各移民先の人気

第2章　海外移民の状況

　前にも言へる如く目下海外に出て居る日本の男女は大略十二万で、其の多数は移民である事は言ふ迄もない、其中どの国が一番多く有るかと言へば、今日移民会社が取り扱ふて居る布哇（ハワイ）で有る、其の人数は六万五千、殆んど我国の仙台位の人口だ、其れも其の筈、今日布哇の住民で最も多いのは布哇の土人でもなく、本国の亜米利加人でもなく、また那処（どこ）へも入り込んで居る支那人でもなく、実に我日本人で有る、太平洋の眞ん中、森漫たる太平洋中の一孤島に、我が同胞兄弟は互に語り合ひ喜び合ふて一の社会を形作って居るのだ。

▲布哇の労働　は何を為るのかと言へば大抵は砂糖の耕作だ、残余はコヒーの耕作と其の他の雑業である、賃銀は日本の金額に直して一ヶ月三十六円で、粒々（りふりふ）辛苦朝から晩まで喘ぎ喘ぎ労働に疲れて居る我国の農民や漁民が夢にも得ることのできない巨額の収入ではないか。次に日本人の多いのは世界の労働社会で宝の山と呼ばれて居る北米合衆国で有る、目下桑港（サンフランシスコ）及び沙都（シアトル）の両地を中心として殆んど三万人に近かい日本人が居る、宝の山、宝の山とは我日本人が幼時より耳にし居る言葉であるが、山水風景の上では我国は宝の山でないとも限らないが、金の上では残念ながら甚だ宝の乏しき国だ、論より証拠にちよいと往還（そこ）へ出て見たら訳らう。

　彼の人力車夫は牛馬と同じ業務を取りて、然かも日に得る所は僅に五十銭か六十銭ではないか、それも日の具合によりては、三十銭か四十銭で泣き寐入らねばならぬ事が多いのだ、日稼人足は四十銭。六年も七年も年期を勉め、礼奉公迄して、一人前の大工なり左官なりに為つても、一日七十銭乃至八十銭を取るにすぎぬ、其れも之は東京の賃銀で、田舎の職人は日に四五十銭、東京の人力車夫より割がわるい、修業を積み技芸を備へてゐて尚ほ且つ斯うだ、今日の如き不景気に出会（でつくわ）せば、中流以下の者は滔々（とうとう）として青息吐息で居るのも亦た無理ではない、しかも太平洋を越へて北米合衆国の賃銀はどうか、労働社会はどうあるか。

▲北米の労働　日本では玄関番で書生とか食客とかいうスクールボーイでも、一週間三円乃至五円、即ち一ヶ月で十二円乃至二十円である、また桑港などで最も口の多いハウスウオークは一ヶ月三十円位取るのは余り難くはない、ハウスウオークとは、日本語に訳せば「家内の下働」とでも言ふべきか、妻君の指図を仰いで朝竈（かまど）の焚付より屋内の掃除、皿鉢等の洗掃（あらひすすぎ）料理の手伝其他一切の家内の労働に服するので、日本の下女働きより、骨が折れぬ、然かも我国のやうに朝から晩迄間断なく主婦の眼玉の下で戦々恟々として働くのではなく、用事が済めば勝手に自分の用事を遣（や）つてもよし、日曜日には一寸朝食前後台所の用事を済ませば大手を振つて遊ぶことができる。その他ハウスウオークプレーンンクツク、或はクツク給仕人等家庭に入りて働く可き、労役は甚だ多い、殊にクツクの如きは腕次第で一ヶ月百円位取るのに余り骨が折れぬ。

　以上挙げたるは家内労働であるが、日本で農業で身をこなした農民などになると、米国は大手を拡げて日本人の来るを俟つて居る、先づ簡略な方より一々挙ぐれば日本では余り見受けない仕事で、果物摘の如きは一日二円乃至三円の賃銀が取れる、之より一日の食料二十五仙（即五十銭）を引き去るも二円ならば一円五十銭、三円の賃銀を得れば二円五十銭―― 一ヶ月で七十五円の金が懐中（ふところ）に遺（の）こる勘定だ、今日我国でマスター・オブアートとかバチエロルオブアートとか言つてハイカラ風を吹かせて居り人でも、在来の砌（みぎり）は此の果物摘を遣って学費を作り、大学を卒業した人は幾人も有る、果物摘に次いて多いのは鉄道人夫で、刻下北米合衆国の鉄道工事といツては其れは大変なもので、日本で日清戦役後諸方に工塲が起こり、一時大阪市などは工女払底の為に職工横奪が行はれた位のものではない、左に掲ぐるはワシントン州シヤトル市に発刊する邦字日刊新聞日本人第八十一歳に見えた広告だ、之は僅に東洋貿易会社の募集広告であるが、其の他諸方の鉄道会社で日本人の鉄道人夫を募集して居る、尚ほ職業紹介等の事は、第八章に悉しく出す居る、から、よく御覧あるべし。

 

