは食糧より衣類に至る迄を備付けて、之れを販売す。而して此売店は孰れも園主の所有に属す。

 移民渡来園地に入るや、当初は手に一銭の貯蓄なきを以て、耕地事務所に於ては彼等に信用切符を交付す。切符は一枚五百「レイス」宛のものにして十枚一冊をなすものなり。移民は多く之れを以て「アルマセン」より食品等を購入す。而して移民中労働に勤勉にして収入多く後来有望なるものには、切符を与へて之れに信用売を許すと云ふ。是れ一見称賛すべき行為の如きも其裏面を窺へば甚だ危険なるものあるが如し。

 然るに幸にして本邦移民は多くは読書力を有し且つ多少の教育あるを以て、前陳の如き疑ある場合には、之れを事務所に持来りて其過失を掲げ之が明瞭なる弁明を求めて黒白を明にするものの如し。然れとも是れ等は時として事務所と移民側との衝突の原因となり、遂に惹ひて同盟罷業等の事を生ぜしむるものあるが如し。

 然れとも目下本邦民の雇主は幸ひ正直確実のものにして、此種の恐虞は必要なきに近からんか。
以上陳述したる如く、本邦移民の渡来は決して絶望すべきものに非ず。却て有望にして前途大に見るべきものあるが如し。然るに彼等の渡航を許すに当り、大に注意を要すべきものは左の諸点なりとす。
一、移民は農業労働に馴れたる者に限ること
二、家族は真正なる夫婦及其近親血属者を以て構成すること
三、渡航後雇主を撰択し其信用支払の正否を確むること
四、雇主側に於ける支払期を厳にせしめ其期限に後れざることを計ること
五、会社は移民の逃亡を防ぐ為め雇主と何等かの規定を設くること

 当国に契約移民の渡来を計るに当りては上述五ヶ条項は、大に我国移民事業の発展に偉大なる関係を有するものにして、特に第一項及第二項の如きは最も必要なるものなり。昨年渡来の移民が不首尾なりし所以のものは移民が純農に非ざりし為と、一は家族の構成其宜きを得ず到着後家族内に紛擾を生じ、夫婦の離別其品行の不正等の点に於て大に当国士人間に疑を生じ、到着当時日本人に讃辞を呈し之れを賞揚したるものすら少敷其誤謬なりしを疑ふに至りたれども、彼等は尚第一回のみの移民を以て全体を論するは大に軽卒に失するものなりとて、本年渡航の移民の到着を待ちて其名声の回復を望むものなるが如し。

 然らば本年即第二回の渡航は是ぞ当国士人間に我国移民の価値明声を定むべき試験石にして、之れが宜しきを得んか今後益々其需要を増加すべく、之れにして前轍を踏むに至らんか本邦移民の名声は忽ち地に墜ちて再び回復すべからざるに至らん。

    「サン、パウロ」州統領教書抜抄(省略)