　大北鉄道会社に使役する工夫五千人を募集す

　　日給は一弗（ドル）以上一弗二十五仙（セント）迄仕事の種類に依て等差あり

　　仕事の種類はセクシヨン、ギヤング、石炭積、気鑵車掃除、客車掃除等なり

　　一当会社の契約にかかる大北鉄道会社は西英領ヴアンクーヴアー市より東セントポールに至る大会社にして支線にはモンタナ、セントラル。スポーケン、ノーザン。シヤトル、ノーザン。ウイルマー、シユフオールス。イースタン、ミネソタ等五千八百哩以上に延長す。

　　一当会社の配下に働く労働者の利益点

▲食料の安価　労働地の遠近に拘はらずシヤトル市同様の価格にて食料品衣服類を購求するを得

▲休業日少し　大北鉄道会社は五哩毎に一セクシヨンを設くる規定にして年中休みなし唯極寒の際多少の人員を減ぜしむるのみ

▲貯金の比例　一ヶ月に三十二弗を最大額とし最少額を二十二弗とす（昨年の比例）

▲患者の治療及待遇法　当会社は患者を特別鄭重に待遇せんが為めシヤトル。カリスペル。ハーバーの三ヶ所に医院を設立し各院に主任として一名宛の熟練なる日本医師を傭聘し米国医師を顧問となし共に治療を掌らしむ其他各所の病院と特約し以て患者治療の応急手当を謀れり又本年より本邦看護婦を傭ひ入るるの議に決し斯道の熟練なるものを募集中なり

▲不具者及不治病患者に対する慈善　当会社の配下に働き疾病に罹りたる時は治療を施すは勿論災変の為め負傷して不具者となりたるもの或ひは不治者に罹りたるものは旅費及び小遣ひまで支給して日本へ送還す
（昨年中此の特別保護を受けたるもの八十二名なり）

▲世話の懇切　当会社は支部をスポーケン。カリスペル。ハーバー。ウイルマー。ヒーピングスの五ヶ所に設け支部長及び巡回員数名を駐在せしめ絶えず各管轄区域を巡回し勉めて労働者の権利々益を保護せしむ又書翰部を設けて労働者の為め通信を迅速ならしむ為め願書掛を置き無手数料にて総ての願書届書を掌らしむ

▲送金額　当会社の手を経て昨年中日本に送りし金額は合計四十三万二千弗余之を諸県に大別すれば広島県十万弗余和歌山県八万弗余岡山県七万弗余熊本県六万八千ド弗余にして他諸県人の送金額は十二万四千弗内外なり

▲新聞紙の配布　当会社に於ては当年より各セクシヨシ（ママ）、ギヤングに本国の事情及び世界の出来事を知らしむる為め当市発刊の新聞（日本人）を無代償にて送附す

　　　　　　　　　　　　シヤトル市ジヤクソン街三百〇八番地
　　　　　　　　　　　　　　　東　洋　貿　易　会　社
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　鉄道工事部

▲猶当会社は数千エーカーの大根園を受負ふ、給料は一日一弗十仙以上にして又エーカーに対し打ち任せの方法もありて十二月頃迄引き続き雇入れの契約あり気候風土何れも日本人に適する処なり是又金儲けには至極好都合の労働口なれば志望の御方は此際至急申込みあるべし

▲各汽船及鉄道会社と特約を結び切符を販売す　日本郵船会社及びダツドウエルコムパニイ其他の汽船会社と特約を結び日本行及び太平洋沿岸各地方行の汽船切符及びイースト行の鉄道乗車切符を販売す

▲和洋雑貨食料品卸小売をなし　当会社は各卸問屋と特約を結び和洋雑貨食料品等卸小売共廉価にて販売す

 

　此の広告で見ると一日の賃銀二円以上二円五十銭である因（ちなみ）にいふ、米国の一弗は日本の金額にすれば二円に当たる。啻（ただ）に鉄道人夫ばかりではない、田舎向の労働口を求むれば、汽船の水火夫、鉱山の坑夫などは同じく二円乃至二円五十銭の賃銀は容易に取れる。

　米国の労働賃銀のよき事は、大略右の例を見ても訳るであらう、東洋貿易会社の広告にも見ゆるやうに昨年の如き、僅に東洋貿易会社で取扱つた送金額を見るも広島県へ二十万円余、和歌山県は十六万円余、岡山県は十四万円余、熊本県十三万六千円余、其他の諸県へは二十四万八千円余、合計八十六万四千円余に出て居る、大した金高ではないか、若し在米国総人員の送金高を挙ぐれば、非常の巨額に出て居るだらうと思はれる、米国は労働者に取りて宝の山だといふのもまた過言ではあるまい。然かも日本の外務省の方針では労働者の米国渡航を禁じて居るが、先方の亜米利加では、事業が盛んな割合に労働者は少なく何れも豫想通ほりに事業が進行せぬので困難を極めて居るといふに於ては、ますます日本労働者に取りて、米国は宝の山だ、勇気あり、立身を望む日本の労働者は、解禁の暁を待つて、ドンドン米国に渡つて宝の山を取つたがよい、醜業婦ばかり出るのも名誉ではあるまい！

▲晩香坡（バンクーバー）の労働　晩香坡を起点として英国加奈多（カナダ）も殆んど五千人ばかりの日本人が居る、爾してカリフオルーニヤ、或は沙都（シヤトル）（ワシントン州）等と同じく賃銀は二円乃至三円で、重もに此所は漁民が多い、但しヴインクバーは英語ができないと渡航することが出来ぬ法律が出て居る。

　更に南亜米利加地方を見るに、此処にも日本人は出て居る、特に

▲南亜米利加の労働　南米の中白露（ペルー）はコーヒー或はゴムの耕作で、日本人は現在六百人ばかり居る、此処は彼の森岡商会が同地の耕主と約束を結んで、四ヶ年契約といふので、今より二三年前八百人一同に出掛けたのだ、賃銀は僅に一円位て、日本内地に比ふれば多少よひやうであるが、北米などと比べ物にならない、然かも気候の具合か、或は監督者の不行届の為めか、或は森岡商会其れ自身の注意の到らなかつた故歟、八百人の労働者の中、二百人といふものは病死した、であるから今日の処白露の移民は、余り成蹟がよくないのが残念だ。白露の外にブラジル、メキシコ等にも多少の日本人が居る、皆な耕作に従事して居るが、何れも未だ瞭然（はつきり）した成蹟が見えない。

　太平洋方面の労働種類及び其の賃銀はあらあら以上の如きものであるが、更に我国より出て居る朝鮮、西比利亜地方の状况を見やう

▲朝鮮の労働　朝鮮は我国と最も近い故歟、日清戦役以後日増に労働者は出掛くる、併し同地は長崎県、熊本県、佐賀県等の者は最も多い、労働は専ら鉄道人夫で其の賃銀は一円位のものだ、昨年より朝鮮に限り彼のむづかしい海外旅券携帯の必要もなく、日本内地同様、相当の旅費さへあれば、大手を振つて朝鮮内地に出掛くることができる、内地に愚図愚図して居る者は、旅行自由の朝鮮などへ出た方がよい。

▲西利亜地方の労働　同地沿岸は我が長崎県、或は北海道辺の漁民が好んで出掛くる処で其の勇気と勤勉によりては、随分好い賃銀を得たものであるが、昨年露国政府が漁民取締規則を設け、我国漁民の侵入を禁じて以来、頓（にはか）に我が漁民の飛躍を挫列せしめた。浦塩斯徳（ウラジオストツク）は十数年前より、我国民の口に上ぼり、商人や労働者の同地に居る者は少くはないが、併し一番多いのは彼の醜業婦である、醜業婦が勢力を振ふて居る様に、商人及労働者が勢力あればよいが、残念にも余り大した勢力が見えない、但し同地では洗濯屋、大工、石工の様な者が出掛くれば一円五十銭以上の賃銀を得らるるそうで、其れに内地に入り込めば、鉄道工事が忙しいから、力役（りよくえき）者には一円以上の賃銀は容易に取られる。

▲菲律賓（フヒリツピン）の労働　昨年迄は僅に我日本人は四百人しか居なかつたのに、本年七日の調査によれば千五百以上に増加して居る、賃銀は二円以上大工等の技術を要する労働は三円以上であるといふ事だ、目下米国政府は兵営建築等の大工事を起こして居るから、労働者を要すること甚だ夥しい。且つ同地は気候は殆んど布哇と等しく、同地当局者は砂糖培養に力め数十人の砂糖培養練習生を布哇に派して其の技術を練習せしめ、第二の布哇とする計画であるといふ事であるから、一にも布哇二にも布哇と布哇でなければ夜が明けぬやうに思うて居る我が労働者は、更に眼を転じて、我日本と歴史上最も関係深き、且つ我内地と距離遠からぬ此の比律賓に出掛けられんことを、われ等は切に奨励する。

以上、我が労働者が海外各地に出て居る状況の一斑で、ほんの概略にすぎないが、尚ほ読者の中に詳しく知らんと思ふ人は、海外移民保護協会調査部宛に尋ね玉ふならば我が役員は知れる丈は腹蔵なく御返答申すべし、尚ほ濠太利亜《オーストラリア》は一時我労働者の最好労働地であつて、故佐久間貞一氏の如きは特に濠洲移民を目的に、吉佐移民会社を創設し、和歌山県等の労働者は先を争うて渡航したが、悲しい哉例の日本人排斥が行はれて、折角扶植した日本人の勢力は俄に地に落ち、今は同地では日本人の勢力と言つて見るべきものはない、唯だ此頃は日本人の来航に対しては多少寛和に為つたといへば、或は今後我政府の覚悟と、日本人民の気力一ツで、曩日（まへ）のやうに我が労働者の『快天地』と為らうも謀り知られぬが、今日の処はまだ何んとも言へぬ。

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